24話 夜の屋上は蠱惑的すぎる(2)
「選書会が……明日⁉」
ドクンっと胸に重い鉛球をブチ込まれたような衝撃が走る。
耳を疑いたくなるような話だが聞き間違いなんかじゃない。
選書会本番は今週のどこかにあるとは聞いていた。
だけどそれがもう前日に迫っているだなんて、
いや、きっと考えようとしなかったという方が正しい。
まだ時間はあるし、どうにでもなるだろうと楽観視していたんだ。
だからまた、何も決断しないまま取り返しのつかない状況になってしまった。そんな後悔が頭の中を覆う。
「初耳だぞ……」
選書会の日程について北浜さんから一言も伝えてもらっていない。
理由は2つのどちらかだ。
ひとつは北浜さんがそもそも選書会を諦めたから。
もうひとつは、俺だけがお役御免になったから。
答えを知りたくなくても、知らないままでいられるわけはなくて、声が震えそうになるのを抑えながら問う。
「南は、いつ知ったんだ?」
「ちょうど今日だよ。SNSで流れてきて知った」
「そうか。……北浜さんの準備はどうなってるか知ってるのか?」
「私が頼まれてた飾りつけ、まだ受け取りに来てもらってない、って言ったら答えになるよね」
「……わかった。そういうことだな」
自嘲するような笑みを浮かべる南をフォローする余裕はなかった。
万に一つの可能性で、北浜さんが南に頼んだことを忘れている可能性もあるが、それなら河原から声がかかっているはず。
つまり考えられる理由はひとつだ。
北浜さんが選書会を諦めたのだ。
「本屋さんでまた千林さんと会った話、聞いたよ。やっぱりそれが原因かな」
「そうだろうな。さすがにダメージが大きかったんだろう」
北浜さんが諦めた理由はいろいろな出来事の積み重ねのせいだろうが、やはり先日の書店での一件が決定的だったと思う。
やりきれない気持ちだが、北浜さんがやめると言うのなら外野がどうこうできることはない。
これでこのお手伝いは終了だ。
そう踏ん切りをつける。
踏ん切りをつけるしかないんだと言い聞かせる。
だというのに、南はまるでそれを邪魔するように口を開いた。
「私が言えたことじゃないかもだけどさ」
曇天でうす暗いのに、南の目が俺をまっすぐ見据えているのがわかる。
「鳥羽氏はもう諦めたの?」
「当事者が諦めたのに、俺が手伝うかどうかとかもう関係ないだろ」
南の言いぐさに少しイラつきを覚えながら、俺は相手にも自分にも言い聞かせるように自分の中の答えを口にした。
そう、これは最初から最後まで北浜さんの問題なんだ。
プレゼンが否定されようと、ライトノベルが馬鹿にされようと、その悔しさも哀しさも怒りもぜんぶ北浜さんの持ち物だ。
それはその場に居合わせただけの他人が勝手に肩代わりしていいものじゃない。
「俺はあくまで相談相手のひとりだってだけ。だからもう俺の出る幕じゃない」
それが俺にとって他人と関わるための線引きだ。
利他を装った偽善は誰も救えない。
強く、堅く、二言は無いと宣言するつもりで言った。
南はそれを聞くと、優しく受け止めるように柔和な笑顔をたたえて「そっか」と呟いた。
そしてやっぱり南が口火をきった。
「じゃあちょっと違う聞き方するね」
南は穏やかに、けれどもはっきりと言葉にする。
「いまどんな気持ち? 正直に言ってみなよ」
ともすれば煽ってるのかと思えるほどストレートな言葉。
けれども、それは決して煽り文句なんかじゃなく、慈悲の言葉だと感じとれた。
もはや北浜さんなんて関係なくて。
お前の気持ちはどうなんだと問われたのだ。
正直な気持ちを話していいんだと、情けないほどお膳立てされてしまっている。
だから、しまい込んでいた感情を今ここでならこぼしてしまってもいいかと思えてしまった。
「……俺は、怒ってる」
言葉をこねくり回さず、湧いてくる感情そのままを口に出した。
するともう
「千林みたいな、偏見でものを言う奴が俺は大嫌いなんだ」
「うん」
「先入観で一括りにしてレッテル貼って、知らないことを知ろうともせずにバカにしやがって」
「うん」
「良いも悪いも、好きも嫌いも、ちゃんと自分の目で見て、感じて、自分のものさしで測ってから判断するべきだろ」
「うん」
「それをガツンと言ってやりたい」
その続きを拾うように今度は南が口を開いた。
「けど自分はそれを言える立場じゃない、って?」
頭の中を見透かされたように代弁されて、誤魔化すこともできずに首を縦に振った。
俺が今日まで行動を起こせなかった理由はそれだ。
俺がどうしたいと思っても、仮にそれを行動に移しても、それは第三者の介入でしかないのだ。
だからそれでは誰も報われない。
勢いに任せて自分の感情に素直になってもこうやって堂々巡り。
どこかに出口があると期待して
あの時、まだ俺が当事者である北浜さんのすぐ
なにか一言でもフォローできていれば事態は少し変わっていただろうか?
自嘲にも似た後悔は胸の中で独り言ちる。
口にするのはあまりに情けない。
だから俺の口はずっと
そんな情けない沈黙を、南はいたって軽い調子で破ってみせた。
「今その立場にいないって言うなら、今からそこに立てばよくない?」
「……は?」
あまりに唐突な一言に思わず聞き返してしまった。
アドバイスというにはあまりにお粗末で、
かなり
「だって北浜さんも同じ気持ちのはずじゃん? なんなら鳥羽氏より怒って悲しんで落ち込んでるでしょ」
「それはまあ、選書会を諦めたくらいだし。たぶんな」
「だったら北浜さんと話してさ、『あいつムカつくよねー!』って愚痴りあってさ。それでふたりともヒートアップしちゃって、『いっそやりかえしてやれ!』って流れになるでしょ」
南は手をワタワタ振るってジェスチャーを交えながら、なぜだか楽しそうに語る。
それを見ているとイライラしているのが馬鹿らしくなってきた。
「そんな都合よくいくと思うか?」
「えー、これけっこう女子あるあるだと思うけどなー」
「マジかよ女子ってこえぇよ」
「そうだよ女子はこわいんだよ? 私も陰で愚痴られてばっかでずっとびくびくしてる」
「おい実体験やめろ。コメントに困る」
「大丈夫、半分は冗談だから」
「どこからが半分なんだ……」
南がいたずらっぽく笑うのにつられて俺の口も緩んでしまう。
くだらない軽口を言い合って、胸の内にあったほとぼりはすっと冷めていた。
けれども火が消えた跡には虚しさが残っていて、やっぱり前向きな言葉はまだ口にできそうにない。
それでもさっきまでよりは幾らか気楽なトーンで口をひらけるようになった。
「だけどさっきの作戦なら、河原とか、それこそ南の方が適任じゃないか?」
「ううん、それは違うね」
南の口元から笑みがすっと引いていく。
「いま北浜さんの横に立てるのは鳥羽氏だけだけだよ。君は北浜さんにも負けないラノベオタクだからね」
「何度も言ってるけどな、俺はオタクっていうほどじゃない」
「やっぱりそう言うよね。鳥羽氏が非オタだって自称するならそれは否定しない」
南はまたふふっと笑う。
そして、まるで俺よりも俺のことをお見通しだとでも言うように、得意げな顔をした。
「でも君だけだよ? いま北浜さんと同じくらい怒ってる人」
ドキリと、胸が鳴った。
俺は怒っている。それは今しがた自分で口にした紛れもない俺自身の感情で、反論しようのない事実。
だからそれを否定する言葉は見つからない。
けれど、だからといってそれは俺が行動を起こす理由にも値しない。
南はゆっくり立ち上がり真っ直ぐな目を向けて俺に語りかける。
「北浜さんを助けてあげてだなんて言ってない。一緒に闘えばいいじゃん」
その一言で、胸の中のわだかまりがすっと解けていく気がした。
助けるんじゃない、一緒に闘う。
その考え方はしっくりくる。
北浜さんを助けるためだなんて偽善を振りかざす必要はなくて。
俺は俺の憂さ晴らしのために北浜さんと共闘する。
そういう考え方なら俺は動ける。
「そうか……。協力じゃなくて共闘、ってことだな」
「そういうこと」
雲の切れ目から光が差し込みあたりがふっと明るくなった。
眩しくて顔を明後日の方向に向けたまま思いつく言葉を言い返す。
「そうするとしても、あれだな。大前提として北浜さんがやる気じゃなかったら、俺ひとりではどうしようもないし……」
「いまから部屋に突撃しに行けばよくない?」
「男がいきなり部屋に突撃しにきたら絶対迷惑だろ」
「ふーん、じゃあさ」
南が言葉をいったん区切って不敵に笑う。
「北浜さんの気持ちが分かればいいんだね?」
「ま、まあそうだな。北浜さんが諦めたくないって言うならやるけど」
「はい言質とったー‼」
南は俄かにそう叫ぶと、すぐさま梯子を軽快に下りてきた。
自分の答えに二言は無い。
……無いのだが、後悔はないかと問われたらちょっとある。
もうひたすらに打つ手を間違えた感しかなくて、たぶん五手先くらいで詰んでる。
その読みはどうやら当たっていたようて、南はとんでもないことを言い出した。
「じゃあ今から呼んでくるね」
「今から⁉ 北浜さんを?」
「だって選書会は明日なんだよ? もう時間ないじゃん」
話が急展開すぎてまるで頭が追い付かない。
こっちは動揺しているっていうのに、そんなのお構いなしに背中をぐいぐい押されて屋上の出入り口に追いやられる。
決心とか心の準備とかその他もろもろとか、とにかくちょっと時間が欲しいんですが!
「待って待って、そんな急には!」
「つべこべ言わない! 鳥羽氏はダイニングに先行ってて」
「わかった、わかったから押すな! ジュースが溢れる!」
本当に南はいつも強引だ。
頼んでもいないのに俺の背中を押してきて、彼女のおかげで前に一歩進むことができている。
……実はいいように使われているだけなのかもしれないが。
焦燥とは別に湧いてくる気恥ずかしさを誤魔化しながら、俺は南の手から離れて数歩前に出た。
火照った顔をすぐさま冷ましたくて、残りのジュースを一気にあおる。けれど、人肌で温められた液体からはすっかり冷たさが失われていた。
そんな俺の様子を見ていた南がニヤニヤ笑みを浮かべている。
「……なんだよ」
「この照れ屋さんめ〜」
「うっせえ!」
言葉では発散しきれない感情を指先に込めて、空っぽになったジュース缶をぎゅっと握る。
けれどもスチール缶は親指の部分がペコっと音を立ててへこむだけだった。
それを見た南が空っぽになった自分のジュース缶を押し付けてくる。
「はいこれ。一緒に捨てておいて」
先にダイニングに降りてゴミ箱に捨てておけってことか。
まあジュースを貰ったお返しとしてはそれくらいはして当然だ。
ジュース缶を受け取ると、南は眩しいくらいに可愛く、くしゃりと笑った。
「ありがと。ちゃんと待っててね」
「……おう」
空き缶を左右の手に握って屋上の出入口をくぐる。
最後に飲んだオレンジジュースの後味は、酸味よりもただひたすらに甘いと感じた。
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