17話 リベンジするには急すぎる?(1)

 選書会があったその日の夜、俺たちは夕飯を持ち寄ってシェアハウスのダイニングに集まった。


「北浜さんの様子はどうだった?」

「わからない。部屋をノックしたけど返事もないから」


 北浜さんはシェアハウスに返ってくるなりリビングも通らず部屋に直行していた。

 夜ごはんの時間なのにまだ部屋に籠りっぱなしとなるとさすがに心配だ。


「河原ちゃんにも反応しないってかなり重症だね。選書会で何があったの?」

「まあ結論を言うと大敗戦ね」

「そんなにプレゼンがひどかった?」

「というより対立候補にコテンパンにやられたって感じだな」


 思い返しても北浜さんのプレゼン内容そのものは無難だった。

 北浜さんの態度が弱々しかったことは不利に働いた面はあるだろうけど、やはり直接の敗因は間違いなく対抗者の存在だ。


 南がお手製カルボナーラをフォークでクルクルしながら問いかけてくる。


「それって誰にやられたの?」

「千林さんっていうクソ真面目な3年生」

「わー、それ北浜さん苦手そー」


 俺が答えるよりも早く河原が嫌味たらたらに言う。

 南は苦笑いを浮かべてから、果汁100%オレンジジュースをひと口飲んで続ける。


「じゃあその千林さんに反対されて、浜さんのプレゼンが通らなかったってこと?」

「いや、結果は保留だ。詳しくは知らんが、趣向を変えて2回目の選書会を開くらしい」

「じゃあまだチャンスは残ってるってこと?」

「そういうことだな」

「チャンスを掴めるかは浜さんの意思次第だけどね」


 河原が言った直後、階段からストンストンと重い足音が聞こえてきた。北浜さんだ。


 けれどリビングには立ち寄らず、迂回する廊下を通ってキッチンへ向かっていく。

 お目当ては冷蔵庫らしく、中身をしばらく漁っていたが、目ぼしい物が見つけられず手ぶらで扉を閉めた。


「カップ麺余ってるんですけどいります?」


 河原が声をかけると、部屋に戻ろうとしていた北浜さんの足がぴたりと止まった。


「……もらう。けど部屋で食べる」

「ここで食べてください。また階段でスープこぼされると嫌なんで」


 前に階段でこぼしたんかい!

 内心ツッコミながら見守っていると、微かにぐぅと音が鳴った。

 たぶん北浜さんのお腹の音だ。


「わかった……」


 よほど空腹だったのか、北浜さんは案外とおとなしい足取りでダイニングテーブルの席についた。

 そこにすかさず南のオレンジジュース!

 続いて河原が流れるような所作で豚骨味のカップ麺をセッティング!

 こいつら手慣れてやがる……。



 しばらく黙食が続いていたが、残り少ないカップ麺を漁っていた北浜さんがふと箸を止めた。


「鳥羽くん、見に来てたでしょ」


 やっぱりバレてたのか。



 ……ってあれ、俺だけ?

 反応に困って南と河原に目くばせしたが、ふたりとも明後日に顔を向けっている。

 まさかの孤立無援。


「えっと、すみません。実は――」

「鳥羽氏はどうしても浜さんのことが気になったんだって」

「そうそう。悪気はないだろうから許してあげて」


 弁明しようとした俺を遮って南と河原が口を挟んできた。

 南はともかく、河原はなんなら主犯なんだが⁉


 とはいえ身内を吊し上げていてはいつまでも本題に入れない。

 ここは追及をぐっと我慢だ。でも河原を許すとは言ってない。


「なんか怪しい……」


 北浜さんはまだ訝し気な目を向けている。

 それで飛び火を危惧したのか、河原が話題を逸らしにかかった。


「それより浜さん、最後までプレゼン頑張ったって聞いたよ。偉い」

「……でも、私のプレゼンすごい反論されたんだよ」

「反論があったってことは、ちゃんと話が相手に伝わったってことじゃん!」


 南が努めて明るく励ましの言葉をかけた。

 けれど依然として北浜さんの顔は暗いまま。


 たしかに南の言うことは一理ある。

 千林は真っ向から反論していたが、裏を返せば北浜さんのプレゼンをしっかりと聞いていたということだ。


 けれど、それは現場にいなかった者だから言えることだ。

 あの場に居合わせれば、そんな理屈をこねくり回しても何の励ましにはならないと思ってしまう。


「……それなら無反応のほうが良かった」

「どうして?」

「だって!」


 南の問いかけを無神経に感じたのか、北浜さんの声が少し乱暴になった。

 けれど、その勢いもすぐに剥がれ落ち、ただ生々しい悲壮な声にかわる。


「あのとき、なにも言い返せなかった。みんなの前で論破されちゃってさ。そんなのもう勝てっこないじゃん」


 自嘲のこもった吐息が北浜さんの口から漏れる。


 本人はかなり悲観しているが、俺からすると彼女が思っているほど決定的な勝敗は決していないと思う。

 あの場を思い返せば、明確にライトノベルを批判していたのは千林ひとりだったのだ。

 取り巻きの生徒も同調こそしていたが、どちらかというと黙認。


 それに次の選書会もある。まだやりようは残っているはずだ。



 ――俺にいい考えがあります。まだ逆転できますよ。

 なんて、つい口にしそうになった言葉を唾に絡めてぐっと飲み下す。


 これは北浜さんの問題なのだ。

 彼女が失敗したと言うのなら、彼女自身の力でそれをやり直すことでしかその敗北感は拭えない。


 俺ができることがあるとすれば、あくまで北浜さんの手助けだけだ。

 今は彼女自身がどうしたいのか、それを確かめるのが先だ。

 


 沈黙が幾分が続いたあと、口火を切ったのは河原だった。 


「浜さん、ひとつ聞かせて」


 北浜さんが黙って頷くのを見て、河原が続ける。


「リベンジしたいの?」


 努めてフラットな声色で、けれど明朗に意思を問う一言だった。


 北浜さんは目線を机に落としたまま口を堅く引き結んでいる。

 南も茶化したりフォローを入れたりする様子はない。



 ――時計の針は何回音を立てただろう。

 太陽はもう山の辺に半分沈んで、シェアハウスの窓から差し込む陽の光は残りわずかだ。


 近くの国道からだろうか、微かにサイレンの音が鳴った。

 そのノイズに紛れさせるように、北浜さんはぽつりと呟いた。 


「できるかわからない……」

「それは答えになってない。したいか、したくないか」


 きっぱりと河原が問い詰める。

 曖昧な返事は一切認めないという強烈な語気だった。


 弱っている相手にこれほど高圧的な言葉を投げつけられるのは、きっとそれ相応の信頼関係があるからだ。

 ふたりだけの世界を俺は傍らで見守っているしかない。


「……したい」


 北浜さんの喉からしわがれた声がした。

 置かれていたオレンジジュースで喉を潤し、シャツの袖口で目元を拭い、北浜さんはゆっくり顔を上げる。


「リベンジしたい。やっぱりライトノベルの良さをみんなに分かってほしい」


 北浜さんの答えを聞いて、俺と南は同時にうなずきあった。

 珍しく意気投合しているな。


「じゃあ作戦会議をしないとね。鳥羽氏はどうする?」

「そりゃ一緒に考えるよ。当然だ」


 だってもうやることは決まっている。

 北浜さんを助けるんだ。

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