Komachi 13


 ライブが大成功に終わり、小林中国餐厅を貸切っての打ち上げが終わり、楽しい時間は流れ星が落ちるように終わってしまった。店を閉めるとジロ君に家まで送って貰った。閑静な住宅街にジロ君が押して歩く自転車のホイールだけが心地よく響く。


 沈黙を破ったジロ君が話してくれたのはバンドのことや将来の希望……ロックをやり続ける話だった。


 もしかして告白されたりするのかなって思ったけど……今のままで充分幸せだよね。それにカップルになった所で、終わりは見えてる。これ以上は贅沢だ。ジロ君が傷つくだけだ。


 微笑みを浮かべていると『コマチは、どうするの? 大学行くの?』と聞かれた。


 頷き言葉を紡ぐ。


「海外に行こうと思ってるの。ハワイにある大学」


 隣で自転車を転がすジロ君を見遣ると目を見開いて黙していた。


「私、タロ君みたいに頭良くないから急に海外の大学は無理だと思うの。だからハワイにある日本の大学で英語漬けになってからハワイか本土でしっかり勉強したいなって。ジャズやロックにももっと触れたいし、日本で輸入雑貨のお店をやりたいなって……。英語操れたらすごく便利でしょ? だから……日本を暫く離れる」


「……そっか」


「ジロ君と気軽に会えなくなっちゃう……すごく寂しい」


「俺も……寂しいよ」


 会話はそれきり。


 互いに黙し、交互に繰り出されるつま先を眺めていると我が家に着いた。


 門前で立ち止まり、ジロ君に微笑む。


「今日はすごく楽しかったね。送ってくれてありがと」


「……うん。俺も楽しかった」ジロ君は消え入りそうな声で呟いた。


 これでいいんだ。ジロ君がもし想いを口にしたら傷つけるだけだもの。始まる前から終わりが見えてる恋人なんて……悲しくて辛いだけだ。バンドもジロ君を好きな気持ちも今日で終わりにしよう。


「じゃあ、またね」


 鉄のハンドルに手を掛け、門扉を押す。門を潜るとジロ君の声が近所一帯に響いた。


「コマチ!」


 驚き、振り返る。


「は、はい! どうしたの?」


 肩幅に脚を開き自転車のハンドルを掴んで佇むジロ君は息を吸うとお腹から声を出す。


「明日! 水族館! 駅に一一時! 電車! 俺とコマチ! 約束!」


 デートの約束……? どうしてそんな事言うの? だって一年後には日本とハワイで離れちゃうんだよ? 終わりが見えてるんだよ? ……なのに、なのに……ジロ君が大きな気持ちでいる事に期待していいの?


 びっくりして涙が出そうになるけど堪えて笑った。


「うん! 約束ね!」




「何アレ? 凄いわね。演劇の発声練習? スタッカート?」


 玄関でパジャマにガウンを羽織ったママが私を出迎えた。


「そ、そんなに響いた?」スクールバッグを下ろすとローファーを脱ぐ。やっぱりジロ君の声って響くよね。今年の初めまでは運動部だったんだもの……。


「響いた、響いた。心に響いた」ママはにんまり笑う。


 また意地悪言って。眉を下げ、スクールバッグを手に自室へ向かおうとするがママに呼び止められる。


「彼氏君でしょー? 紋次郎君!」


「かっ彼氏じゃないよ!」


 そんな話、大きな声でしないでよ! パパが聞いたら大暴れしちゃう。


 辺りを見回していると『まだ帰ってないわよ』とママは悪戯っぽく笑った。


「ハンサム侍の紋次郎君に送って貰ったんでしょー?」


「……部屋に上がっていい?」いじらないでよ、もう。


「ええー。折角母娘水入らずで可愛い男の子の話出来るって言うのにー。ライブの話だって聞きたいのにー。ママ、お仕事で行けなかったのにー。お年頃の娘が素っ気なくて寂しいわ」ママは唇を尖らせる。


 んもー、またそうやって狡い手を使うんだからー。


「ちょっとだけだよ?」


 ママは笑顔を咲かせる。


「分かってる、分かってる。明日はデートだものー」


 んもー、またそうやって冷やかして。


 ママが淹れてくれたハーブティーをソファで楽しんでいるとウィスキーの瓶を片手にママがキッチンから現れた。


「んふふふ。明日にはコマチちゃんと紋次郎君、カップルになるのねぇ」


「分からないよ。ただ水族館に行きたくて誘ってくれたのかもしれないし」


「本当はそう思ってない癖にー」隣に座ったママは私の頬を突つく。


「……うん。でも……これでいいのかなって」


「あら、どうして? 女として聞きたいわ」


 俯き口籠るが想いを口にする。


「……お付き合いしても、私がハワイの大学に決まったらたった一年で離れ離れになるもの。終わりが見えてるのにお付き合いするとか繊細なジロ君を傷つけるだけだと思って」


 ママは長い溜め息を吐くと『馬鹿ね』と呟いた。


「馬鹿って……どうして?」こんなに真剣に悩んでるのに。


「コマチちゃんはどうしたいの?」


「どうしたいって……それは……ジロ君と付き合えたら幸せだろうなって思うけど……」


「じゃあ自分の気持ちを通しなさい」


「恋愛って自分の気持ちだけじゃないでしょ? ジロ君の気持ちもあるし、何よりジロ君を傷つけちゃうもの……」


「傷つくか傷つかないかは紋次郎君の問題でしょ。コマチちゃんの心遣いは優しいけれども、決めつけるのは不遜よ。相手は男よ? 自分勝手で乱暴で馬鹿で可愛い人間よ? 遠慮はいらないの。付き合って色んな価値観ぶつけて泣いて笑って漸く『距離が離れちゃうけど大丈夫?』って話になるの。それに一月後に大喧嘩して別れるかもしれないし、コマチちゃんが別の夢を追いかけて日本に止まるかもしれないし、パパが交際に大反対大妨害して二人で駆け落ちしちゃうかもしれないじゃない? 未来は誰も確約出来ないの。終わりなんて初めから見えないの。コマチちゃんの今考えてる事は『一六三七日後の昼ご飯何食べようか』って考え込んでるのと同じ事」


「……それは……無駄な事だね」


「そーゆー事」ママはショットグラスに注いだウィスキーを呷る。


 ショットグラスにウィスキーを満たすママの隣でハーブティーを喉に送る。カモミールの香りが胸いっぱいに広がり、気持ちが安らいだ。顔を上げて前に進んでもいいような気がした。


 黄昏ているとママは私の頬を突つく。


「それにしても『木枯らし君』じゃなくて『ジロ君』ねぇ。うふふふ」


「もー揶揄わないでよー」


「ママ、紋次郎君に会ったのよ」


「え……!」


「パパが七星君に礼を欠いた事件あったでしょ? あの後宝君の店に相談に行って紋次郎君の話をいっぱい聞いて会いたくなったの。半月くらい経ってから、宝君と一緒に小林中国餐厅に行った訳。コマチちゃんがお休みの日ね。『木枯らし君』ってどんな素敵な男の子なのかしらって」


「えー……えー……酷いよママ。恥ずかしいよ。娘のバイト先に乗り込むなんて」


「親として当然よー。女将さんの舞美さんにお酒渡してご挨拶して……あの人、噂以上のモンスターね。アレで三〇代なんてとても見えない。若くて綺麗で笑顔が可愛らしい人。宝君と一緒にピータンやら麻辣豆腐やら絶品料理に舌鼓打っていたら七星君と会ってね、改めて夫の非を謝罪した後、一緒に楽しく呑んだの。……彼もキュートでいい男よね。餃子ばっかり食べて野菜食べないのとシミだらけの服が気になったけど。でも看板メニューが餃子って頷ける美味しさだったわ。あの店で安くて絶品な料理を味わえるんですもの、中華街への外出はグッと減るわね」


 それからママは一〇分程、料理について感想を述べてランキング発表した(第一位焼き餃子、二位エビチリ、三位麻辣豆腐)。話が別方向に飛んでる……。


「料理に夢中になるのはバイトとしても鼻が高いけど……ジロ君とは本当に会ったの?」


 私の問いにママは瞳を丸くする。


「ごめんなさい。あまりにも絶品でつい、ね。紋次郎君と会ったわよ。七時を回った頃かしら。おじさん達がわらわら入り始めたと思ったら、前掛けを締めた太朗君が住居の階段を駆け降りて来てね、おじさん達のちょっかいかわしつつホールをテキパキ一人で捌くの。そしたら宝さんに気付いて『いらっしゃいなのよー、宝ちゃん。紹興酒お替わり要る?』って挨拶して……ギャップに驚いちゃった」


 店でのタロ君を思い出したママは吹き出して笑う。そっか……この前家に来た時はタロ君おすまししてたもんね。


 ママは杯を傾ける。


「中華屋の大将って風格よね。……私に気づいたら気まずそうに笑ったけど『紫さんも沢山食べてちょーだいね!』って、可愛かったわ。それで混んだホールを一人で捌いて、ある程度落ち着くとまたテーブルに来てね、七星君に『腹が本気で出っ張るから今日の餃子はここまでなのよー。青梗菜炒め食いなさいよー』って。それで私に『ジロ、今呼んでくるんで』って階段を中程まで駆け上がると二階の奥へ向かって叫ぶのよ。『ジロちゃん、おまー数式解いてる場合じゃねーぞ。秒で降りろっ!』って」


 ふふふ。私が知ってる小林中国餐厅の日常の一コマだ。


「そしたら前掛け片手に紋次郎君が駆け降りて来てホールと厨房見渡すのよね。タロ君が『ちゃうちゃう。俺一人で充分だから、ジロちゃんはこちらのマダムのお相手よ』って紋次郎君を引き合わせてくれたの。紋次郎君ったら私を見た途端、コマチちゃんの母親だって気づいてね……面白いのよー? ピーンって直立不動になって顔から汗を噴いてダラダラ流して……ふふふふ、百戦錬磨のスポーツ選手なのに緊張しちゃってスポーツ選手らしくない……」


 ママは杯をローテーブルに置くとお腹を押さえて笑い転げた。


「ママー? ジロ君は繊細だから揶揄わないで」


「揶揄ってないわよー。緊張してすごく可愛いの。手汗が止まらないのか太朗君から貰ったおしぼりを終始こねくり回していたわ。ああ、この子がコマチちゃんの大好きな男の子なんだ。母親の私を見てこんなに動揺するからこの子もコマチちゃんの事が大好きなんだって……。席に座って貰って少しお話ししたわ。紋次郎君、とても誠実で努力家で優しくて素敵な男の子ね。宝君の言う通りだった。……そんな男の子が、コマチちゃんが彼女になってくれるのを待ち望んでいるんだから、コマチちゃんも腹を括りなさい」


「……うん」パパには反対されるかもしれないけど、誰かに祝福されるのはとても嬉しいな。


 頬を染める私を尻目にママは悪戯っぽく笑う。


「小林の店に行った事……紋次郎君の人柄はパパに伝えてあるからね」


「えっ……なんで……?」余計な事しないでよー……。折角カップルになれそうなのに。


「知らない所でこそこそ付き合ってるとパパみたいな嫉妬マンは角生やすからね。だからって付き合ってるなんて宣言しなくていいの。ただデートやバイトの折は紋次郎君に毎回家まで送らせなさい。そーゆー所から子離れさせなさい」


「……はーい」前途多難だなぁ……。




 人生で最高な時間が二日連続で訪れた。


 一日目は最高に熱かった学祭ライブ、二日目の今日はジロ君との水族館デートだ。イルカショーやトンネル水槽、クラゲが漂う球体の水槽の見学を余す事なく楽しんだ。ずっとずっと手を繋いでいた。ジロ君はアザラシの水槽に三〇分程食いついていた。『コマチが黄昏てる』って悪戯っぽく笑って指差してたっけ。……今思えばアザラシの赤ちゃんのブックカバーをプレゼントしてくれたのも、ギグバッグにアザラシの赤ちゃんのキーホルダーを下げてるのも……そーゆー事だったんだね。


 夕方まで水族館を楽しんだ後、駅ビルでウィンドウショッピングを楽しんだ。ジロ君が雑貨屋さんで白地に黒の星柄のマフラーを欲しそうに眺めていた。


 星柄のマフラー巻いたジロ君カッコいいだろうな。私も好きな人に上げた物を使って貰いたいな。


「チケットのお礼させて? 水族館結構高かったよね」ハンドバッグからお財布を取り出す。


「いや、大丈夫。気にしないで大丈夫」ジロ君は慌てて止めた。


 ……また差し出がましい事しちゃったな。ジロ君だっていい所見せたいよね。学習しないな、私って。


 項垂れているとジロ君は頬を掻く。


「コマチの気持ちはすごく嬉しいんだ。実はさ……チケット、アニキから貰ったんだ。だからお礼にプレゼントしようって考えてて……ほら、アニキの名前って七星じゃん。モノトーンの星柄ってアニキっぽくていいなって」


「ふふふ。餃子柄じゃなくて?」


 ジロ君は腹を抱えて笑う。


「いいね、餃子柄! ついでにビール柄も探してみるか」


 二人で額を突き合わせつつマフラーを吟味する。瓶ビール柄のマフラーがあったのでちょっと高いけどそれを割り勘でプレゼントする事にした。お店の人にラッピングして貰う間、ジロ君はさっきのモノトーンの星柄のマフラーを眺めていた。


「……気になる?」


「う……うん。実は俺も欲しいなって。でもアニキのトレードマーク横取りしたみたいで」ジロ君は眉を下げて笑う。


「そんな事ないよ。それすごくカッコいいよね。ジロ君っぽくて好きだな。今着てる黒いトレンチにも似合うし、学校にだって巻いていけるし」


「わ。マジで? じゃあ巻いてみようかな」ジロ君は頬を染めて笑うとマフラーを手に取る。


「うんうん。オススメ! 絶対にカッコいい!」


 おしゃれな丸鏡を前にジロ君はマフラーを巻く。すると頬を染める。


「……コマチさ……これ買ってくれない?」


 突然のおねだりに驚くが、直ぐに首を縦に振る。


「いいの? じゃあ今日のお礼にプレゼントさせて!」


 するとジロ君は色違いの、赤地に白の星柄のマフラーを手に取る。


「じゃあ、これプレゼントさせて」


 え……それって、ペアで使うって事?


 顔が急に熱くなる。嬉しくて恥ずかしくて涙腺がきゅうってする。


「うん。嬉しいな」


 互いにプレゼントし合ったマフラーを巻き、手を繋いで店を出る。駅ビルを出ると夕日が差し込む改札口は退勤の社会人で賑わっていた。『晩飯食べていこう。ちょっと足を伸ばしてもいい? サイドメニューも美味いもんじゃの店があるんだ』とジロ君が提案したので下町のもんじゃ屋さんで二人でご飯を食べた。『食後にちょっと散歩したい』とジロ君が誘ってくれたので、お手洗いで駅のコンビニで買っていた携帯用のマウスウォッシュを含んで口を濯いだ。……うーん……とても美味しくて楽しかったけど夕食のメニューちょっと考えてくれると嬉しかったな。青のりが気になっちゃうよね。でも店に向かう前に言ってくれて良かった。マウスウォッシュ買えないのは痛いもんね。


 店を出て川沿いの護岸遊歩道を歩く。下町と高層マンションが立ち並ぶベイエリアを隔てる川は闇に包まれ水面が黒い。夜空を見上げてもここからは星が見えない。


 ミルクティの缶を片手に、空いている方の手を口数少ないジロ君にしっかり繋がれる。……今日一日、ずっと離してくれなかったな。大きくて暖かくて少ししっとりしてて……すごく嬉しかった。


 水族館の感想をぽつぽつ述べるがジロ君は遠くを見据えてずっと黙ったままだった。


 以前の私だったら不安に胸が押し潰れそうになって眉を下げていたと思う。今はジロ君の気持ちが分かっているから、自分の気持ちが分かるから、おっとり構えてられる。


 繋がられた手がぎゅうと強く握られる。


 するとジロ君は立ち止まった。


 私も立ち止まる。


 切長の眼窩に嵌まった鳶色の瞳に私を映しながら、ジロ君は愛の言葉を紡ぎ、私が頷くと唇にキスを落とした。

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