Komachi 8


 期末テストが終わり、夏休みに入る。タロ君の家庭教師が功を奏し木枯らし君の成績は学年総合順位二位に躍り出た。これで特待生として授業料免除を受け、高校生活を続けられる。頑張ったね、木枯らし君。良かったね。これでウララちゃんと高校で会えるね。


 一方の私はゆとりある夏休みを送っていた。去年はジャズ研の練習や合宿、居酒屋やお花屋さんのバイトやで忙殺されたけど今年は自分の時間を作れた。試験が明けてから小林中国餐厅の勤務も減らして週三にして貰った。受験勉強の傍、息抜きとしてクラスメイトのお手伝いをしていた。今日は三回忌に出なければならない花を育てる会のマナちゃんの代わりに学校の背高のヒマワリに水をやる。花壇の前に佇みホースを構えていると部活棟やグラウンドから掛け声やスネアドラムの音が聞こえる。


 入道雲と太陽を仰いだヒマワリ達と背の高い木枯らし君が重なる。……バイトを減らしているからなかなか顔を合わせない。勉強とギター頑張ってるから最近はあまり顔を合わせてない。元気かな? ギター上達したかな? 左脚は良くなったかな? 学祭に向けてのバンドのメン募は上手くいったかな?


 水遣りを終え、水が滴るホース片手に夏空を見上げていると背後から肩を叩かれた。振り向くとお洒落な和柄アロハシャツを着たタロ君が息を弾ませ笑っていた。日に透ける豪華な赤毛が眩しい。


「おはこんなのよー。また誰かのお手伝い? 花の世話って重労働よねー? 暑い中お疲れ様ンボー?」


「どうしたの? 学年一位のタロ君は補習とは無縁なのに」


「休み前に動静表出すの忘れてたのねー。んで今日は大喜チャン居るからわざわざ学校に来たのよー。商売に学祭バンドにお馬鹿の面倒に忙しいタロちゃんは『店!』としか書かないのにねぇ?」


「ふふふ。タロ君とっても楽しそう。メン募上手くいってる?」


「ぼちぼちでんなぁ。大掲示板や校長室のドア、人体模型、便所のドア……校内隅々に貼りまくったフライヤー、一日で生徒会の奴らに剥がされちまったのねー。でもベース経験者見つかって口説いてるのよー」


「フライヤーの掲示板ジャック、タロ君と木枯らし君らしくてカッコ良かったよ。ドキドキワクワクしたもの。インパクト半端なかったからきっとメンバー集まるよ!」


「むふーん。ヒマワリが似合う夏のお嬢さんに褒められちゃうとタロちゃんってば照れちゃうのよー」両手を頬に添えたタロ君は体をくねくね動かす。……頬が上気してる。女の子に困らないタロ君はこんな事じゃ照れないのに。


「タロ君、もしかして走ってた?」


「なはーん。バレた? バスケ部の日下部に見つかって校内追いかけ回されたのよー。『小林か東條、どっちか入部しろーっ! お前らはセンスがあるーっ!』って。鉢合わせる度にスラップスティックだから汗掻いちゃうのよねー。喉カラッカラ。おビール様呑みたいわぁん」


「ふふふ。ビールは出せないけど良かったらウチで冷たい物飲んで行く?」


「ええっ? マジ沢マジ吉? いいの?」タロ君は食いついた。


「うん。マジむろマジすけだよ」


「ぐふーん。嬉しいのねーっ! 美少女のお家に上がっちゃうのよー!」


 タロ君を連れて帰宅するとママに見つかった。えーっ、さっき出かける支度してたのに……。


「キャーッ! 美系っ! イケメンッ! 高身長っ! ダヴィデ像っ! お洒落っ! コマチちゃんがハーフの彼氏君を連れて来たーっ!」タロ君を一眼見るなりママは大興奮する。


「彼氏じゃないよ。大事なお友達だよ。あとタロ君はクオーターです」イケメンに目がないママを窘めると『ごめんね』とタロ君をちらり見遣った。


「初めまして、フローレンスのアカデミア美術館から来日しましたダヴィデです。職業は古代イスラエル王でっす。今日はおべべ着て来たのでお邪魔しまっす」タロ君は爽やかな笑みを浮かべる。


 私もママもタロ君のノリのいいジョークに『ふふふ』と笑った。


「流石姉妹ですね。笑い方が一緒」他所行きの言葉を遣ってタロ君は微笑む。


「うふ。姉妹だなんて、リップサービスでも嬉しい。はじめまして、コマチの母の紫です」ママは丁寧に頭を下げた。


「マジっすか。美人のお姉様かと。改めましてクラスメイト兼バイトクルーの東條太朗です。小林中国餐厅チャイニーズレストランで住み込みで働いてます」タロ君も深く頭を下げた。


「え。じゃあクッキーの彼……小林君の親友? コマチちゃん、太朗君にしなさいよ。礼儀正しい上にエスプリが利いた爽やかイケメン王子様よ。甕覗色かめのぞきいろに鶴の正絹アロハシャツも上品で似合ってて素敵。ママ、こんな息子が欲しい」口許に手を添えたママは私の顔を覗き込む。


 ヤだ、ママったらそんな失礼な事言わないで。


「ママ? タロ君にはちゃんと好きな人がいるから失礼だよ? 炎天下で走り回って大変だから冷たい物飲んで貰おうと来て貰ったの。大事なお友達だから失礼しないで?」


 ぴしゃり窘めるとママは眉を下げて笑う。


「はーい。大人しくしてまーす。じゃあ冷たい飲み物と美味しいお菓子用意するからお部屋で待っててね?」


「私が用意するからいいって」


「ええー。ママも太朗君とお話ししたーい」ママはタロ君をちらちら見遣る。


 微笑んだタロ君は頬を掻き『見た目派手ですが実はとても内気なんです。キラッキラの美人を前にしては目が眩んで上手く喋れません』と角が立たないよう断った。


「うふ。シャイなのね? じゃあお茶とお菓子運んだらさっさと退散しまーす」


 返事も聞かずにママはキッチンへと姿を消した。


 もー。他人の話、全然聞いてくれないんだからーっ。




 二階に上がると幾つか部屋を通り過ぎ、自室へタロ君を招く。


 タロ君は部屋を幾度も見回すと長い溜め息を吐き、瞳を輝かせる。


「んまーっ! 予想の斜め上を突っ走るすんごいお部屋! まるでイギリスやアメリカのお洒落なパブじゃないのーっ! タロちゃんってば下町六原上野にいながら異国に来ちゃったのよーっ!」


 壁掛けのウィスキーのブリキ看板やピンナップガールのスロット看板、ネオン管を巻いた時計、ヴィンテージのジュークボックス、ビールのインテリアランプ、パブミラーをまじまじ眺めたタロ君はうっとり目を細める。


「いやーん。おっとりもじもじプリンセスのコマっちゃんってお嬢様とは予想してたけど、こんな男心くすぐる部屋に住んでたなんて……! 男前! ギャップ萌え! タロちゃんってばノックアウトなのよーっ!」


「ふふふ。お洒落大魔王のタロ君に手放しで褒めて貰えるなんて光栄です」


「タロちゃん、こんな部屋に住みたーいっ! 流石、センス抜群コマっちゃん! もう輸入雑貨屋さんになれちゃうのよー? 今すぐ店開きましょーよ?」


「ふふふ。そこまで褒めてくれるなんてとっても嬉しい」タロ君には私の夢の話をしていた。海外で買い付けした素敵な雑貨をお客さんに買って貰うが私の夢。


「タロちゃんが最初のお客さんになるからねー!」


「ありがとう。頑張るね。……それよりもさっきはママがごめんね」


「気にしないのよー? 娘が連れて来た男子の素性知りたいのは母親として当然じゃなぁい?」


「うん。そうだよね。……今日は『お友達の個展に行く』って言ってたから居ないと思ったのに。気苦労かけてごめんなさい」


無問題もーまんたいなのよー? 寧ろ、保護者不在の女子の家にホイホイ上がろうとした俺が悪いんだから。それより、俺の名演技見たでしょ? タロちゃんは俳優にもなれるのよー?」


「うん。いつものタロ君節がすっかり消えてた」


 二人で笑い合っているとノックの音が響いた。名優タロ君は表情をキリリ引き締める。ふふふ。おかしい。笑いながら入室を促すと『なぁに? 楽しそう』とトレーを手にしたママが入って来た。冷たい抹茶が入った大きなボトルと三脚のグラス、唐獅子屋の水饅頭をお出ししたママはニコニコ笑って三脚のグラスに抹茶を注ぐ。『ママー?』と目の端で見遣ると『はーい、退散しまーす。コマチちゃんの内弁慶っ!』と捨て台詞を吐き、グラス一脚を持って出て行った。


「本当にもう、油断も隙もないんだから……」タロ君が結露したグラスを幾度となく呷り抹茶を注ぐ傍ら、私は小さなため息を吐いた。


「うまっ……! 喉渇いてる所為もあるけどすっげぇ美味い! これ『かけはし』っしょ?」


「わ……! 正解! タロ君って茶葉の品種分かるんだ?」


「いんや。舞美さんが大好きな抹茶だから覚えてるのよー。高級なやつよね?」


「ふふふ。愛の力だね。この前、沢山戴いたから良かったら持って帰る?」


「ノンノン。バイト代貯めて買って差し上げるのよー」タロ君は悪戯っぽく笑う。


「わぁ。素敵! カッコいいっ!」


 水饅頭を楊枝で切り分けるタロ君はジュークボックスを見遣る。


「高級抹茶といい、ヴィンテージのジュークボックスといい、半端なくお金持ちよね? 廊下じゃ防音ルームのドアも見えたし、おじさんの宝ちゃんは楽器屋の店主だし、パパ上の新さんはウィーンやドイツに出張に行くし……新さん、役員でしょ? 楽器や自動車部品の製造販売するメーカーの」


 タロ君の鋭さに息を飲む。……そんな事言った覚えない。ましてや素振りにも出してないのに。ヤだ。溝ができちゃう……。折角仲良くなれたのに、また小学校みたいに変な空気になっちゃう……。


 視線を彷徨わせる私を前に水饅頭を嚥下したタロ君は微笑する。


「大丈夫よー? ジロちゃんには秘密にするし、タロちゃんも態度変えないから。タロちゃんとコマっちゃんはずっと仲の良いお友達なのよー?」


「うん。秘密にしてね。木枯らし君とこれ以上距離が開くと寂しいから……」


「距離ねぇ……ジロちゃんってばコマっちゃんになかなか会えなくて寂しがってるのよー? 俺が遊びに行った事知ったら嫉妬に狂っちゃう。だから内緒なのよー?」


「ふふふ。タロ君は優しいな。社交辞令だなんて」


「いんや、マジ沢マジ吉だって」


「ふふふ。気持ちだけ貰っておくね。ありがとう」


 タロ君は小さな溜息を吐く。


「ま、この話は置いといて、広い防音ルームがあるって事は楽器あるんでしょ? 何置いてんの?」


「おじさんから預かってるエレキ三本とパパのヴィオラ、ママのチェロ、あと私の電子ドラムだよ」


 満面の笑みを咲かせつつもタロ君は私を見据える。


「コマっちゃんさ、もし良ければなんだけど……」


 着メロが鳴り響き言葉が遮られる。アロハシャツの胸ポケットから透けた光が明滅してる。


 舌打ちしたタロ君は眉を下げると私に『悪ぃ』と微笑みかけ、電話に出る。


『もし良ければ』……何なのだろう。ネオン管が巻かれた時計の秒針の滑らかな動きを眺めているとタロ君は立ち上がった。


「んもー、ジロちゃんったらぁ。俺の一番弟子だって言うのに未だに一人で昼ホール捌けないんだからー」


「え? 昼を木枯らし君一人に任せてるの?」現場のおじさんやおにいさん達でごった返すホールを?


「そ。俺が居なくても回せるように最近鍛えてるのよ。でも早速音をあげちゃって。んもー、甘えん坊将軍なのよーっ。コマっちゃん、ごめん。また改めて話すわ。今日はこれでちゃおちゃおなのよー」


「うん。お店忙しいよね。穴開けちゃって……ごめんね」


「気にする事ないのよー。コマっちゃんは夢を叶える為に大学受験控えてんだから。お勉強はクッソ大事よー? ご馳走様でした」


 ママと一緒に門までタロ君を見送る。陽炎昇るアスファルトを元気に駆けていくタロ君の背を見つめていると切なくなった。……夢を叶える為に勉強するのは大事だって分かってるけど……タロ君とも木枯らし君ともまだ一緒にいたいな。週三回のバイトだけじゃなくて……一緒に……毎日……バンドやれたら、楽しかっただろうな。

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