5話 シェアハウスには秘密が多すぎる(1)

 シェアハウスに入居してはや1ヶ月が経過したある日の放課後。


 俺は春の日差しでほんのりと温められたダイニングテーブルにひじをつき、「未来人」とプリントされたパーカーの背中に向かって愚痴をぶちまけていた。


「今日もマジで疲れた……」

「はいはいおつかれー」


 そいつは感情を1ミリも含まない返事をよこすと、呑気に鼻を鳴らしながら共用の冷蔵庫を開けた。

 慣れた手付きで取り出したのは2Lのオレンジジュース。

 その場でキャップを開け、ボトルの口を淡く健康的なピンクの唇のきわまで近づけると、白い喉がコクコク鳴らしながらだいだい色の果実液を滝のように流し込んでいく。


 一気に6分の1ほど飲むと、彼女――桃山南は、ようやく水分補給を中断して俺の正面の席に腰を下ろした。


「まずは疲労回復にオレンジジュースでも飲む?」

「遠慮しとく。それ思いっきり飲みかけだろ」

「口付けてないけど……、むしろ口付けた方がいい?」


 南は蠱惑的こわくてきな微笑みを浮かべて、飲んでいたペットボトルをグイグイと押しやってくる。

 そもそも滝飲みなんてできないし間接キスもお断りだ。

 俺はしつこく勧めてくるオレンジジュースを両手で押し戻す。


「せっかく思春期の女の子と間接キッスのチャンスなのにね」

「だったら尚更なおさらだ。もっと大事な時のためにとっておくわ」

「この純情ちゃんめ~」

「うるせえ」


 俺が適当にあしらうと、南はようやくオレンジジュースを引っ込めた。今日はいつもに増して絡み方が雑だ。


 南は「さてさて」と場を仕切りなおして再びしゃべり始める。


「そういやここに引っ越してきてどれくらいだっけ」

「もうすぐ1カ月だな」

「じゃあシェアハウス生活にはもう慣れた?」

「慣れてない感覚には慣れてきたって感じだ」


 先生の紹介で住むことになったこの家。

 対外的には学生寮となっているが、実態はシェアハウスと言った方がしっくりくる。

 守衛さんの見回りはなく、食堂などの福利施設も無い。

 家賃や水道光熱費の管理は先生経由で管理されているが、逆に言うと管理されているのはお金くらいのものだ。


「それでもけっこう順応早いよね。シェアハウスって独特の空間だと思うけど」

「そうだな、まだまだ訳わかんないことばっかだし」


 特にこのシェアハウスでとりわけ異彩を放つ装飾品がひとつある。


「前から気になってたんだけど、壁に馬の顔がぶら下がってるあれは何なんだ? 誰かの趣味?」


 指さしたのは、シリコン製のが被せられているウォールライト。

 一応電気はつくので明かりとしての機能を果たしている。


 ……果たしてはいるのだが、日が沈んで暗くなると馬の生首が暗闇でぼうっと浮かぶ。

 控えめに言ってもホラーでしかない。


「前の住人が文化祭のコスプレで使ってた物って聞いたけど、今は電球と癒着ゆちゃくしちゃって取れないんだよね」

「マジでカオスな空間だな……。よくここを人に紹介しようと思ったな」

「鳥羽氏のキャラなら大丈夫だろうって思ってたけどね」

「たぶん褒められてないけど褒め言葉だとしても嬉しくねえ」


 俺が口をへの字にして言うと、南がアハハと笑って続ける。


「でも1年間の家賃がタダだよ? ぶっちゃけ美味しい話と思わない?」

「タダより安いものは無いって言うけどな」


 思わずツッコむと南は「正解」とでも言うように右手で丸を作って見せた。

 さてはお金の意味とダブルミーニングだろ。どこまでも皮肉られてる気がする。

 

 しかし実際のところ、ありがたい話ではあるのだ。

 管理人の先生の遠い親戚にあたる南の厚意があって、俺の家賃負担は1年間無しということになっている。


 ただし、絶対になにかがあるはずだ。


「それで、俺の家賃免除にはなにか条件があるんだろ?」

「さすが鋭いね」

「やっぱりな。そろそろ教えてもらわなきゃ心配だぞ」

「そうだね、もう話してもいい頃合いかな」


 考え事をしているのか南は目線をテーブルに落とし、指先でペットボトルをつんつんつつく。

 しばらくすると、思い立ったように「よし」と声を上げた。


「ちょっとついてきて?」


 そう南に促されて、俺はリビングを出た。

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