Komachi 5


 タロ君のお父さんの葬儀が終わり、小林君が退院した。


 終業式を控え残り少ない一年生の生活を送るが、小林君とタロ君と顔を合わせる事はなかった。小林君は別室で一日二教科ずつ期末試験を受け、予定通り試験を受けていたタロ君はお父さんの遺品の整理やお金の整理をしていた。


 ……折角仲良くなれたのにこのまま二人と顔を合わせずに春休みを迎えるなんて寂しいな。


 春休みに入り、久しぶりに文化部棟のジャズ研に顔を出すと私が座っていたスローンに見慣れない男の子が座っていた。ベースのテラっちの隣でばつの悪い顔をしていたリーダーが『ごめん。春フェスどうしても参加したくて仮メンバー入れたんだ』と謝った。そっか。そうだよね。だって『暫く参加できません。ごめんなさい』って勝手に休んだもの。


『ごめん、ほんとごめん』と平謝りするリーダーとテラっちに『迷惑をかけた私が悪いんです。気を遣わせてごめんなさい。力仕事大好きなんで搬出入の時は手伝いますから気軽に声を掛けて下さい。フェス頑張って下さいね。応援してます』と笑いかけ、部室を後にする。


 胸が痛かった。


 リーダーは悪くない。テラっちは悪くない。あの子も悪くない。誰だってフェスには出たいもの。……私も出たかった。


 だけど小林君が私を必要としていた。だから手を差し伸べた。どうしても差し伸べたかった。……事故に遭った小林君の所為にする訳じゃない。だけど……切ない。


 また他人を傷つけて勝手に自分も傷ついてる。私って最低……。


 ふらふらと部活棟を後にして校門を潜ると目の奥が熱くなる。涙が今にも溢れそうで空を仰ぐ。


 桜が舞う下町の夕空を見つめていると着メロが鳴る。「YOU’D BE SO NICE TO COME HOME TO」 ……久しぶりにこの着メロ聞いた。確か公衆電話の設定……誰だろう。


 恐る恐る電話を取ると『おはこんー。コマっちゃん、俺よー』とタロ君の声が聞こえた。


「タロ君……! 久しぶり。元気にしてた?」


『あたりきよう。……コマっちゃん、鼻声ねぇ。また泣いとったのね?』


「え。……バレちゃった。ちょっとね、大した事じゃないから大丈夫」


『んまー、可愛い泣き虫さん。タロちゃんがエアハグしてあげる。ほら、ぎゅうううう』


「えー。エアじゃなくてリアルがいいな。タロ君、パパみたいに優しいから」タロ君の優しい冗談に笑みが溢れる。冗談を返す元気が出る。


『んまー。タロちゃんたらこんなに別嬪な娘さんが出来ちゃったのよー。チョコの日みたいにぎゅうぎゅう抱きしめてあげたいんだけど、ちょっと出先なのよねー』


「お天気いいからお出かけ?」


『そそ』


「どうして携帯じゃなくて公衆電話なの?」


『実は世界一周チャリの旅してんのよー。そろそろ日本を出るって段になって携帯家に忘れてきたの思い出してねー』


「わ。スタート早々ハプニング。楽しそうだね」


『ぐふふふー。そーなの。クッソ楽しいのよー? んでね、俺が旅に出たからホールが回らないと思ってさ。コマっちゃん、飲食でバイトしてたじゃん。是非是非、人手不足のウチに来てちょんまげ』


「いいよ。いつから行けばいい?」


『うお! 流石コマっちゃん! ありがとね! 出来たら明日からって言いたいんだけど……』


「うん。よろしくお願いします」


『うお! マジでマジで? すんげぇ助かるっ!』


「小林中国餐厅チャイニーズレストランでしょ? 何時に行けばいい?」


『暖簾掛けるのが一一時半だから一一時に行ってくれると助かるのよー。その時間にはシャッター上げてるし引き戸の鍵も掛かってないから声掛けて入って』


「うん。じゃあ履歴書持って行くね。他に何か持って行くものある? あと心得とかある?」


『居酒屋のホール経験があるコマっちゃんが働いてくれるならすげぇ安心だわ。持って行くものは汚れても平気なスニーカーかな。厨房入る時は気をつけてね。最近油で滑りやすいから。心得は特にないけど……俺がいない間、舞美さんを笑わせてあげて。ウチは舞美さんの笑顔で成り立っているから』


「うん。精一杯、頑張るね! タロ君も世界一周頑張ってね!」


『おう! お互い気張ろうぜ! ホント、マジで助かる。ありがとね。ちゃおちゃお』


 通話を切ると春の夕空を見上げる。もう涙は止まっていた。


 舞美さんって……二回しか会った事ないけどすごく優しそうな人だった。高校生の小林君のお母さんなんて思えない程若くて、メニューに載ってるもの全部美味しいって評判のお店を切り盛りして……そんな人の下で働けるんだ。凄いなぁ。凄いチャンスに恵まれた。小林君はタロ君と旅に出ているから会えなくて残念だけど、舞美さんの許で色々勉強したいな。


 悲しかった気持ちが吹き飛んで明日へのワクワクが胸に広がる。軽い足取りで下町の夕空の下、帰路についた。




 春休みは毎日店へ通った。


 履歴書片手に店を訪ねた際、小林君が居て驚いた。……タロ君と一緒に世界一周チャリの旅に行ってると思ったけど……そっか。脚はまだ完全に治ってないものね。お留守番だったんだね。……寂しくて事故や陸上を思い出してしまうだろう。タロ君の旅の事は聞かなかった。


 居酒屋でバイトしていた経験も有り、二日もするとホールに慣れ、不慣れな小林君のサポートにも回れるようになった。然し、現場のお兄さんやおじさんで賑わう平日の昼時や華金の七時以降はてんてこ舞いになった。新入りの私と足を引きずる小林君にお客さん達は優しかったけど、注文聞きを待たせてしまったり、すぐに出せるビールを出すのが遅くなったりと迷惑をかけた。厨房の舞美さんもホールを極力バックアップしてくれるけど(厨房を一手に担ってるのに半端ない!)、注文が立て込んで来るとアウト。タロ君が用意してくれたホールスタッフ用の『舞美さんお助け用メモ』に書かれていた事を実行する余裕すらない。……こんな忙しいホールをタロ君一人で賄っていただなんて。額から汗を流して閉店後の後片付けをする小林君と視線が合うと『これをほぼ毎日……タロって凄いな』『タロ君はホールの神様だね』と苦笑し合った。


 小林君と少し仲良くなってあだ名で呼ぶようになり定休日の日曜も店に通った。


 舞美さんと話をする為に顔を出していた。昼時と夕時の舞美さんは調理に忙殺されても浮かべる表情は何処か寂しげだった。『俺がいない間、舞美さんを笑わせてあげて』と頼んだタロ君の為にも舞美さんを少しでも笑わせてあげられたら。休憩、仕込みや片付けの時によく話した。


 日曜の午後は月曜の仕込みをする舞美さんと共に、時代劇のDVDボックスがずらり並んだカウンターに設えた小さなテレビで『木枯し紋次郎』や『鬼平犯科帳』を一緒に観る。営業中にあまり話せない分、時代劇ファンの舞美さんととても盛り上がった。贔屓の俳優の話がひと段落すると舞美さんに小林君のあだ名の由来を話してみた。去年の春、新しいクラスで『藤川中学から来た小林紋次郎です。趣味は筋トレと読書です。よろしく』と自己紹介した小林君の事だ。


「……その時、私聞き違いしてしまって。木枯し紋次郎って。店には『木枯し紋次郎』のDVDが沢山ならんでるし……だから今は親しみ込めて『木枯らし君』って呼ばせて貰ってます」カウンター席で温かいジャスミンティーの茶器を手のひらに包み、厨房の舞美さんを見遣る。


「木枯し紋次郎と小林紋次郎似てるでしょ?」胡麻団子を齧った舞美さんは悪戯っぽく笑う。


「はい。笑いそうになっちゃって」


「ジロったらインパクトに欠けた自己紹介したのね……。『自己紹介なんざ、あっしには関わりのねえ事で御座んす』くらい言えば良かったのに。名前負けするじゃない」


「ふわー。やっぱり狙って名付けたんですね」


「そうなの。紋次郎ファンの旦那が付けたの」


「わ。もしかして舞美さんの時代劇好きって旦那さんの影響なんですか?」


「この店に来る前は興味なかったんだけど、いつの間にか一緒に見るようになってね」


「素敵! 旦那さんと同じものが好きだなんて」


 舞美さんは満面の笑みを浮かべる。


「うふ。もっと素敵な事やったのよ? 七五三の時、羽織と袴じゃつまらないからジロに道中合羽着せて妻折笠被せて高楊枝咥えさせて写真撮ったの。見る?」


「きゃーっ。見ます見ますっ。見せて下さいプチ紋次郎っ」


 舞美さんは食器棚から特製の秘密のアルバムを引っ張り出すと私の隣に座し、ページを繰る。ムスッと高楊枝を咥えるプチ紋次郎をはじめ幼年期の木枯らし君や旦那さんの吉嗣さん、古参のお客さん、そして今と変わりない二〇代の舞美さんの写真(時間止まってる……舞美さんって吸血鬼?)を眺めていると二階の住居から弦の音が微かに聞こえる。アンプに繋いでないエレキギターのサブローを木枯らし君が弾いているのだろう。なんだか物悲しい音だった。


 舞美さんは二階への連絡階段を見遣る。


「あらあら。可愛いコマチちゃんを私に盗られて拗ねてるようね」


「そ、そんな……。でも今日は挨拶してから木枯らし君と顔合わせてないです……」


「相手してやってくれる?」


「え……でも」


「ジロの彼女を引き止めてる訳だからこれ以上は申し訳ないわ」


「かっ……彼女だなんて。ただのクラスメイトです」


 頬を染め、連絡階段を上がる。彼女とか……木枯らし君に申し訳ない。木枯らし君はウララちゃんを彼女にしたいんだもの。今度、舞美さんに『ちゃんと好きな女の子がいるみたいですよ』って伝えた方がいいかな。


 階段を上りきり、木枯らし君の部屋のドアをノックする。『立花? 入れよ』と入室許可が降りたので『お邪魔します』とドアを開ける。木枯らし君は真っ赤なテレキャスターを抱いてフローリングに座っていた。


「……わぁ! これが木枯らし君の愛器? テレキャスだったんだね! この子すっごいいい楽器だよね!」


 テレキャスのサブローをまじまじ眺めていると、愛器を褒められた木枯らし君は満足そうに笑った。


 昔エレキをやっていた話やオレンジ楽器店の店主の宝おじさんの話をする。するとタロ君が木枯らし君の誕生日プレゼントの為に赤いテレキャスをおじさんの店で買った事が分かった。……こんな高くていい楽器、親友といえどもなかなかプレゼント出来るものじゃないよ。タロ君って、心の底から木枯らし君が好きなんだな。


 タロ君の話を続けるといつの間にか難しい顔をしていた木枯らし君が、タロ君が家出をしている事を話してくれた。いくつも疑問が頭に浮かぶが訥々と話す木枯らし君の声をよく聞き、噛み砕く。……お父さんが囲っていた女性とのお金の問題で舞美さんや木枯らし君に迷惑をかけないようにって身を隠したタロ君、身を引き裂かれる程辛かっただろうな。タロ君は舞美さんと木枯らし君を愛してるもの。……私もパパとママから引き離されるなんてとても辛い。


 舞美さんの前では知らない振りを続けると約束すると木枯らし君は安堵の溜息を吐く。


 あ……そうだ。昼間の事言わなきゃ。


 安心させた所で不安な事言うのは気が引けるけど木枯らし君は知っておいた方がいい。


「一つ気になる事があるんだけどいい?」


「何?」木枯らし君は不安げに私を見遣った。


 念押しでドアを一度見遣ると声を潜める。


「うん……あのね。ここ最近、木枯らし君が休憩の時だけど女性を見かけるの。ウチの客層っておじさんや現場のお兄さんばかりでしょ? すごく目立つの。その人、店内を見回してるの。誰か探してるのかなって思ったけど……タロ君を探してるのかな?」


 木枯らし君はハッとする。


「何か言われた? 嫌な事されてない?」


「ううん。私は大丈夫。ただ……ビール飲みながら厨房の舞美さんをずっと睨んでる」


「……うわ。ヤべぇ女だな。お袋がタロを隠してるって思ってそう」


 翌日から昼休憩を交換する事に決め、これも舞美さんを不安にさせないよう、二人の秘密にした。


 ……暗い話ばかりになっちゃったな。木枯らし君を笑顔にしようと上がって来たのに。


 瞳を伏せていると上体を捻った木枯らし君は背後のデスクの引き出しをまさぐる。


「あのさ……」


「うん。どうしたの?」


 上体を戻した木枯らし君はベビーブルーのリボンで包まれた薄い箱をぶっきらぼうに片手で差し出す。


「こ、これ。ヴァ、ヴァレンタインと見舞いのお礼。遅くなって悪い」


「え……。そんな。貰っていいの?」


「よ、用意したんだから、も、貰ってくれよ……」


 木枯らし君は頬を染める。照れ臭そうで可愛かった。


「う、うん。ありがとう」


 愛らしい箱を受け取り眺めていると木枯らし君は『開けてくれよ』と催促する。


「いいの? 勿体ないから暫くこのまま飾ろうかなって」


「神棚に供える気かよ」両腕を背にまわした木枯らし君は苦笑を浮かべる。


 可愛いリボンを解き、薄い箱を開けると文庫版のブックカバーが入っていた。雪の結晶柄の生地には瞼を閉じたアザラシの赤ちゃんの刺繍が寝そべっている。


「ふわー! 可愛い」


 木枯らし君はそっぽを向く。


「……み、見た瞬間『あ。立花が昼寝してる』って思って」


「ふふ。お昼休憩に寝てるのバレてたんだー」


「か、可愛かったから」


「うん。アザラシの赤ちゃん可愛いよね。アザラシファンになりそう」


 頬を染めた木枯らし君は小声で何かを呟く。しかし『……ナが……いいって……に』としか聞き取れず聞き返すと軽く怒られた。ごめんなさい。今度はちゃんと聞き取ります。


「ありがとう。とても嬉しい。大切に使うね」


 お礼を述べると両手を後ろに回していた木枯らし君は私に差し出す。手のひらにはラッピングバッグが乗っている。


「こ、これも……」木枯らし君は先ほどよりも濃く頬を染めた。


「え。こんなに? ダメだよそんなに気を遣っちゃ。貰えないよ。ブックカバーだけですごく嬉しいよ?」


 木枯らし君は眉を下げる。


「つ、作ったんだから、も、貰え!」


「作ったの?」


 そっぽを向いた木枯らし君は小さく頷いた。


 オーロラ地のラッピングバッグを開けるとガラスキャニスターが顔を覗かせる。キャニスターをバッグから引き上げる。中にはクッキーが沢山入っていた。チェッカーに、チョコチップに、ウォルナットチップ……。全て形が不揃いで手作りの物だった。


「焼いてくれたんだ……ありがとう! こんなに沢山作るの大変だったでしょ?」


 木枯らし君は頭を掻く。


「は、初めてだから、か、数打ちゃ当たるかなって。た、立花みたいに上手く焼けないけど……見舞いに焼いて来てくれたクッキーがすげぇ嬉しかったから……。お、かえし……」


「すごく嬉しい。ありがとう。食べてもいい?」


 木枯らし君はこっくり頷く。


 蓋を開けてウォルナットチップを口にするとシナモンの香りがふんわり広がる。麺棒で砕いただろうクルミがザゴザゴ大きくて男の人が作ったんだな、と思わず笑みが溢れた。


「とっても美味しいよ! 初めてだなんて思えない」


 木枯らし君は長い溜め息を吐くと『良かった』と漸く笑った。


「一緒に食べよう?」


 キャニスターを差し出すと木枯らし君もクッキーを摘む。


「天板、どっちの段に突っ込むか迷って下にしたんだ」


「上は料理、下はお菓子って私覚えたよ」


「ほへー。立花が病院に持って来てくれた花型のは何て言うんだっけ?」


「あれはマーガレット。絞り出すからまた楽しいよ」


「うお。やってみたい。今度トライするから喰ってくれよ」


「いいの? 嬉しい。じゃあ口金と袋貸してあげる」


「何それ? 立花先生、教えて下さい!」


 お菓子作りの話に花を咲かせ二人でクッキーを摘んでいると、あっという間に帰宅時刻になってしまった。舞美さんに挨拶し、『家まで送る』と申し出てくれた木枯らし君を角が立たないよう断る。脚がまだ治ってないし、大分日が長くなって来たし同じ町内だもの。


 クッキーのキャニスターとブックカバーを胸に、夕日に照らされて伸びた影を眺めつつ家路を歩く。


 木枯らし君との時間、楽しかったな。ヴァレンタインのお返しのブックカバー可愛かったな。クッキー美味しかったな。ヴァレンタインのお返しのクッキーって確か『友達でいましょう』って意味だったよね。これからも友達として木枯らし君と付き合っていきたいな。

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