21話 女子とのおでかけには波乱が多すぎる(3)
「あれ、もしかして万智じゃん⁉」
気になって振り向くと、河原と北浜さんの後方に女子高生が立っていた。
馴染みある制服姿、つまり同じ高校の生徒だ。
休日だというのに制服を着て、その上には私服であろうパステルブルーのカーディガンを羽織っている。
それにしても、本当に大衆書店にいるのが場違いだと思ってしまうくらいに容姿端麗だ。一言で言えばアイドルみたいな女の子。
「こんなところで万智と会うの珍しくない? ぐうぜーん!」
「偶然もなにも、いつもそっちから絡んでくるくせに」
「その言い方ひどくなーい!?」
どうや河原とこの女の子は旧知の仲らしい。
相手は河原が適当にあしらうに慣れているのか、人形みたいに均整の取れた顔を崩さず余裕の笑みをたたえている。
「えっと、それで」
彼女の目が横にスライドし、一瞬、俺の視線とかちあった。
けれどその視線はそのまま横にずらされ、北浜さんに向いたところでぴたと止まる。
……今すごい鮮やかに無視された気がするな?
「お隣の人は初めましてですよね?」
「あ、初めまして……。北浜です」
「初めましてー。わたし2年の
「あ、うん、そうです!」
初対面の相手に委縮しながらも北浜さんの声のトーンがあがった。
きっと先輩と分かってもらえたのが嬉しかったんだろう。
それはおそらく見抜かれていて、神橋さんは「よろしくお願いします先輩~」などと媚びた台詞で、完全に北浜さんの機嫌を手玉にとってしまった。
やるなこの人、人心掌握の手際が良すぎる。
「それにしても珍しくない? 万智っていつもは男連れてるじゃん」
「あのね、私が男遊びしてるみたいな言い方はやめて。私だって女子といたほうが気楽なの」
「ふーん。まぁ私も今日は似たようなも感じかな。……あ、噂をすれば」
店内の雑音の中に混じって規則正しくタイルを叩く靴音が近づいてくる。どうやら神橋さんの連れが合流したようだ。
「神橋さん、先に列に並ぶなら言っておいてください」
精緻に焼き上げられたガラス細工のような、いやに透き通った冷たい声。
聞き覚えがある声に背筋がゾクリと震えた。
……まさか。
「いやーすみません。ちょっと知り合いを見つけちゃって」
「まあいいです、幸いすぐに見つかったので。それで、そのお知り合いというのが?」
店内を観察するふりをして顔の向きを変え、ちらと視線をやる。
相変わらず校則通り完璧に制服を着用している彼女。
黒いナイロール眼鏡が良く似合う知的なその顔は見間違えようがない。
勘弁してくれ。考えられるかぎり俺たちにとって最悪の2ペアだ。
「お久しぶりです、河原です」
「こ、こんにちは千林さん」
「河原さんと、北浜さんですか。こんにちは」
神橋さんの連れ人がまさか千林だったとは。
先日の選書会で北浜さんが容赦なく叩きのめされた件もある。正直なところ、今一番接触したくない人物だ。
まさかこのタイミングで鉢合わせになるなんて運が悪すぎる。
「万智たちはなに買いに来たの? 私はこれだけど」
神橋さんは国語辞典くらいの厚さがある真っ赤な本を持ち上げて見せた。
表紙に有名国立大学の名が大きく書かれたそれは赤本と呼ばれる大学試験の過去問題集だ。
「2年生から受験勉強はじめるなんて相変わらず用意周到ね」
「本格的に勉強はじめるのはまだ先になると思うけどね。赤本って今のシーズン過ぎると一気に店頭から無くなるんだよ?」
神橋の言う通り、赤本は受験シーズンがある程度過ぎると、霞が晴れたように一気に棚から姿を消す。
2年生のうちに過去問を見ておきたいのであれば、購入のチャンスは今がギリギリ最後だろう。
しかしそんな意識高い学生と違って、北浜さんは選書会のプレゼン原稿ですらギリギリまで準備していなかったような人だ。そんな人が受験勉強を周到に準備しているはずがない。
思ったとおり、北浜さんの口からは「え、そうなんだ……」と頼りない心の声が漏れている。
それに気づいた河原が声をかけた。
「浜さん、一緒に赤本見に行きますか?」
「や、やぁ。まだいいかなぁ……。まだ志望校決まってないし」
照れくさそうに北浜さんが呟く。
すると千林さんがそれに鋭く反応し、求めてもいないのにご講説を垂れはじめた。
「北浜さん、受験勉強を始めるのに早いは無くとも遅いはあるんです。先に赤本で過去問を知っておくのは受験生として基本なのに……あなた受験生としての自覚あるんですか?」
明らかに相手を見下した態度。
この人はいったい何の立場で北浜さんに説教してるんだと口を挟みたくなる気持ちをぐっとこらえる。
今の俺はただ居合わせただけの外野だ。
そんな俺と違って発言権を持っている河原が、言われっぱなしの北浜さんをかばうように口を挟んだ。
「確かに先にゴールを知って備えるって方法は一理ありますけど」
「一理というか、道理です」
「……はあ」
反論もそこそこに千林に言い返され、河原の口からうんざりしたような声が漏れる。
いつも物怖じしない河原が抗戦を諦めるほど高圧的で断言めいた口調は、口には出さずとも異論は認めないと言っているようなものだ。
河原が千林を嫌っている理由の一端を垣間見た気がする。
険悪な雰囲気を察したのか、神橋さんが冗談めかした口調で違う話題を持ち出した。
「そ・れ・で。万智が買いに来たのは……?」
神橋さんの目線が河原の手元に落ちる。
そして、その口から「それマジ⁉」と茶化すような声があがった。
「それライトノベルってやつでしょ? 万智ってそういうの好きだったんだ!?」
神橋さんはまるで弱みを見つけたとでも言うように、喜々とした表情を浮かべている。
けれど河原はそんなこと気にも介さず澄ました声で返事する。
「別に好きってわけじゃないけど、たまには読んでみようかなって思っただけ」
「へー。じゃあだれかの影響だ?」
まるで河原に見せつけるかのように、意味ありげな視線を俺に向ける。
その意図に気づいていないはずがないが、河原はそれに構わず同じ調子でさらりと言い返した。
「まあね。そんなところ」
「ふーん?」
期待した反応が無かったからなのか、神橋さんの顔が若干つまらなさそうなものにかわる。
けれど神橋さんのちょっかいはそこで止まらず、またも煽るような口調で河原に話しかける。
「でもさー、2年はもうすぐ中間試験だよ? 勉強しないとやばくなーい?」
「勉強なら普通にするし。小説の1冊や2冊読んだところでテストの点数なんか影響しないから」
「わーさすが。これだから天才は違うわー」
そこで言葉を切って、神橋さんは矛先を北浜さんに向けた。
「じゃあ北浜さんもそんな感じなんですかー?」
自分の手元を見ていることに気づいたのか、ライトノベルを持っている北浜さんの手がすっと後ろに下がる。
けれどもその手はすぐに行き場を失って、太もも当たりで立ち往生していた。
「私は万智ちゃんみたいに成績良くないけど……。息抜きに読みたいなーって思って……」
北浜さんがそう答えると、それまで黙って聞いていた千林が失笑する。
「息抜きですか。本当に呑気ですね」
「どういう意味ですか、それ」
小馬鹿にしたような物言いに河原が噛みつく。
「勘違いしないでください、河原さんのことじゃないです」
「分かってます。そのうえで聞いてます」
河原はもはや敵対心を隠そうともせず、さっきよりも一段語調を荒げた。
対して千林はシニカルな笑みを浮かべて口を開く。
「受験勉強もろくに始めてないのに息抜きしたいだなんて、ただやる気がないだけじゃないですかってことですよ」
「そんなことは……」
北浜さんが消え入るような声量で否定する。けれど、すぐに千林が言葉を上書きする。
「ないんですか? でも結局そういうことでしょ。そうやって娯楽にうつつを抜かして勉強してないってことじゃないですか」
北浜さんがまだ本格的に受験勉強を始めていないのは恐らく事実だ。
実際、思い当たる節があるのか、北浜さんは完全に顔を伏せて黙り込んでしまった。
そんな北浜さんに代わって、河原が言葉を突き返す。
「お言葉ですけど、勉強のやり方は十人十色です。ましてや受験はどこに向かっていつから頑張るかなんて、他人にどうこう言われる筋合いはないと思いますけど?」
「ええ、そのとおりだと思いますよ」
「だったら」
「私が本当に言いたいのはそういうことじゃなくてですね」
千林はそこで言葉を切り、北浜さんのライトノベルに嫌悪の瞳を向けた。
「そういう
ライトノベルを掴んだ北浜さんの手にぐっと力がこもる。
北浜さんは、何も言わずただこの瞬間が終わるのを耐え忍ぶように顔を伏せている。
そんな姿を見て河原がまた口を開こうとしたが、北浜さんの手がそれを引き止めるように河原の服の袖を弱々しく引っ張った。
だから河原の口から言葉は出ない。
そこに千林の心無い
「このあいだの選書会でライトノベルもためになるとか言ってましたけど、実際こうやって勉強に支障が出てるじゃないですか」
怒りか、悲しみか、悔しさか。
出口を見失った感情が暴れるように、北浜さんの身体を揺らしている。
けれど彼女の口から言葉は出てこない。
「ライトノベルなんて、図書室に置いても百害あって一利なしだと思いますよ?」
北浜さんの手が、足が、震えていた。
大好きなライトノベルが真っ向から汚されている。
だのに彼女の口は開かない。
河原も戦うことより守ることを決めたのか、もう何も言わず北浜さんの震える手を握っている。
何も言い返さないふたりの態度が癪に障ったのか、千林は最後に吐き捨てるように言った。
「そんなにライトノベルを読みたいなら、学校の費用ではなく、どうぞご自分のお金で買って読んでください」
それでも北浜さんは何も口にしなかった。
代わりに河原は「もういいですよね」と言い捨て、北浜さんの手を引っ張りレジ待ちの列から離れていった。
俺はなにを言うべきだったのか。
俺の立場で言えることがなにかあったのか。
店内に消えていくふたりの背中を追いかけながら、俺は自分が言いたかった言葉を探していた。
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