7話 シェアハウスには秘密が多すぎる(3)

「鳥羽氏のそういうとこ、好きだよ」


 南は愛でるような目を俺に向けてそう言った。


 「好き」という言葉を面と向かって言われる経験は人生に何度あるだろうか。

 ましてやその相手がただの友達と思っていた女子だとしたら?


 不覚にも拍動が速くなっているのを自覚してしまう。

 それを悟られないように平静を取り繕いながら俺は訊ねた。


「その好きがLOVEじゃないのはわかってる。その上でだ、『そういうとこ』って何だ? 話を聞いてくれる人なら他にもいるだろ」

 

 その質問を予期していたように南はにっこりと笑う。


「オタクな話も真面目に聞いてくれるところ」

「前にも言ったけど、俺はべつに――」

「オタクじゃないんだよね? だからそういう意味で言い換えるなら」


 そこで言葉を区切った南がすくっと立ち上がる。


「誰よりもオタクの素質があるところ、かな」


 少しだけ高い場所から俺を見下ろしてくる南の顔。

 その頬は春の夕陽な当たって朱に染まって見えた。


「……それのどこがオタクと違うんだよ」

「えー? 全然ちがうよ」


 俺が不服気に言うと、南は子供のように口をぷっくり尖らせ、「私なりの表現になっちゃうけど」と切り出した。


「オタクは好きな何かに熱量を注げる人。鳥羽氏はオタクじゃないけど何でも好きになれる人。だから素質がある人なんだよ」

「俺だって好き嫌いはあるぞ。生のトマトと牛乳はNGだ」

「まーたそうやって軽口言っちゃって~。ず・ぼ・し♪」

「軽口言ったのは認める」


 確かに自分でも、俺は何にでも興味を持てる性格だとは思う。

 実際に中学時代は競技クイズにハマっていたのもそうだ。

 「知らなかったことを知る」のが好き。

 平たく言うと知的好奇心が根底にあるのだと思う。


「けどな、何でも好きになるっていうわけじゃない。単に興味の幅が人より広いだけだろ」


 興味の幅の広さは知識の深さと反比例だと思う。

 だから俺のような熱量のかけ方では、その分野のエキスパートたる《オタク》には愛の深さも知識の深さでも足元にも及ばない。


 そんな風に自戒していると、ふと南がこちらの様子を窺うようにしていることに気がついた。

 俺の口調が知らず鋭くなっていたのかもしれない。

 これは悪いことをしたな。


 俺は「怒ってないぞ」と手を振って本題へと話を戻す。


「百歩譲って俺が好奇心の塊としてだ。それでその俺がなんだって?」

「そんな鳥羽氏を好いとーよ♡」

「唐突なエセ博多弁はやめろ、俺は本家本元しか認めん」


 そんなインスタントなぶりっ子に心を惑わされるはずがない。

 ちなみに、ドラマやアニメでは聞くに堪えないエセ京都弁が聞こえてくることも希によくあるが、あれも絶対に許さない。


 誰に向けてか分からないお気持ちを内心で表明していると、南は「冗談はここらへんにして」と真面目に切り出してきた。


「要するにね、好奇心旺盛で偏見を持たない鳥羽氏だからシェアハウスに誘ったの。家賃免除の条件はその強みを活かしたお願いだよ」

「……そのお願いとは?」


 恐る恐る問うと南が不敵な笑みを浮かべて腕を組む。

 あーこの顔、本当に嫌な予感しかしない。


「鳥羽氏にはこのシェアハウスの住人募集をしてもらいます!」

「は……?」

「この1年で住人を2倍に増やすのがノルマです!!」

「まてまて、急に話が壮大になったぞ⁉」


 俺がシェアハウスの住人募集係!?

 しかもノルマは今の2倍ということは……1年で4人もの入居者を集めることになる。

 そんなのあまりにも無茶苦茶だ!


「ちなみにノルマを達成できなかったらどうなるんだ」

「免除した1年分の家賃と利息を一括でお支払いいただきます」

「マジかよ。そんなの聞いてねぇ」

「実は入居契約書にこっそり書いてありました!」

「こっそりって隠す気まんまんじゃねえかッ!!」


 こちとら苦学生なんだ。

 1年分の家賃をまとめて支払える金銭的余裕なんてあるわけがない。

 狼狽している俺に、南は「まぁ話きいてよ」と落ち着かせるような口調で続ける。


「このシェアハウス、部屋は余ってるのに人がいないって気づいてる?」

「俺の入居面接では『残り一部屋しか残ってない』って煽ってなかったか?」

「あー。あれは何と言うか、言葉の綾?」

「それを世間では嘘って言うんだよ!!」


 けろっとした顔で言う南に反省の色はなし。

 チクショウこのアマ覚えとけ!?


「実はこのシェアハウスにはけっこう歴史があるんだけど、今はぶっちゃけやばいの。このままだと住人が少なくて閉鎖することになるかもしれない」

「単純に認知度が足りないんじゃないのか? もっと大々的に宣伝すればいいだろ」

「それはそうなんだけど、このシェアハウスのことはあんまりオープンにしたくないんだよね」


 南がきまり悪そうに頬をかく。

 ふむ、何か事情があるのだろう。

 俺は一旦口を閉ざして続きを促すことにした。


「ここはね、昔から人には言えない趣味や秘密がある人達が住んできた秘密の学生寮なの」

「だろうな。ただの学生寮がこんな混沌カオスでたまるか」

混沌カオスかあ。言い得て妙ですな」


 例えばリビングに釣られた馬の被り物が最たる例だ。

 他にも年代物の漫画、美少女フィギュア、ポスターなどなど、このシェアハウスのリビングは色んなジャンルの趣味をごった煮にしたような空間になっている。


 そして、そのどれもが先人の残置物おもいでだという。

 つまり多様な趣味を持った先輩たちがこのシェアハウスで生活し、卒業していったということだ。


「これまでは紹介制で入居者を集めて来たの。だからあんまり大々的か告知はしたくないんだよの。今の住人とちゃんと仲良くなれる人じゃないと私も困るし」

「それで言うと、俺は大丈夫だったのか?」

「それは心配してないから大丈夫」


 あまりの即答に思わず怪訝な顔をすると、南はコテンと小首を傾げてこちらを見る。


「鳥羽氏って人畜無害でしょ?」

「なんか男の沽券に関わること言われた気がするが……前向きに捉えておく」

「うんうん。褒めてるからね~」


 本当はからかってるだろと目で訴えたかったが、南は明後日の方向を向いて華麗にスルー。

 そこを追及しても仕方がないので、その代わりにふと湧いた疑問を口にした。


「募集係を新参の俺に任せて大丈夫なのか? シェアハウスのことちゃんと理解してる南の方が適任だろ」

「それは正論なんだけど。今となっては中の人になりすぎちゃってる気がして、我ながらちょっと保守的すぎかもって感じたんだよね」


 言いながら、南は長くはない髪を触ってたははと笑う。

 年頃の女子の純粋な恥じらいを見ているようで、なんだかこっちまで恥ずかしくなってくるので、俺は早々に言葉を継ぐ。


「だからよそ者である俺に白羽の矢を立てたってことか」

「そういうこと。まあでも、鳥羽氏は気張らずにのんびり人探しをしてちょうだいな」


 軽いトーンでそう言うと、「重く受け止めなくていい」というメッセージを込めるように、南は両腕を空に突き出してぐーっと身体を伸ばす。


「まだ急がなくていいからさ。まずは今住んでる子たちと仲良くなってほしい。むしろそっちの方が大事だからね」

「もちろんだ。共同生活をするんだから仲良くさせてもらうよ」

「仲良くなるだけじゃなくて、ちゃんと理解してあげてね?」

「理解する?」


 俺の問いに南はうんと頷くだけだった。

 意味は察しろということか。

 深い意味はわからないが、相互理解は人間関係の基本だな。


「……わかった。まあやってみるわ」

「うん、よろしくね!」


 1年でシェアハウスの住人を倍増させる。

 たったひとりの男手で果たしてそれが可能なのか。


 多少の心配はあるが、家賃がかかっているからやるしかない。

 それにシェアハウスをどうにかしたいという南の思いを知った以上、その気持ちを無下にはしたくない。

 やれるだけやってみようじゃないか。


「念の為の確認だけど、本当に家賃免除でいいのか?」

「じゃあ入居者を見つけられなかった月は家賃請求しようか?」

「すみません今のご厚意に甘えさせてください」


 自分で言っておいてなんだが今更そんな制度に変えられたらたまったもんじゃない。

 本来はそれが当たり前ではあるんだけどね?


 俺の手の平返しに笑いながら南が口を開く。


「私としては鳥羽氏が来てくれてウェルカムなんだよ」

「お前、そんなに俺のことが……」

「これで掃除片付け重労働から解放される!」

「待てそれは聞いてない。男女平等に仕事は均等割りだろ!?」

「そういう抗議は他の住人も含めてお願いしまーす!」


 俺の異議申し立てはスルリとかわし、南は「寒くなって来たから戻ろー」と軽快に梯子を降りていく。

 やっぱりこいつにはいつも振り回されっぱなしだ。


 俺も屋上から降りようと立ち上がる。

 そのとき目に映ったのは、一面がオレンジ色に浸る夕焼けの街並みだった。

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