Komachi 7


 バイト休みの七月の日曜の昼下がり、宝おじさんの店……オレンジ楽器店を訪れる。ここの所、日曜に楽器店に顔を出すのが私の習慣になっていた。お客さんが訪れない暇な時間、おじさんと話をしたり、練習室の生ドラムを叩かせて貰ったり……楽しい時間を過ごしていた。


 ジャズ研にはもう顔を出せなかった。中間試験が終わった直後、顔を出すとリーダーに『悪いけど補欠でいい? 立花、滅多に練習に来られないし俺たちも色々イベント出たいし』と申し伝えられた。実質クビだ。……バイトばかりかまけて居たら、そうなるのは当然だった。


 そんな私の事情を知るおじさんがバイト休みの日は楽器店に遊びに来るよう誘ってくれた。おじさんはとてもいい人。私が小さい頃……パパとママの仕事の都合でよく一人ぼっちになったので楽器店に預けられて居た。おじさんは先代のおじいちゃんと共に店番しつつよく遊んでくれた。私は楽器に囲まれて育った。商品のエレキをまじまじ眺める小学生の私にギターを教えてくれた。先代のおじいちゃんが亡くなるまでは『オレンジ』ってバンドでギターを弾いて居た。一度だけママにライブハウスへ連れて行って貰った。ステージの上のおじさんはどんな時より楽しそうでキラキラに光ってカッコよかった。


「世知辛いよね……俺だったらこっそり泣いちゃうよ」


 ジャズ研を辞めた経緯を話すとレノン型のメガネの奥のおじさんの瞳が潤む。キャッシャー台の中の丸椅子に座したおじさんは洟を啜ると長い脚を組み替えた。


「でもこうやっておじさんと沢山話せる機会に恵まれたから……それにタダで生ドラム叩かせて貰ってるし。本当、いつもありがとう。私、おじさんに支えて貰ってる」隣の丸椅子に座り、私はお持たせの長野県産アップルジュースを頂く。


「いいよ、いいよ。有り難がらなくて。可愛いちいちゃんの為なら俺はなんでもするよ。……小林君には言わないの? ジャズ研辞めたって」


「言わないよ。心配掛けたくないよ。……木枯らし君は次の期末試験では学年順位三位以内に絶対に入らないといけないし、学生生活続く限りずっとそう。それに何よりも大好きな陸上を奪われて心が一杯一杯だもの。おじさんも言っちゃダメだよ? 約束だよ? 繊細な人だから」


「レッスンの度に『立花どうしてますか?』ってしつこく聞いてくるからさ。バイトには行ってるの?」おじさんは木枯らし君のギターの先生。おじさんは店でギターを買ったお客さんに特典として数回の無料レッスンを行なっている。


「え? 毎日夕勤で出てるし教室も一緒なのに。……あ、木枯らし君は勉強漬けでホールに立てないし学校では話さないからかな?」


「へぇ。相変わらず鈍いしトロいなぁ、ちいちゃんは」


「鈍いトロいって言わないで。これでもツーバスBPM二二五で叩けます」


 頬を膨らませた私を見て額に手を当てたおじさんは大笑いする。


「いやいや、流石ゆかりちゃんの娘だなぁ。魔性の女。怖い怖い」


「何それ。私は魔性の女じゃありません。魔性の女って言うのは胸が大きくて色っぽい女子を言うんだよ」


「そうそう、色っぽいで思い出した。今日は三時からのレッスンが終わったら上野の放送部の子、来るんだ。凄い色っぽかったな」


「放送部? まさかウララちゃん?」


「そーそー。世良せらうららって名乗ってたな。名前や容姿ばかりか声まで色っぽいよね。学校企画で商店街の紹介ムービー作るから撮影とインタビューさせてくれってオファー来たんだ」


「そう言えば三時のレッスンって木枯らし君だよね。……おじさん、ちょっと時間オーバーさせてよ。木枯らし君がウララちゃんに会えるように足止めして」


「へ? 何で?」


「何でって……おじさんの鈍感。木枯らし君はウララちゃんが好きなんだよ」


「へー? そうなの?」


「そうなの!」


「小林君とは話が合うからの長引かせるのは構わないけど……。本当にウララちゃん狙いなの?」眉を下げたおじさんは私の顔を覗く。もう、トロいからって馬鹿にしないでよ。


「本当だって!」


 木枯らし君の無二の親友のタロ君も認めたくらいなんだから。それに……球技大会の時だって木枯らし君はウララちゃんに会えてとても嬉しそうだった。


 先週の水曜、全学年対抗の球技大会が行われた。種目によりクラスは四分割される。今年の女子は卓球、男子はバスケットボール、バレーボール、サッカーに分かれ、それぞれが先輩後輩関係なく他クラスを相手に優勝を目指す。


 五階の卓球場でダブルスに参加してなんとか勝利をもぎ取った私は、パパのドイツ土産を渡そうとウララちゃんを探した。しかし卓球場にウララちゃんの姿はなかった。ウララちゃんのクラスの子に話しかけると、放送部のアナウンサーとして校内を回って各クラスの子達にインタビューしているらしい。……去年はバレーボール(毎年ローテーションする)に参加してたのに。声も滑舌もいいから看板キャスターになったんだなぁ。凄いや。


 ウララちゃんを探しに総合体育館を右往左往していると一階の第一アリーナでは木枯らし君が在籍する二組の男子チームが三年チームを相手に白熱した戦いを繰り広げていた。バスケ部の期待の星である日下部君が指揮を執っているが、その他の四人は異なる部活に在籍する子だ。だのにバスケ部キャプテン率いる三年チームに僅差でリードしている。四六対四五……接戦だ。


 電柱みたいに背が高い木枯らし君はセンターを任されていた。完治していない左脚にテーピングしているけど、身のこなしがとても軽い。バスケ部の日下部君やキャプテンよりも背が高くて陸上部で作り上げた体は強靭で、センターらしくゴール下を支配している。


 卓球場から降りてきた木枯らし君目当ての女子達がリバウンドをマークする木枯らし君を眺めてきゃあきゃあ騒ぐ。……やっぱり人気者だよね。


 真剣で伸びやかで楽しそうでカッコいいな。ウララちゃん探しを忘れてアリーナの入り口で見惚れているとデジタイマーが試合終了のアラームを響かせる。


 センターサークルで試合終了の挨拶をし、顔を上げ額から流れる汗を手の甲で拭う木枯らし君と視線が合う。木枯らし君は微笑を浮かべ手を挙げようとするが瞬時にチームメイトに囲まれ労われる。『すげぇ! 三年に勝っちまった!』『あと二勝すりゃ優勝じゃん!』『スリーポイント決めた小林のお蔭だな!』『脚、怪我してるなんて思えなかったぜ!』と木枯らし君はバシバシ背を叩かれる。そんな木枯らし君に三年のキャプテンは歩み寄り『バスケ部来ない? 君みたいなスリーポイントも決められるヤツが入れば試合が楽しくなる』と握手を求める。差し出された手を握るものの木枯らし君は『嬉しいお誘いですが、すみません。今登っているデカい壁があるんで登り切りたいです』と申し訳なさそうに笑った。


 仲間に囲まれコートを後にする木枯らし君は左脚を少し庇ってるように見えた。……店でよく眺めるから分かる。痛いんだ。我慢して隠してる。……それ以上にみんなに心配されるのが嫌なんだろうな。氷か冷湿布、こっそり渡してあげよう。保健室に取りに行かなきゃ。


 背を向けようとすると奥のコートからボールが飛んできた。次の試合の三年チームがふざけ合っていたのが流れたらしい。拾うと『悪ぃ。今貰いに行くから』と謝られる。来て貰うのは手間だな。投げた方が早い。『いきますよー!』と片手で投げると、ブンと空気を揺るがしたボールは放物線を描く。あっという間にアリーナの入り口から先輩達のいる奥のコートへと着地しリバウンドした。


「おおーっ!」


「すっげ! やっば!」


「女バス? 腕力半端ねぇな!」


「入り口からここまで相当距離あるよな。槍投げとかもいけるんじゃね?」


「ありがとーっ! かっけぇぞーっ!」


 ボールを受け取った先輩達は歓声を上げつつ私に手を振る。ヤだ。騒がないで。あ、ヤだ。木枯らし君と視線が合っちゃった。今の絶対見られた。絶対に『馬力ング』とか思われた。恥ずかしい。


 急に顔に熱が帯びるのを感じくるり背を向けアリーナを小走りで後にする。すると『放送部・ウララ組』と記された腕章をした制服姿のウララちゃんとすれ違った。仕事に忠実なウララちゃんはいつもの気怠げな雰囲気とは違うキリッとした表情をしていた。凛として華やかで……とっても綺麗。カメラや機材を持った後輩の男の子達を引き連れて肩で風を切って歩いている。お土産を渡すのを忘れ見惚れる私に気づくと『卓球お疲れ様』と片手を挙げてくれた。


 ウララちゃんは、木枯らし君を取り巻く女子達を物ともせずに進む。そしてパイプ椅子に腰掛けて息を整える木枯らし君にマイクを向ける。タオルで汗を拭う木枯らし君は言葉に詰まるが照れ臭そうにインタビューを受けた。


 女子達の輪から垣間見える木枯らし君の頬は上気して凄く嬉しそうだった。久しぶりに会えたものね。クラスが違うと全然顔合わせられないよね。神様がくれたご褒美だね。やっぱり木枯らし君はウララちゃんが大好きなんだね。痛みを堪えて頑張った末に大好きな女の子に会えて良かったね。木枯らし君が嬉しいなら私も嬉しいな。


 でも……胸がぎゅうって痛くなる。


 幸せそうに眩しく笑う木枯らし君に背を向け、私は保健室へと急いだ。


 冷湿布を数枚貰い、保健室を後にする。すると隣の校長室前でしゃがんでいたタロ君に出会った。誰も通らない静謐な廊下に合成的なフルーツの香りが漂う。


「あ、タロ君」


「んあ? かわい子ちゃんが出て来た思ったらコマっちゃんじゃないのー。これはナンパしなきゃ男が廃るのねー」フルーツガムを噛んでいたタロ君は飲み込むと笑った。


「ふふふ。おだてても何も出ないよ? ……サボり?」


「あたぼうよ。梅雨明け夏本番にお外でボール蹴ってられっか。熱中症で死にかけるわ。どうせ一匹狼はベンチあっためるだけだから涼しい屋内でサボってんのよー。……と、保健室から出てくるって何処か怪我したん? 大丈夫? 俺が女装して東條タロ子として卓球出ようか?」


「ふふふ。タロ君優しい。木枯らし君が左脚痛めてるから冷湿布持っていこうかなって」


「マジかよ。またあのお馬鹿無理したの。だから治りが遅ぇんだよ。ホント馬鹿すぎる」タロ君は薄い眉を顰める。


「あまり責めないであげて? 木枯らし君、みんなを勝たせてあげたいって一生懸命頑張ったから。センター務めてバスケ部のキャプテンのチームに勝ったんだよ?」


「コマっちゃんたらジロちゃんをこっそり見てたのねー?」タロ君は悪戯っぽく笑う。


「うん」


「んまー。乙女チックでロ・マ・ン・チ・ッ・クゥン」タロ君は私を突ついた。


「そんなー、遠くからちょっぴり見ただけだから。……そうだ。恥ずかしいから私の代わりに湿布持って行ってくれないかな?」私はタロ君に湿布を差し出した。


「良いけど、コマっちゃんが行った方がいいんじゃなぁい? だって俺が手柄横取りじゃん。それに手当てされるならジロちゃんだって女子の方が嬉しいと思うしコマっちゃんが行ってあげて?」


 タロ君は気を遣ってくれるけど……ウララちゃんと一緒に居る木枯らし君を見ると胸が痛くなる。今も思い出すだけでぎゅうぎゅう痛い。


「そんな事ないよ。それにタロ君が持って行ったら木枯らし君と選手交代出来るよ。これ以上は無理させたくないからタロ君がコートに出て欲しいなって」


「んー。でも最大のラブチャンスよ?」タロ君は眉を下げる。


「いいの。私が持って行ってもぐずぐずして渡せずに脚が悪化するかもしれないし、疾うに終わった恋だから。それにタロ君もとっても背が高いし強くて凄くカッコいいもの。木枯らし君みたいに日下部君と共にチームを優勝に導ける筈。タロ君、お願い!」


「んまー。もじもじプリンセスにそこまでお願いされたらセンター交代するしかないのねー。いっちょ本気出しますかっ!」


 湿布を受け取ったタロ君は私に微笑むと『コマっちゃんも無理しないでよ?』と第一アリーナへ駆けて行った。

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