9話 はじめての緊急集会(3)

 河原のスマホがメッセージを通知してから、まだ最後の住人が返ってくるまでには幾分か猶予がありそうだったので、俺は先に夕食を終わらせることにした。


 カップ麺をズルズルすすり終え、最後のスープを残すかどうか……。

 と迷っていたその時、ちょうど玄関の扉が開かれた。


「ただいまぁ……」


 蚊の鳴くような声でリビングに入ってきたのは、シェアハウスのもうひとりの住人、北浜希望きたはまのぞみ先輩だった。


 今日も校則をきっちり守った制服の着こなしで、3年生を示す赤色のリボンは整えられているし、ブレザーまでも押し上げる立派な双丘は名状しがたい形の良さ。

 ……何がとは言わないが、Fくらいはありそう。


「北浜さん、どうかしたんですか?」

「うん。まあ、ちょっと……」


 北浜さんと目が合ったが、すぐさま気まずそうにそらされてしまった。

 明らかに今日は様子がおかしい。

 いつもの北浜さんを一言で表現すれば《天真爛漫の権化》。

 まるで咲く時期を選ばないひまわりみたいな人なのだ。


 そんな北浜さんのはずが、普段の元気な姿は嘘だったかのように背中を丸め、キッチンとダイニングの境界線で棒立ちになっている。


 だがゆっくりと上がっていった視線の先に河原の姿を見つけると、まるでお母さんの胸に飛び込む幼稚園児が如く、一直線に駆け寄ってその胸に飛び込んだ。


「万智ちゃんどーしよぉぉ」

「とりあえず涙拭いて、そして落ち着いて」


 北浜さんがお腹にガッシリしがみつくのを引き剝がそうとしているが、まったく離れる様子が無い。

 次第に河原の手つきが乱暴になってきた気がする。

 これは内心怒ってるやつだ。

 着替えたての服を涙で汚されちゃってるからなー。


 女性陣の取っ組み合いを傍観していると、河原は方針を変更。

 今度は言葉で北浜さんを懐柔かいじゅうしようとしているらしい。


「大丈夫ですよ、みんな浜さんの話聞くために待ってたんだから。ね、何があったか皆に相談しよう?」

「うん……分かった」

「はい、じゃあほら席に座って」

「うん」


 河原が長い茶髪を手で梳かすように北浜さんを優しく撫でる。

 しばらくすると北浜さんは落ち着きを取り戻したらしく、手近にあった椅子を引き寄せてやっぱりほぼ河原と密着する距離で着席した。

 どんだけ河原のことが好きなんだ。犬か。


 ちなみに南は、北浜さんが着席するなりオレンジジュースを差し出して「これでも飲んで落ち着いてくださいな」とか言っている。

 こいつはオレンジジュースが心身の疲労回復に効く万能薬か何かだと思っているんじゃなかろうか。


「実は……来週に選書会があるの」


 北浜さんはぽしょりと呟くと、床に置きっぱなしだったスクールバッグをズリズリ引き寄せて中身をごそごそと漁り始めた。

 いったい何を探してるのかと様子を伺っていると、横に座っている南が不意に耳元で囁くように質問してきた。


「センショカイって何?」

「たぶん新しく図書室に置く本を選ぶ会のことだな。司書さんの仕事を手伝って書籍を選定する会、とかだと思うぞ」

「ほえーなんか楽しそうなイベントだね」


 そうこう問答しているうちに、北浜さんはお目当ての物を見つけたらしい。

 バッグから取り出してテーブルに広げられた1枚のプリント。

 その表題には「書籍候補」という文字が書かれていて、本のタイトルと思しき文字列が一面にずらりと並んでいた。


「ほらここ見て」


 北浜さんが指した箇所には『涼宮ハレノヒの驚愕』というタイトルが載っていた。

 涼宮ハレノヒと言えば、けっこう有名なライトノベルのシリーズだ。


「私このシリーズ好きだから選書会で推薦したいんだけど……」

「何か困ってることあるなら相談に乗りますから言ってみてください」



 中途半端に口を閉ざしてしまった北浜さんに、河原が優しくさとすように声をかける。

 ほほう、河原って意外と思いやりのある女子なんだなぁ。

 感心して様子を見守っていると、北浜さんは少し安心した様子で口を開いた。


「人前でしゃべる自信がなくてどうしようって……」

「あーどうせそんなことだろーと思ったわー」


 鮮やかな手の平返しでどちゃくそド派手にため息をつく河原。

 おい俺の感心を返せ!?


 そんな河原に代わって今度は南から質問が飛ぶ。


「それって大勢の前で発表するのが緊張するってこと?」

「それもあるけど、そもそも人前でどういう風に発表すればいいかわかんなくて」


 答える北浜さんの顔は悲壮に満ちていた。

 もう問題が根深すぎてやばい。

 他のふたりも俺と同じような感想を抱いているようで、河原は額に手を当て、南はあははーと呆れ笑いをしている。

 

 河原が呆れ半分のまま北浜さんに問いかけた。


「その選書会っていつやるんですか?」

「日にちは決まってないけど来週の放課後」

「念のため聞くけど発表原稿の準備は……」

「できてません」

「でしょうねー」


 つまりもう本番までは一週間しか残されていない。

 この状況でまだ原稿が完成してないとか手遅れにも程があるでしょうに……。

 俺と同じ気持ちなのか、河原はこめかみを押さえながら苦し気に口を開く。


「整理すると、お気に入りの本を推薦したい。選書会の本番は来週。でも原稿はできてない。もちろんぶっつけ本番も無理」

「そ、そのとおりです」

「試合始める前に詰んでますよね……?」

「だよねー。あはははは……」


 数分前は「ちゃんと相談乗るから」と余裕をかましていた河原だが、今やパンドラの箱を開けてしまったとでも言わんばかりに後悔の色を浮かべている。


 俺も何か救済の策を……と考えてみたが、残念ながら何も思いつかない。

 唯一できることと言えば「ご愁傷様です」と苦笑いを浮かべるだけだ。

 うん、ご愁傷さまです。


 しかしなぜだか南だけは様子が違う。

 まるで新しい遊びを思いついた子供のように、ニコニコした笑顔を浮かべている。 

 これまた悪い予感しかしない。


「じゃあ予行演習するしかないよね。何事も練習は大事だから!」

「おい南、練習って具体的には何を考えてるんだ」


 それっぽいことお言っているが、至極当然のことを曖昧にしか言ってない。

 こいつは中身を深く考えずに思い付きでしゃべることが多々ある、というかいつもそうだ。


「そりゃ発表の練習に決まってんじゃん。浜さんが原稿を作ってシェアハウスで発表練習すんの! 面白そうじゃない?」

「それはちょっと……恥ずかしいかも……」

「やーだいじょぶだいじょぶ! いっそのことシェアハウスの全員で発表しあいっこするとか?」

「それは却下」


 遠慮がちにお断りする北浜さんとは違って河原はすかさず「NO」を突き返す。

 お前ならそう言うと信じてたよ。

 だって面倒だし、何より急すぎるもんね?


 と心の内で賛成していたら、南が嫌な視線を送ってきた。


「じゃあ浜さん VS 鳥羽氏にしよう! ふたりとも本の推薦原稿を作ってきて日曜日に発表って感じでどう?」

「それなら頑張る……鳥羽くんが相手ならなんとかなりそうだし」

「なんか俺めっちゃ舐められてません?」

「まあ鳥羽氏は当て馬だからねー」

「そうだとしても少しはオブラートに包もうか⁉」


 南が得意げにニッと笑ってピースを決める。

 こいつが提案の主導権を握った時点でこんな展開になるだろうとは思っていたが、やっぱりこうなったか……。


 だが一週間そこらでできる対策としてはここらが上手い落としどころか。

 俺としては家賃免除の条件として「まず同居人と仲良くなるように」とお願いされたばかりなので、これをきっかけに北浜さんと仲を深められるかもしれないし。


「ってことで、私と河原ちゃんは審査員として参加。これでどう河原ちゃん?」

「審査するだけなら別に構わないけど」


 完全に事後承諾だろそれ。

 いまいち納得がいかないところもあるが、これで満場一致になった。


「じゃあ決まり! 次は日曜日のお昼に全員集合!!」


 そんなわけで、南のファシリテートによってとんとん拍子に話が進んだ結果、週末に北浜さんの発表練習会を開くことが決まった。

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