23話 夜の屋上は蠱惑的すぎる(1)

 河原と北浜さんと街に出かけたあの日から2日が経った。

 以来、みんなでダイニングに集まって話をする機会は特になく、誰からも選書会に関する話題は持ち出されなかった。


 そんなわけで、今日も今日とて家に帰っても暇でやることがない。

 やることはないけど部屋に籠もっているのも嫌。

 なので暇つぶしになることを期待して、リビングの据え置きゲーム機を起動させる。


 コントローラーを握って、ゲームタイトルを選ぶ画面を横へ横へとスクロール。

 そうやってプレイするゲームを探す。


 けれど気づいた時にはもうメニューの端っこに着いてしまっている。

 もう一度探せばやりたいものが見つかるんじゃないかと逆戻りしても、やっぱりどれもしっくりこなくて次へ次へと先送りにする。

 そうしてなにも決められないままスタート地点に戻っていた。


 ゲームをまだ始めていないのに謎の疲労感がおそってくる。

 うん、だめだこりゃ。


 そして早々にゲームを諦め、コントローラーを手放した時だった。

 突然、首筋に凍てつくような刺激が走った。


「つめたっ⁉」


 反射的に首筋に手を当て振り返ると、缶のオレンジジュースを両手に持った南がガキみたいな笑顔を浮かべて立っていた。

 

「やーいビビってやんのー」

「変なちょっかいかけてくんな……」

「まーまー、1杯いっしょにいかが?」


 結露で水の滴る缶ジュースを1本差し出してきた。

 ペットボトルの飲みかけならともかく、特に断る理由は無いので「サンキュ」と手を伸ばす。

 するとその手の平にぐいっと重たく缶ジュースを押し付けた南がニッと笑った。


「じゃあちょっと話そうよ」

「いや、なんでそうなる」


 とっさに受取拒否しようとしたが、南は自分の手の平で俺の手の甲を包み込むように缶ジュースを握らせると、あざとく首を傾げて俺の目を見つめて言った。


「女の子とお話する時のサービスドリンク?」

「キャバクラかよ……」

「うーんそれはちょっと違うなあ」


 南はわざとらしく思案顔を浮かべてから、なにを閃いたのか妖美ようびな笑みを浮かべる。


「お兄さんちょっとお茶しない?」

「今度は逆ナンか」

「あながち間違いじゃないかも」


 まったく意味が分からなくていぶかしげな顔を向けた俺に、南はとても優しい声音で魅惑的に返事した。


「だって私、お兄さんのことすっごく気になるんだもん」



 いつかと同じように南とふたりでシェアハウスの屋上に出た。

 屋上から見える景色は、いつかと同じ灰色に塗りたくられた京都の街並み。


 いつかと同じように森の呼気をはらんだ風が髪をさらう。

 けれど生憎の空模様のせいで湿り気を帯びた空気がじっとりしていて、ちょっと気に入らない。


 先に屋上に出ていた南は、建物の最上段を目指してさび付いた梯子はしごを危なげもなくトントン登っていく。


「鳥羽氏は上までこないのー?」

「俺はこっちでいいよ」


 缶ジュースを持って片手がふさがってるくせによくも器用に登るもんだ。

 南が梯子を登り終えるのを内心ハラハラしながら見届けて、俺は屋上に置きっぱなしにされていたパイプ椅子に座った。


 南はというと、最上段の屋根に腰を下ろして呑気に長い脚をプラプラ振っている。


「とりあえずかんぱーい」


 缶ジュースを持った腕をぐっと突き出してくるので、こちらも缶ジュースを持ち上げてジェスチャーで応える。

 堅いプルタブをカシュっと引き開けて一口飲むと、甘さが混じりつつも鋭い酸味が口の中に染み渡った。


 つられて屋上まで来たはいいものの、なにかを口にするきっかけも理由もなく、ただ沈黙を誤魔化すようにチビチビと缶ジュースに口をつける。

 すると景色を眺めている俺の背中に、南の呑気な声が降ってきた。


「それで? 何か話したいことあるんでしよ?」

「べつにこれっていう話は……」

「ないことはないでしょうに」

「そんなこと――」

「あるでしょ」


 反射的に否定しようとした言葉が南の一言で遮られた。

 南はなぜか得意げな調子で続ける。


「だって、鳥羽氏がリビングにずっといる時ってそういう時でしょ?」


 言われて胸の内がざわついた。

 図星をつかれたからだろうか、分からない。

 返せる言葉が見つからず、代わりにオレンジジュースで熱くなった胸を冷やす。


「まーいいや。代わりに私の世間話に付き合ってもらおっと。わたしと話すのが嫌なわけじゃないんでしょ?」

「話につきあうのは別に構わないけど」

「だよね。よかった」


 南はわざわざ胸を撫でおろすような仕草をしてみせる。

 そしてジュースをたっぷり飲んで喉を潤すと、いかにもわざとらしく話を切り出した。


「いやー、それにしてもここ最近は激動の日々だったね」

「……まあいろいろとバタバタしてたな」

「ほんとにねー」


 思い返すとすべては俺が河原のライトノベルを拾ったあの日から始まったのかもしれない。

 実は住人の北浜さんが大のライトノベル好きで。

 巡り巡って北浜さんの選書会を手伝うことになったのだ。


 南も同じようにこの数日のことを思い出していたのか、クスクスと笑って言う。


「私はけっこう楽しかったんだよね。みんなを集めてご飯食べながらいろいろ話すっていうの、実は今まであんまり機会なかったし」

「そうなのか? 意外だな」

「意外とね。シェアハウスってそういうもんだよ」


 南の声が風に乗って遠くへ消えていく。

 そして、またやってきた風に南はしんみりと言葉を乗せる。


「結局わたしたちって他人だからさ。リビングとかキッチンとか住む場所のほとんどを共有できても、時間の過ごし方は共有できないんだよね」

「仕方ないな。トイレとかお風呂の時間が共有できたらすげぇよ」

「それ私とお風呂いっしょに入りたいってこと? どうしてもって言うなら今度いっしょに入らせてあげてもいいよ?」

「ちげぇよ、やめろ色っぽい仕草すんな」

「なーんだこの意気地なし」


 南が自分の身体をかき抱く仕草をして艶めかしい声を出す。

 ちょっと軽口言ったらすぐこれだ。

 おかげでそういう意図は無かったのに、なにか恥ずかしいこと言っちゃった気分になっちゃうだろ。


 そんな茶番を終えて、南がふふっと笑う。

 それにつられたのか俺の口元も少し緩くなっていた。


 穏やかな風がそよそよと吹いて、木々を心地よくさわさわと揺らす。

 その森が静かになるのを待ってから南は再び口を開いた。


「ここ数日は本当に楽しかったよ。一緒にご飯食べるだけじゃなくて、同い年の子たちと悩み相談に乗って、あーだこーだ話し合ったりして。青春って感じ?」

「またそのうち機会はあるだろ。知らんけど」

「そうだね。またいつか、誰かが悩みを打ち明けて、それに応える誰かが居てくれたらね」


 南の言葉はどこか期待を諦めたような響きだった。

 その声があまりにも感傷的で、つい余計なフォローをいれてしまう。


「少なくとも俺は相談に乗るよ。ますは住人の理解が俺のタスクだからな」

 

 それは俺がこのシェアハウスにタダで住まわせてもらっている条件だ。

 家賃を免除する代わりに1年以内に入居者を集める。

 その手始めとしてまずは今いる住人のことをしっかり理解してほしいと南にお願いされたのだ。

 言ってみれば今回の北浜さんの手伝いは、北浜きたはまのぞみという住人を知るきっかけでもあったわけだ。


 そんな風に俺が考え事をしていたせいか、それまでテンポよく続いていた会話のラリーがぴたりと止んでしまう。



 それからしばらく沈黙が続いた。

 そして、不意に南が「じゃあさ」と切り出した。


「北浜さんのことはもういいのかな」


 それは肯定とも疑問とも取れる曖昧なトーンだった。

 肝心なキーワードはどれも欠けていて、その行間をどう埋めるか次第でどうとでも解釈できてしまう。


 俺の手元には最初からそのパズルにはめこむピースがあった。

 けれど、アレンジも大喜利もできないほどに限られた数しか持っていない。


 だから俺は、姑息だと自覚しながら中途半端に理解したふりをして、違うピースをはめ込んだ。

 

「……選書会のことか? 何かあればまた相談にくるだろ」

「いや、それはもう無いんじゃないかな」

「分からないだろ。また本番の前日になって急に相談に来るとかありそうだし」


 南はふらふら揺らしていた脚をぴたりと止め、深いため息をつく。


「やっぱり。鳥羽氏も聞いてなかったか」


 それは思ってもみない反応だった。

 いわれのない不安が胸を締め付ける。


 南は少し間をおいてから、もういちど口を開いた。


「選書会の日程さ、明日らしいよ」

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