Komachi 3


 放課後、ジャズ研に『暫く参加できません。ごめんなさい』と断りを入れて病院へ向かおうとすると、裏門にいた竹下君に声を掛けられた。『立花女神、ヘルプミー! 手伝ってくれると百人力なり!』と軽トラの荷台に積まれた大量の木材を竹下君は見遣る。『何処まで運べばいいの?』と問うと『流石女神! サンキュ! 四階の講堂前に立てかけてくれるとブラボー!』と竹下君は戸板程の大きさの厚ベニヤ板を一枚抱えて行った。


『か弱い女子に搬入頼むなんて……。ウチのアホがごめんね。軽い薄ベニだけでいいからね?』とニヤニヤ笑って駄弁る先輩女子部員達をやり過ごす。男子部員は竹下君一人で大変なのに……。なるべく多く持って竹下君を楽にさせてあげよう。バッグの紐を肩に通して背負い、いつも携帯してるマイ軍手を嵌めて厚ベニヤ板を一枚ずつ脇に抱え、講堂まで登った。


「え!? マジ!? 二枚も運んできてくれたの!?」


 三階の階段の踊り場で折り返してきた竹下君に出会った。


「う、うん」


「うわー。マジ、スパシーヴァッ! 立花ハラショーッ! 力持ちだなぁ! 立花みたいな優しい女子、入ってくれると嬉しいんだけどなぁ。一枚持つよ!」息を弾ませた竹下君は笑顔を咲かせて私に手を差し出す。


「ううん。あともう少しだから頑張りたいな。あとは薄い板だけだよ」


「うわー。マジのマジでありがたい。すげぇ助かった! すっげぇ嬉しい! ありがとな!それ運び終わったら病院行ってくれよ? 足止めして悪かった。明日、ココア奢るから!」


「そ、そんな。気にしないで? 好きでやった事だから。それよりも竹下君、卒業公演頑張ってね!」


 竹下君は『流石女神やー。立花教に俺は入信するっ!』と笑顔で階段を駆け降りて行った。


 講堂前の壁に厚ベニヤ板を立てかけると走って病院へ向かった。


 昨日より遅くなっちゃった。面会時間少なくなって申し訳ないな……。小林君、待ってるといいな。


 息を整えてから小説を片手に病室を訪れるとカチャカチャ金属音が響く。ベッドサイドに腰掛けた小林君が黒いハンドグリップを握ったり離したりしていた。包帯を巻かれた左脚が痛々しい。


「こ……こ、こんにちは」


 挨拶すると小林君は気づく。


「あ、立花。今日も来てくれたんだ?」


「う……うん」


「サンキュ。すげぇ嬉しい」小林君は微笑んだ。


 わ……! すごく嬉しいとか言われちゃった。社交辞令でもすごく嬉しいな。


「ま……また、座っても大丈夫……かな?」


「当然だろ。座ってくれよ」腕を伸ばした小林君はテレビボードにハンドグリップを置く。ごとり重い音が鳴り響いた。


「あ、ありがとう」


 ベッドサイドの丸椅子に腰を掛けようとするが躊躇う。ベッドには小林君が腰掛けてる。丸椅子と小林君の膝の距離がとても近い。……このままじゃ小林君に触っちゃう。……恥ずかしい。


 もぞもぞ躊躇うが意を決して丸椅子の座面を掴み、手前に引いて座す。


 ……あれ? 小林君がちょっと遠い。思い切り引き過ぎたかな? でも近過ぎるよりは失礼じゃないよね? 昨日その積もりはなかったけど間接キスして嫌がられちゃったし……。距離は遠い方がいいよね。


 頭を掻く小林君は苦笑を浮かべる。


「……遠くない?」


「と、遠くないよ。ほ、ほらこうやって約束の本を渡せるし」


 思い切り腕を伸ばし、小説を小林君に差し出すが届かない。小林君も手を伸ばすが届かなかった。


「ご……ごめん。も、もうちょっと頑張ります」


 プルプル震える腕を見て小林君はクスクス笑う。


「無理するなよ。……遠いと嫌われてるみたいで寂しいよ」


「き……嫌ってなんか!」瞬時に上体を起こし姿勢を正す。


「ほらほら。『赤ずきんや。椅子を引いて、おばあちゃんに顔をよく見せておくれ』」


 昔話のおばあさんの声真似をする小林君に宥められ、頬を染めた私は椅子を引いて側に寄る。膝が当たらない拳三つ分くらいの距離……これならいいよね? 迷惑じゃないよね?


 小林君は本を受け取ると瞳を伏せて微笑む。


「サンキュ。嬉しい。覚えてくれてたんだ」


「う、うん。約束してたし、私も毒島ぶすじま警部大好きだから……」


「ホント、意外だよな。アザラシの赤ちゃんみたいな立花が硝煙紫煙くゆるハードボイルドが好きだなんて」


「ア……アザラシ……」巨大なトドよりは可愛いく思われてるって受け取っても大丈夫かな?


「うん。ゴマちゃんってかコマちゃん? 氷上でほわーんって黄昏てる感じ。ハードボイルドとは程遠いイメージだった」


「ほ、程遠い……へ、変かな?」


「いや、いい意味で裏切られたってか、話が出来て嬉しいよ。立花が読む本って金子みすずの詩集とか外国の童話とかフワッと可愛いイメージだったから。あ、勝手な想像だけど」


「詩集も読むけどアラン・ポォとか中島敦とかが好きだよ」


 小林君は大笑いする。


「しっぶいよなぁ! じゃあ『大鴉』とか『骨』も好きなんだろうなぁ。……漫画は『首切り役人ソワソン』や『血祭れ! カワウソさん!』も読んでるとか……結構グロいの平気なんだ?」


「う、うん」


 小林君は喉を鳴らすように笑う。


「読書仲間が出来た。サイコー」


 何が面白かったのかよく分からないけどこんな私で笑顔になってくれた。良かった。


 微笑むと小林君は微笑み返してくれた。


 急に顔が熱くなる。慌てて顔を伏せてスクールバッグの中を探る。


「あっ……あのね、昨日迷惑掛けちゃったから……これ……どうぞ」


 クッキーを取り出すつもりが間違えてイボ付きのピンクの軍手を出してしまい、小林君に大笑いされた。


「ぐっ……軍手……何故、軍手! 流石いい意味で予想を裏切る立花っ!」


「ち、違うの。これは力仕事で使うの。これじゃなくてね……」


 頬染めてラッピングしたマーガレットの小さなクッキーを見つけると小林君に差し出す。目に涙を浮かべて笑っていた小林君は瞳を丸くし息を飲む。


「え……。俺に? だって俺、食べても吐くんだよ?」


「うん。小さなクッキー二枚くらいなら吐く量あまり増えないだろうなって……。これだけでも苦しい? 浅はかだったかな?」


「あ、いや。……え? だってこれ手作りだろ? 俺吐いちゃうんだよ? 勿体なくて貰えないよ」


「吐いていいの。そのつもりで作ったの。小林君、糸引き飴やヤングドーナツやチロルチョコとか甘い物大好きなのに……勿体無いからって差し入れのプリンまで我慢して……。私、小林君に楽しみを我慢して欲しくないから……吐いても全然大丈夫だから……。その、迷惑だったらごめんなさい。昨日のプリンみたいに押し付けるつもりはないから」


「立花……」


 顔を伏せてマーガレットに乗せた赤いアンゼリカを見つめる。すると視界に小林君の大きな手が映り、クッキーに触れる。


 手を離して顔を上げると小林君は眉を下げて困ったように笑っていた。


「ありがとう。恩に着る」


「そ、そんな大したモノじゃないから大した感じに思わないで。受け取ってくれてありがとう」


「一生懸命作ってくれたんだ。すげぇ嬉しいよ。食べてもいい?」


「う、うん。ど、どうぞ」


 赤いギンガムチェックのリボンを解き、小林君はクッキーを食べる。


「うまっ。すげぇ美味い」


「ほ、ほんと? よかったー」


 胸を撫で下ろすと小林君は立て続けにもう一枚頬張る。


「サックサクで仄かに甘くて優しい香りですんげぇ美味い。俺、これ好き。……立花ってさ。お菓子作るの上手いよね。ブラウニーもすげぇ美味かったよ。美味くて平らげるのが勿体無くて一日一個ずつ大事に食ってた」


「お、お世辞でもそんなに褒めて貰えるなんて嬉しいよ」


「いや、マジだって。……そんな優しい女の子を俺は『よく知らないから』ってけんもほろろに振ったんだよな。……立花、ごめん。酷く傷つけた」小林君は頭を下げた。


「そ、そんな。あ、頭上げて? だって小林君には好きな人がいるし、それに私引っ込み思案で存在感ないからよく知らないのも当然だよ。私は大丈夫! 小林君は悪くないよ! 私が勝手に想いを伝えて勝手に傷ついただけだから」


 小林君は頭を上げる。


「やっぱり傷ついてるじゃないか」


 眉を顰め酷寒の地に生きる狼のように冷たい瞳で私を見据えていた。


 すごく怖い。心臓を氷の手でぎゅっと掴まれるような怖さが目前にあった。


 思わず小林君から顔をそらす。


「その……もう、この話やめよ? 口滑らせてごめんなさい……。わ、私の中ではもう終わった話だから……。今は小林君と友達になれたらいいなって思ってるから、喧嘩したくないよ……。折角楽しく笑い合ってるのに……」


「……ごめん。口論するつもりなんて全くないよ。ただ、俺が俺に対して無性に腹が立って……。脅かしてごめん」


 顔を上げると小林君は気まずそうに視線を逸らした。


「ううん。私の方こそごめんね?」


 先ほどまで話が弾んでいた病室を沈黙が制する。


 ……どうしよう。小林君の顔がまともに見られない。さっき凄く怖かった。小林君ってあんな顔するんだ……。私が傷つけた所為であんな顔させちゃった……。ごめんなさい。


 俯きもぞもぞ膝を擦り合わせていると気配を感じる。徐に小林君を見上げるとそっぽを向いて大きな手を差し出していた。


「え……どうしたの?」


「……握手」


「え……? どうして?」


 小林君はもう片方の手で赤く染まった頬を掻く。


「……俺も、立花と友達になりたいから」


「え。え」


「……ダメ?」小林君は私を見つめる。


「う、ううん。すごく……嬉しい」


 おずおず手を差し出すと大きな手に包み込まれた。


 ……暖かくて優しい手。少ししっとりしてるのはさっきまでハンドグリップを握っていた所為? ううん、大きくて頼もしくて名残惜しくて離したくなくなっちゃう。


『友達だ』『よろしくね』と気恥ずかしさに二人で頬を染めていると病室の引き戸がガラリ開く。突然の来訪者に驚いた私たちは手を繋いだまま固まる。入ってきたのは紙袋を抱えたタロ君だった。タロ君は立ち止まり現状を解し、私と小林君の顔を覗き込む。


「お呼びでない? お呼びでない? こりゃまた失礼しましたー」


 タロ君は踵を返す。


 顔と首を赤く染め手を離した小林君はタロ君を呼び止める。


「違うって!」


「何が違ぇんだよ。コマっちゃんと手ぇ絡ませてニチャニチャ笑ってー。この色男っ! スケべっ!」振り向いたタロ君は悪戯っぽく笑った。


「違うって! 握手してたんだよ!」


「あ、そう。んで腕引っ張ってベッドに引き摺り込もうと考えてた、と」


「しねぇよ! 馬鹿っ!」


 タロ君は『はいはい。青春青春』と笑うと紙袋を差し出す。


「ほらよ。明日の着替えと予備の着替え」


「サンキュ。……でも予備なんて要らないよ。重かっただろ?」


「ジロちゃんたらお馬鹿さんねぇ。リハビリでジワジワ汗かくでしょーが。風呂が隔日でただでさえ臭ぇんだからちったぁ気にしろ。可愛いプリンセスなコマっちゃんがお見舞いに来てるのよー? 『小林くさっ! マジくっさ! 汚物は消毒じゃーっ!』って世紀末化したらどーすんの」


 赤面していた小林君が一瞬にして青ざめる。


「ごっごめん。立花、俺臭かった? マジごめんっ!」


「く、臭くないよ? 気にしないで?」


「いや、でも陸上やってたから新陳代謝どちゃくちゃいいし汗臭いよね?」


 ……確かに汗の匂いはちょっとするけど……脚に包帯ぐるぐる巻いてる大怪我人だもの。そんな事とても言えないよ……。


 返事に窮していると小林君の側に佇んだタロ君が小林君の頭皮を嗅ぐ。


「んまー。すえて真っ黄色になった飯と一学期着倒した道着とお湯入れて五日放置したカップ麺をブレンドした臭いねぇ。過去七日で最悪と言われた一昨日を上回る出来栄えねぇ」


「俺はボジョレーか! ……あああああ。立花、ごめん」


 項垂れて頭を抱える小林君には悪いけど、笑いを堪えられなかった。小林君とタロ君って本当にとっても仲良しで……それ以上に家族なんだなぁ。素敵だな。


 タロ君は紙袋の奥からウェッティの袋とスプレーを取り出す。


「ほれ。リハビリ終わった時とコマっちゃんに会う前に使え」


「なんだよコレ……」瞳を潤ませた小林君はそれを受け取る。


「ボディシートとメンズ用のヘアフレグランス。気休めだけど使わないよりはマシだ」


「うぅ……サンキュ。早く毎日風呂に入りたい……」


 タロ君はテレビボードの時計を見遣る。


「お。そろそろ面会時間終わりか。じゃあ今日はこんな所でちゃおちゃおかしらねー」


「ん。サンキュ」


 小林君は掲げたスプレーを手の代わりに振ると何かを思い出す。


「あ、そうだ。タロ」


「何よー。別れのキッス?」タロ君は唇を窄める。


「馬鹿。……立花を送ってくれない?」


「え。そんな。大丈夫だよ。私一人で帰れるよ」


 しかし小林君もタロ君も私を蚊帳の外に置く。


「ほらもう日が沈んでるしバスもないし一人じゃ危ない」小林君はカーテンの隙間から窓の外を見遣る。春が近づいているとはいえ五時を過ぎれば暗かった。


「あたぼうよ。谷口さんからタク券貰ってるから、門前まで送って差しあげるのねー」


 タロ君は立膝を突き『さぁプリンセスコマチ、プリンスタロちゃんと共にお城へ帰りましょーね?』と私の手を取ると小林君に向かって粘ついた笑みを浮かべた。

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