6話 シェアハウスには秘密が多すぎる(2)
南に連れられるがままシェアハウスの内階段を上がっていくとと、そこは住人の個室が並んでいるフロアになる。
もしや女子の……南の部屋に案内されるのか!?
と思ったが、どうやらそうではないらしい。
扉がズラリと並ぶ廊下を素通りし、南はさらに上へと続く階段を登っていく。
その先にはアルミ材の簡易なドア。
南はその前に立つとカチャリと鍵を開けて外に飛び出した。
どうやらここは外に繋がっているようで、開かれた扉の隙間からビュウと涼しい風が吹き込こんでくる。
「風強いかもだから。気をつけてね」
外に出て真っ先に視界に飛び込んできたのは、鮮やかなグリーンと薄いオレンジ、それとちょっとグレーが混じった京都市内の街並みだった。
ここは4階建てのシェアハウスの屋上だ。
周囲に大きな遮蔽物はなく、裏手にある豊かな森と広い春空、その下に大小の建物が薄く広く並んでいる景色が一望できる。
「エモいでしょ」
上から声がして見上げると、南はいつの間にか
俺も南にならって梯子を登りその隣に腰を下ろした。
「お世辞抜きでいいところだな。空気も綺麗だ」
「でしょ? ここで夜に星の光と森の空気をつまみにして吸うタバコは最高よ」
「タバコ吸ってるのか!?」
「たまに来るOGの先輩の受け売り」
「なんだそういうことか」
風が吹いて森の木々がさわさわと音をたてる。
空気はまるで自然から生まれたばかりのように澄んでいて、本当に美味しいとすら感じる。
空気をつまみに吸うタバコの味は知らないが、この場所で大人が一服する姿はなんだか様になっている気がした。
「それで、なんでここに来たんだ?」
わざわざ話す場所を変えるなんて不自然だ。
南はふだんから行動原理がよくわからないところがあるが、それにしたって今の流れはあからさまに怪しい。
「せっかちだねぇ。じゃあ特別に答えてしんぜよう」
木々を揺らしていた風が
南は遠く街並みの方に目を向け、再び口を開いた。
「ここは特別な場所だから。ちょっと特別な話をするならここがいいんだよ」
それは思いのほかしんみりとした口調だった。
俺はなんと返せばいいか言葉が見つからず、意味もなく街並みを眺める。
俺の返事を待ってか待たずか、南は唐突に質問してきた。
「ここから見える景色ってどう思う?」
「なんだ急に。普通に答えればいいのか?」
「普通に聞いてる。大喜利したければ構わないけど?」
「それは遠慮しとくわ……」
あらためて柵の向こうに広がる京都の景色を見渡す。
目を凝らすと、遠く向こうのビル群のすき間から京都タワーがちょこんと頭を出しているのも見えた。
「無難な言い方だけど、京都って広いなって感じだな」
「そっか、そうだよね」
言葉とは裏腹に、南の声音はつまらなさそうな響きがあった。
南はまたポツリとつぶやくように話しはじめる。
「京都の街って高層ビルがひとつもないよね」
「まあ、そうだな」
「実はね、神様がナイフで切り
「いやどっちでもないだろ。普通に景観条例があるからだろ」
至極当然に「何いってんだコイツ」というトーンでツッコまれたのが気に障ったのか、南は一瞬ムッとした顔を浮かべて続ける。
「まぁそんなわけでね、京都って広い空も平たい街も、ずっと昔のまんまなんだよね。お寺も神社もビルに埋もれず残ってるし」
「古き良き京都らしい景観を保ちましょうって条例だからな。意図した通りのまちづくりになってる証拠だ」
「そうそう、これこそ京都らしい景色なのだーってね」
南はどこか投げやりに溜め息混じりの声を出すと、今度はポツリと漏らすように呟いた。
「……で。その『らしさ』っていったい何?」
その問いにとっさに答えられる解は持ちあわせていなかった。
けれど南の言うことは何となく分かる気がして、俺は沈黙を選ばずに「らしさねぇ」と意味もない言葉を絞り出す。
そんな苦し紛れの独り言を掬い上げるように南は続けた。
「別に景色に限ったことじゃなくてさ、世の中には『らしさ』が溢れてるんじゃないかなーって、そう思わない?」
「先生がよく言う『高校生らしくしなさい』ってやつとか?」
「そんな感じ。そういう『らしさ』から外れた趣味嗜好とか、あと夢とか。そういうのがバレると、あいつは変だーって指さされちゃうわけですよ」
照れ隠しだろうか、南は明後日の空を見やってあははと笑う。
南とはもう1年以上の付き合いだが、彼女がこんなストレートな表現を使うのはいやに珍しい。
最初はやけに青春くさい話題を振って来たなと思っていたが、なるほどようやく話の展開が見えてきた。
きっとこれは南のお悩み相談なのだ。
自分の趣味か、もしくは将来の進路のことで悩んでいるってところだろう。
話す場所をわざわざダイニングから屋上に変えたのは、他の住人に聞かれたくないからだと考えれば合点がいく。
騙し討ち立ったとはいえ、俺がこのシェアハウスにタダで住めているのは南のおかげだ。
その恩返しというわけではないが、ここは素直に相談に乗ってやるのが人の道理だろう。
「ったく、最初から素直に言えよ。何に悩んでるんだ?」
「ちがうよ?」
「え、違うんかっ⁉」
なに言ってるのコノヒト?と残念な人を見る目を向けられる。
だって雰囲気が良い感じの屋上だし!
ちょうど
しんみりされたら真面目な身の上話かなって思うじゃん!?
だがそれはまるっきり俺の勘違いだったらしい。
穴があったら入りたい。
というか今すぐ自分の部屋に戻って明日まで閉じこもりたい。
ちょっと調子に乗ったことを後悔していると、こちらの気などお構いなしに南はからかうような声で言う。
「でも私の夢が気になるなら教えるよ?」
「別に気になるわけじゃ……いや言われてみれば気になるな」
以前に南は芸術系の大学を目指してると聞いたことがある。
自分の人生ではきっとこの先も縁がないだろう世界。
そこに進路を目指す同年代の人間が将来に何を見据えてるのか、それは素直に気になる。
俺が素直に答えると南は満足気に頷き、「よろしい教えてしんぜよう」と大仰に切り出した。
「実はわたし、エッチな同人誌で新たな芸術の世界を切り開くのが夢なんだよ」
「それは……」
「――どう驚いた?」
またいつもの冗談かと勘繰りかけたが、「そうじゃない」と一瞬で思い直した。
顔を見ればすぐに分かった。
彼女がいつも冗談を言う時はヘラリと笑っている。
だけど今の笑顔はどこかいつもより丁寧に作られているように見える。
一度は軽口を言いかけた口を閉ざし、今度はちゃんと思った事をそのまま口にする。
「お前が詩とか小説に興味があっていろいろ創作してるのは前から知ってた。けど漫画も描けるのは知らなかった。すげえな」
俺は南が書いた詩を読ませてもらったことがある。
独特の言葉遣い、行間に意味を含める詩のスタイル。
素人の俺にはどんな意味が込められているのかは分からなかったが、そこに何かが込められていることは確かに感じる、そういう作品だった。
その才能が次元の壁を越え、漫画という別ジャンルの創作にまで手を広げているのだから驚きだ。
南の変人さは、こういう天才さの一端なのかもしれない。
……なんて、思いの丈を本人に向かって語る勇気は流石になく、そっと相手の反応を伺ってみる。
すると、なぜか南は口元を手で押さえたまま、小刻みに身体を揺らして笑っていた。
「は? なんでお前が笑ってんだ⁉」
「……ちがっ、ごめんっ、そうじゃないくて、タイムっ!」
ひとしきり身体を揺らして笑ったあと、最後に残っていた笑いをふうと吐き出してようやく落ち着きを取り戻す。
「で、なんでお前が笑ってるんだ。何か変なこと言ったか」
「ごめんごめん。いやあ、変と言ったら変、かなあ。でも変だから笑ったんじゃないんだよ?」
「意味がわからん。結局なんでなんだよ」
「鳥羽氏の答えがあまりにも思った通りすぎたから」
思い出し笑いなのか、南はまたふふっと息をこぼす。
「だって他の人なら『そんな趣味あるの?』みたいな感じでドン引きするよ?」
「創作センスが皆無な俺からしたら、文章も絵もかけるなんてすごいことなんだよ」
「だから笑わせないで、ほんと、どこまで真面目なのさっ!」
南は息を切らすくらいに思う存分に笑い続けた。
それから空気をゆっくり吸って吐いて、息を整えて。
それでもまだ目尻に残っていた笑い涙を指で拭うと、ようやく口を開いた。
「鳥羽氏とは1年生の時からずっと同じクラスだけど、やっぱりそういうクッソ真面目なところは変わらないよねえ」
「1年やそこらで人が変わるわけないだろ」
「いやいや、鳥羽氏はけっこう変わったと思うよ?」
猫のようにコロコロと笑い、犬のように人懐っこい笑顔を浮かべて南は続ける。
「入学したての時は、ぶっちゃけめーちゃくちゃ話しづらかったもん。けど文化祭のときくらいから少し話しやすくなった」
「言われてみれば、南が俺に絡んでくるようになったのってそれくらいの時期だったな」
「なにその言い方ー? デリカシー無い! 変態、スケベ、童貞!」
「その悪口はどうなんだ……」
苦笑いしてツッコむと、南はテヘと拳を頭にぶつけて見せる。
「きっと鳥羽氏の中で何かあったんだよね。雰囲気が丸くなったって言うか、人の話を聞くようになったと思う」
「高校生の多感な時期だ。日々成長してるんだよ」
「何がきっかけだったの? ……って聞きたいところだけど、今はそれはいいや。私の適当なトークを真面目に聞いてくれるからそれで良し!」
「割かしいつも『こいつ頭おかしいだろ』って思いながら聞いてるけどな」
「あ、そういう言葉責めプレイはノーセンキューでーす」
照れ隠しの俺の軽口に南は指でバッテンを作って受け流す。
「でもさ、鳥羽氏はいつも人の話をちゃんと聞いてるよ」
そして、少しの沈黙の後。
南は柔和な笑みを浮かべてぽつりと呟いた。
「鳥羽氏のそういうとこ、好きだよ」
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