25話 決選前夜は突然すぎる(1)
「鳥羽氏、お待たせ〜」
夕食のレトルトカレーがそろそろ温まるかという頃合いで、南がキッチンに降りてきた。
それに続いて河原と、彼女に手を引かれた北浜さんがリビングに顔を出す。
しかし北浜さんは、遠目に俺と目をあわせた途端、急にリビングの入口で足を止め、その拍子に腕を後ろに引っ張られた河原がよろけてしまう。
「ちょっと、浜さん?」
「やっぱりあとでご飯食べよっかなーって……」
「何言ってるんですか。ほら、座っててください。カレーすぐ用意しますから」
強引に追いやられる形で北浜さんがダイニングテーブルの席につく。
それでもチラチラ俺の方を盗み見ながら「なんでこの人がいるの?」みたいな不審な目を向けている。
選書会の話をする目的で呼び出す算段だったはずだが、どうも様子が変だ。
北浜さんの視界に入らないように、冷蔵庫の陰に隠れて南に耳打ちする。
「(どうやって北浜さんを連れて来たんだ)」
「(河原ちゃんに相談して、『ご飯一緒にたべましょう』って誘ってもらったの)」
「(そういうわけか。とりあえず部屋からつれだしたってわけだな)」
けれど、それだけのことであんなにも挙動不審になるか?
どこか怯えているようにも見えるぞ。
「(でも、無理だったから部屋に押し入って引っ張り出してきた!)」
「(鬼かっ⁉)」
めちゃくちゃ強引な方法だった。
それは任意同行どころかもはや強制連行だろ……。
道理で北浜さんが怖気ついているわけだ。こんな様子じゃ選書会の話題を切り出せるわけがない。
「(俺が動くのは北浜さんのやる気を確かめてからだからな?)」
「(そこはいまから河原ちゃんがよしなにやってくれるよ)」
「(それ信用していいのか)」
一層の不安を覚えながらも、南との密談は一旦切り上げる。
それから仕上げたレトルトカレーを携えて、俺は北浜さんのはす向かいに着席。
河原は北浜さんの前に手製のカレーをコトリと置くと、彼女と向かい合う形で俺の隣に座った。
静かに対面するふたりがいかにも取り調べ現場みたいな雰囲気を醸し出している。
……頼むからこれ以上は空気を張り詰めさせないでくれ。
最後に南が定例のお誕生日席に座ると、誰からともなく食事が始まった。
せっかく全員が揃っているというのに空気は重苦しい。
カチャ、カチャリ。
コツン、カツン。
無機質な食器の音しか聞こえない時間がしばらく続く。
その中で、河原のご飯だけが目に見えて早く減っていった。
河原は黙々とカレーを食べ続け、あっという間にカレーライスの皿を空っぽにする。
そして最後にずっと口をつけていなかったコップの水をゴクゴクと飲み干すと、
――カツン。
机に置かれたコップがカツンと音を立てた。
「で。明日の選書会はどうするんですか」
単刀直入に河原が口火を切った。
北浜さんは今まさにスプーンを口に運ぼうとしていたが、その手を止める。
けれども口は開かない。
「選書会、どうするんですか」
ダメ押しのように河原が詰問する。
すると北浜さんはスプーンを皿に置き、小さな口を開いて呟いた。
「……やめることにした」
「ほんとにいいんですか?」
「いろいろ手伝ってもらったけど、ごめんね」
北浜さんはもういちどスプーンを握るが、上手くカレーをすくえずにふらふらと彷徨わせている。
河原は返事をしなかった。
代わりに、ポケットからくしゃくしゃの紙を取り出して、それをテーブルの上で広げて見せた。
「じゃあこれは何ですか?」
北浜さんが手元のカレー皿から顔を上げて紙を見た。
その途端、大きく目を見開いて、取り乱したように口を開ける。
「これどこから⁉」
「さっき部屋の床に落ちてたので拾ってきました」
「勝手にやめてよぉぉ‼」
北浜さんが紙を奪い返すより一手早く、河原がさっとこちら側にパスする。
勝手に持ってくるのはさすがにデリカシー無さすぎるだろ……。
と同情はするが、それはそれ、これはこれ。
何が書かれているのか気になるので、内心ではごめんなさいと謝りながら内容に目を凝らす。
くしゃくしゃのノート用紙にはボールペンで図や文字が書かれていた。
これは選書会の準備についての内容だ。
推薦する書籍の配置、PRブースを売り出すキャッチコピー、POPで宣伝する内容など。
その準備に掛けた熱量は、すっぱり諦められるようなものではないことは一目瞭然だった。
「勝手に持ってきたのはごめんなさい。でも、わたし納得できてないです。本当に諦めるんですか?」
「もういいの」
「せっかくこんなにいろいろ考えてるのに」
「――だって無理じゃんッ!」
矢継ぎ早な河原の返事を、北浜さんの叫びが寸断した。
「私だっていろいろ考えたの。でも、どんなに考えたって、どうやったって、結局バカにされるじゃん」
「そう言うってことは、やっぱり悔しいんでしょう?」
「もう諦めたからいいの」
「なんで諦めたんですか?」
「なんでも限界ってあるんだよ」
その言葉に、河原はうんともすんとも答えなかった。
それに苛立つように北浜さんの語気が少し荒くなる。
「みんな『ラノベなんて』って決めつけてくる人たちなんだよ? わかる? 見向きもしない人たちに向けて、どれだけ準備したって分かってもらえるわけないじゃん?」
北浜さんは、悲しみ悔しさも通り越して、開きなおってしまったような薄い笑みを浮かべた。
至極自分勝手な感想だが、天然で子供っぽくて純真無垢が似合う北浜さんには、一番似合わない表情だ。
北浜さんの挑発的な物言いに、河原も煽るように言葉を返す。
「それでも、そういう人たちを説得するのが目的じゃないですか! 見向きもされないなら、どうやって見てもらうかを考えるだけでしょ?」
「そんな簡単に言わないでよ!」
湧きたった感情を追いつくように、北浜さんの頬を涙がつつと伝う。
そして、北浜さんはぎこちなく笑って呟いた。
「……もう、どうしたらいいか分かんない」
そのひと言で、水を打ったようにリビングが静まり返った。
食事の手も止まったまま、沈黙が続く。
俺のカレーはずっと手を付けていない隅っこ部分から固まりはじめていた。
北浜さんの台詞があまりにも痛々しくて、かけるべき言葉がみつからない。
がんばれ、あきらめるな、なんて安易な励ましは既に手遅れだ。
北浜さんは希望も絶望も通り越し、とうに匙を投げてしまっている。
そんな彼女に、いったい何を言えようか。
――だのに、そんな状況で南は平然と俺にコメントを振ってきた。
「だそうです。鳥羽氏、何か言いたいことある?」
空気を読めなさすぎて、もはや別の言語で翻訳ミスしてるんじゃないかと疑うレベル。
そのうえ、河原もじっと俺を見つめてくる。
まさかこいつ、ここで俺にパスする算段だったのか。
お膳立ての仕方が下手すぎて泣きたくなるわ、もっといい誘導の仕方があっただろうに。
ふう、と俺は短く息を吐く。
北浜さんは「もう諦めた」と言っていた。
けれど、その時の表情は未練たっぷりで、まるで諦めがついていないのは一目瞭然。
それなら十分にけしかけてみるだけの価値はある。
「言いたいことは、あります」
息を吸って、俺は何気ない調子で本音を口にした。
「選書会、絶対にやってください」
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