11話 方言女子は強すぎる
シェアハウスのリビングは文字通り壁一面が巨大な本棚に覆われている。
俺はその前に立ちギッチリ詰め込まれた本の背表紙に目を走らせていた。
規則正しく並べられている図書館のそれとは違って、シェアハウスの本棚はまさに無法地帯。
そこにあるどの本も過去の住人のお荷物なので、ジャンルに統一性などあるはずもない。
このカオスな本棚は、言うなればシェアハウスを共有してきた先人たちの遺産でできた巨大なモザイクアートだ。
そんな中から、俺はあわよくばお目当ての本が置かれているのではないかと思って目を凝らしている。
すると下段の方に探していたそのタイトルが目に入った。
赤地の背表紙に白い字で『涼宮ハレノヒの憂鬱』と書かれたその小説。
間違いない。
北浜さんが推薦する作品のシリーズ第一巻だ。
「あ、それ……」
誰もいないはずのリビングに声がした。
顔をあげると、入り口のところに北浜さんが立っている。
その視線は俺の手元、正確にはライトノベルに向けられているようだ。
「涼宮ハレノヒ、読むの?」
「これから読もうと思ったところですけど……もしかして北浜さんの本ですか?」
「そうだよ。でも読んで大丈夫。誰でも読んでいいからリビングに置いてあるんだし」
「ありがとうございます。北浜さんも何か本を探しに?」
「わたしは気分転換に部屋から降りて来ただけ! 気にしないで!」
北浜さんはそのままリビングを通りぬけていった。
冷蔵庫をゴソゴソとやり始めたからなにか飲み物でも探しているのだろう。
本は自室に戻ってから読もうと思っていたが、さすがに持ち主の目の前で部屋に持ち出すのは気が引ける。
たまにはリビングで読むのも悪くないか。
シェアハウスのリビングには大きな窓が付いていて、心地よい風が部屋全体にいきわたるから自分の部屋より快適だ。
他に誰もいないので、で今日は贅沢にリビングを独り占めできる。
俺はシェアハウスのソファにふわりと身を預け、丁寧に表紙をめくり、空想の世界に潜るため活字の水面をなぞり始めた。
*
物語がようやく佳境に入ったころ。
誰かの……というか、十中八九、北浜さんの気配を感じて読書に集中できない。
俺は意を決して不意打ちのつもりで大仰に振り返った。
「あの、何かご用ですか?」
「え!? 別に何も! 逆にどうかした!?」
思ったよりめちゃめちゃ近くに北浜さんの顔があった。
どれくらい近いかと言うと、座っているソファのすぐ後ろに張り付いているくらい近い。いや近すぎるでしょ!?
さっきからバニラみたいな甘い香りがふわふわと鼻腔を撫でるのでたまったもんじゃない。
「さっきから視線を感じるんですけど……」
「あー、いやー、気のせいじゃないかなー」
「気のせいじゃないですよね? どうしたんですか?」
頭脳は大人な小学生探偵よろしく「あれれーおかしいぞー?」と純粋無垢を装って問い詰めると、北浜さんの目がスイスイと泳ぐ。
うん、この人は絶対に犯人には向いてない。
北浜さんは誤魔化すのを諦めたのか、恥ずかしそうに目を伏せ、心なし頬を朱に染めて小さく口を開けた。
「実は鳥羽くんのことが気になって……」
「俺のことが⁉」
「って違う違う! そういう意味じゃないから!!」
北浜さんはシュパッと瞬時に距離をとり、ワチャワチャと手を振って否定する。
顔が熟れた桃みたくピンクに染まっていて可愛い。
……いや、言葉の綾だって分かってるけどね?
でも男の子なんだもん、ドキッとしちゃうじゃん?
北浜さんはなおもアワアワした様子で弁明を続ける。
「ハレノヒを読んでるのが気になるってことだから!! 自分の好きな本だから面白いと思ってくれるかなぁって心配になるじゃん⁉」
「そういうことですよね。……マジでビビったぁ」
俺がシェアハウスに引っ越してきてまだ1ヵ月。
しかも、北浜さんとは学年が違うので特に交流の機会は少なく、冷静に考えればそんな人から急に告白されるなんて不自然に決まってる。
ともあれ勘違いで一安心だ。
……と思っていたが、なぜか北浜さんが恨めしそうな眼で俺を睨んでいた。
「ねぇ。『ビビった』ってどういう意味?」
「……わざわざ説明するの普通に恥ずかしいんですけど」
「ねぇどーゆう意味?」
目がマジだ。
どうやら地雷を踏んだらしい。なんでそんなところに地雷が埋まってるんだ。
今からでも入れる保険が……あるはずないので、俺は羞恥心をできるだけ隠して茶化すように答えた。
「てっきり告白されたとか思ったんですよ。こんな綺麗なお姉さんに告白されたら誰でもびっくりしまって」
「ふーん。鳥羽くんは私に告白されたらびっくりするんだ?」
「それにほら、ここシェアハウスですし……」
「ふーん」
自分でも何の言い訳をしているのか分からず、あはは……と乾いた笑みで話題を流すしかない。
仮にシェアハウス内で色恋沙汰を起こそうものなら、きっとこうなる。
河原「北浜さんをたぶらかしたんでしょ」
南「弱みを握って付き合ったんじゃない?」
つまりシェアハウスを出禁になる。Q.E.D. 証明完了!
実際のところ南は冗談半分で笑いながら認めてくれそうな気もするが、河原にはクソ真面目に説教されそうだ。
このシェアハウスって女天下だからなあ。
そんな益体のないことを考えていて、すっかり沈黙が続いてしまったので、俺は気まずさを紛らわすためにとにかく口を開いた。
「そういえば本の感想が気になるんでしたっけ? まだ半分くらいしか読んでないですけど」
「そうそう! ちなみに今のところはどんな感じ?」
「ふつうに面白いと思います」
色眼鏡なしに面白いと思える作品だ。
やはり傑作やら金字塔やらと呼び声が高いだけはある。
素直にそう答えると、険しかった北浜さんの表情が少し和らいだ。頬がフニャッとしていて可愛い。
「どこらへんが面白かった? 具体的に!」
「有名なシーンですけど、やっぱり教室での自己紹介ですかね。あの一言で一気に引き込まれましたし」
「他には!?」
「一人称の地の文とキャラクターの会話が連動している書き方とか斬新だなって思います」
「からのっ!?」
「やっぱりキャラクターデザインがどれも可愛い……とか?」
これはちょっと凡庸すぎる感想だったか?
自分で言ってから心配になったが、北浜さんは感心した様子で大仰に頷いている。どうやら杞憂だったようだ。
「そーなの! よくわかってるじゃん鳥羽くん‼」
「お褒めにあずかり光栄です?」
「くるしゅうない!」
北浜さんのノリに合わせてみたが、なんだこれ。
普段の様子と違ってやけに偉そうな口ぶりだな……と思ったが、そういえばこの人は先輩だった。
河原や南がいつもタメ口で話しかけてるからついつい忘れがちだ。
北浜さんはいつもの天真爛漫さを取り戻し、饒舌に作品のことを、というか、登場するヒロインの魅力を語り始めた。
ヒロインの涼宮ハレノヒがいかに美少女なのか。
サブキャラの未来人ちゃんがいかに尊いのか。
などなど……。
かれこれ5分くらいご高説を頂いたが、ぶっちゃけ途中からついていけてなかった。
終わってみると話の三分の一くらいしか頭に残っていない気がする。
けれど語っている北浜さんの顔は今で見たことがないくらいの満面の笑顔で、それだけはしっかりと脳裏に焼き付いていた。
「本当に涼宮ハレノヒが好きなんですね」
「え?」
リアクションされてから、無意識のうちに自分の心の声が漏れていたことに気づいた。
我ながら照れ臭くなって、言い訳になるかどうか分からないまま言葉をつなぐ。
「北浜さんの話を聞いてると、本当に好きなんだなーって伝わってきたので」
「そっか。まあたしかに好きなんだけど、恥ずかしいね」
「恥ずかしがらなくてもいいじゃないですか。それこそ選書会の推薦も今みたいな感じで発表すればいいんじゃ?」
「ううん。それはダメ」
きっぱりと北浜さんは否定した。
首を横に振る仕草は照れ隠しなんかじゃない。
明確な否定の意思がこめられていると見て取れる。
「今ので共感してくれたなら、それは鳥羽くんだからだよ」
「そんな大げさな。選書会に参加するのは図書委員の人たちなんでしょ? きっとみんなにも伝わりますよ」
俺の安直な励ましを北浜さんはふるふると頭を振って拒絶する。
「そうもいかないんよ。うちの図書委員って、古典とか最近流行りの受賞作家の作品とか、みんなそういう作品が好きなの。ライトノベル好きって人とはまだ会ったことない」
気づくとその表情から笑顔は消えていた。
北浜さんはわざと俺から離れるようにもう一つのソファに座り、握っていたスマホの画面をつける。
けれど、何かを触るわけでもなく再び画面は消えた。
「言ってなかったかもだけど、わたし高2の途中から京都に引っ越してきたの」
「初めて聞きました。それまでどこに?」
「佐賀だよ」
「九州の太い県境と言われるあの佐賀県……」
「せからしか(やかましい)」
すげぇほんまもんの佐賀弁や。
軽口で少しは心にゆとりができたのか、北浜さんは穏やかな口調で続ける。
「佐賀ってすっごい田舎なんよ。ご近所はみんな仲いいし、街まで買い物に行った帰りに、偶然会ったお隣さんの車に乗せてもらってたし」
「それはまたディープなエピソードですね」
「うん。こっちじゃ普通じゃないってようやく分かってきました……」
その辺りの感覚のチューニングは河原にやってもらったんだろう。
冗談を抜きにして、北浜さんなら見知らぬ男の人にそそのかされてホイホイ車に乗っちゃいそうな気がする。
……さすがにそこまで天然ではないと信じたいが。
「ずっとそんな環境に住んでたし、友達を自分で増やす必要とかほとんどなかったんよ。ずっと同じ子たちと遊んでればよかったもん」
北浜さんが手の中で温めていたスマホの画面をそっと撫でる。
真っ黒だったスマホが白く点灯し、今の時刻だけを映してまた真っ黒に戻る。
「でも親の都合で高2の夏に転校することになっちゃった」
「……あまりこっちには馴染めてないですか?」
「うーん、どうかなぁ」
「じゃあ京都は嫌いですか?」
「京都は好き。でも高校生も半分過ぎてから転向してきたから。ぜんぜん違う雰囲気の子たちと仲良くなるのって結構むずかしいよね……」
空っぽの元気から絞り出したような未完成の笑顔を見ると、なぜだか胸がきゅぅと締め付けられる感覚がする。
同じ日本であっても方言も文化も異なれば異界の土地だ。
そのうえ、高校2年生の夏と言えば既にクラスの友達作りが固まっているような時期。
そんな中で、もし北浜さんが友達を作ろうと頑張っているのだとしたら彼女のアプローチ先は自ずと決まってくる。
同じ趣味をもった人たちに狙いを定めて仲良くなることだ。
「もしかして北浜さんが選書会でライトノベルを推薦する本当の目的って、同じライトノベル好きの友達をつくるためとかですか?」
「バレちゃったか……。まあ今の話すればわかっちゃうよね。たぶん万智ちゃんにもバレてるし」
「さすが保護者」
「一応わたしのほうが先輩だからね?」
「わかってますって、セ・ン・パ・イ」
「がっぺむかつく(めっちゃ腹立つ)」
要所要所でキレのいい佐賀弁を放ってくるのズルいなぁ可愛いなぁ。
なんて言うとまた確実に怒られるのでぐっと我慢する。
「とにかく選書会の推薦プレゼンは何としても成功させたい。それでライトノベルも面白いねって言ってくれる友達をつくりたいんよ」
「それこそプレゼンが上手くいけば一石二鳥ですね」
「うん」
北浜さんの本命はライトノベルの魅力を周りの人に知ってもらうことだ。
たしかに選書会のプレゼンは作品の布教に絶好の機会。
涼宮ハレノヒは人気のあるシリーズだし、北浜さんの作品に対する愛も深い。
あとはきちんと推薦内容を準備すれば上手くいきそうな気がする。
「それじゃ、明日の予行演習も頑張らないとですね。俺も何か参考になるようにプレゼンのネタ考えておきます」
「そっか、鳥羽くんもその準備してるんだった! 邪魔してごめんね」
「リサーチはもう終えてますし大丈夫です。ちなみに北浜さんはもう原稿できてるんですか?」
「いっちょんしとらん……」
「やってないんかい!」
その後も北浜さんはぐずっていたが、「河原に密告しますよ?」と脅してみると、身をひるがえして自室に戻っていった。
マジで河原に何を握られてるんだあの人……。
さて、いよいよ明日がシェアハウスでの予行演習の日だ。
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