Komachi 2
数日後、小林君が目覚めた。タロ君の話では取り乱したが意外にも早く落ち着いたらしい。点滴の管を外してくれと看護師さんに頼んだり、リハビリしたいと話を持ちかけたり退院に向かって非常に前向き。でも平静を装っているけど精神状態はギリギリ。何かやってないと陸上や事故を想い出して唇が震えるらしい。
お医者さんとタロ君に許可を貰い、先日のメンバーでお見舞いに行った。病室を訪れると少し青ざめた顔をした小林君の枕元に綺麗で優しそうなお姉さんとタロ君がいた。タロ君はお姉さんに私たちを紹介してくれた。彼女は小林舞美さん、小林君のお母さん。……疲れて儚そうな表情をしているのにそこにいるだけで眩しくてあったかくてとても綺麗で……小林君のお姉さんかと思った。舞美さんは『ジロの為に来て下さってありがとう。どうか話し相手になってあげて下さいね』と深々と頭を下げた。
みんなで恐縮していると舞美さんはよろめきバランスを崩す。タロ君はすかさず抱きとめ胸を貸す。
「舞美さん、ちゃんと休めてないでしょ?」
「ごめんなさい。昨日もお休み貰ったのに」顔を伏せた舞美さんはタロ君に重心を預ける。
「気にしないで下さいよー。でも今日はいつにも増して疲れ気味。綺麗なお肌が泣いてますよー? お家で休みましょ?」
「眠れないの……」
「寝なくていーんですよ? 横たわって瞼閉じるだけでも一〇〇点満点花丸だから休みましょ? 舞美さんが倒れちゃうと俺とっても悲しいのー」
舞美さんは力なく頷いた。タロ君はベッドの小林君や周りを取り囲む私たちを見遣る。
「っちゅー訳で舞美さん送ってくるから。戻るまで森山達はジロちゃんのお相手頼むわ」
『了解。気を付けてな』と返事する森山君の傍で小林君が口を開く。
「悪いな。よろしく頼む。今日はそのまま帰ってくれ」
「大丈夫?」タロ君は眉を下げた。
「あとは晩飯食って寝るだけだから」
「じゃあお言葉に甘えて。ちゃおちゃお。ちゃんと歯ぁ磨くのよー?」
タロ君は私たちに片手を挙げると舞美さんを優しくエスコートして病室を出た。
引き戸が閉じた途端、ウララちゃんが呟く。
「うわー……信じられない。あの東條があまっあまな白馬の王子様になってる」
その一言で私を含め、小林君を囲んだみんなが失笑する。
「マジ惚れって奴だな」森山君は苦笑を浮かべる。
「お袋さん、若くて美人だなー。女優かと思った」竹下君はちょっぴり頬を染めている。
小林君は頭を掻くと『それよりもわざわざ見舞ってくれてサンキュ』と照れ臭そうに微笑んだ。
パイプ椅子や丸椅子を並べ、腰をかけ小林君に病院生活の話を聞いたり学校生活を伝えたりする。差し入れの清涼飲料水を片手に森山君が話の舵を取る。流石クラス委員。話すのも聞くのもとても上手。……私は話し下手だから憧れるなぁ。
竹下君のおちゃめな茶々やウララちゃんの気怠げな色っぽい声が話に華を添える。小林君を前に私は緊張しっぱなしで全然話せなかった。だって……振られたばかりだし、本命のウララちゃんが隣に居るんだもの。
終始黙して場の雰囲気を壊さないように微笑する。そんな私を案じた森山君は幾度も話を振ってくれた。しかし同意するだけで上手く話を膨らませられなかった。……ごめんね森山君。ごめんね、小林君。ごめんねみんな……。
何も役に立たないまま面会時間はあっという間に過ぎた。『毎日見舞う』と森山君と竹下君、ウララちゃんは小林君に約束した。私は……会話の役に立てないし気を遣われちゃうだけだし……約束はできなかった。
翌日の午後、ホームルームが終わりジャズ研に向かおうと賑々しい廊下を歩いているとウララちゃんに引き止められた。
「コマチー!」
振り返るとスイカのような胸を揺らしたウララちゃんが駆け寄る。わぁ、男子全員が豪華なおっぱいに釘付けだよウララちゃん……。
「コマチ、お見舞い行って! 小林の相手してやって! あちしも森山も竹下も行けないの!」
「え……」
「実はテレビドキュメントの大会控えててさー。森山は委員会と塾、竹下は演劇部の卒業公演でクッソ忙しいんだー」
「え……。でも、昨日みんな『毎日見舞う』って……」
ウララちゃんはピストルのハンドサインを顎に添える。
「ふっふーん。嘘も方便、明日も検便! マジでゲラゲラに忙しいの。もしかしてコマチ、ジャズ研忙しかった?」
春のジャズフェスに向けて練習したいけど……誰かが私を必要としてくれるなら……。
「私じゃ話し相手として不足じゃないかな?」
「ンなー事ぁない」
「でも話すの苦手だし、聞き上手でもないし、小林君に迷惑かけちゃうだけだろうし……」
「もしかして嫌? 小林嫌いになっちゃった?」
「嫌じゃ……ないけど……」笑わせてあげられる自信がない。
ウララちゃんは私の肩を軽く叩く。
「だーいじょうぶ! エスコートするのは男の役目! コマチはニコニコ相槌打ってりゃいいって! ほら! 行き給えっ!」
一人で病室を訪れると、ベッドで寛ぐ小林君は驚いた表情を一瞬浮かべたが直ぐに微笑んでくれた。
「あ、今日も来てくれたんだ? サンキュ」
「う……うん」
「あ、座ってくれよ」
「う……うん」
勧められるがまま、ベッドサイドの丸椅子に座る。座面がほんのり暖かい。
「だ……だ、誰かお見舞いに来てたの?」
「あ、うん。谷口さん」
「た、谷口さん?」
「あ、俺を轢いたおっさん」小林君はカラリ言葉にした。
……よく数日で自分を轢いた人と会えるね。
思わず口を開く私を見つめると小林君は頭を掻く。
「あ……いや、そりゃ轢かれた事はアレだけどさ。根に持ってると俺も前に進めないし、忙しいのに谷口さんは毎日来てくれるから……悪い人じゃないなって」
「そ……そっか」
「あ、うん。……そうだ。プリン食う? 谷口さんが持って来てくれたんだ」
「え……悪いよ。小林君の為に持って来てくれたんだもの」
小林君は上体を軽く捻るとテレビボードの下の冷蔵庫を開いた。
「そ、そんなそんな! 悪いよ! 小林君が食べて! それに私が出すから!」
直ぐさま腰を上げ冷蔵庫から白い紙箱を取り出す。
「こ……これでいい?」
「あ、サンキュ。谷口さん気を遣って毎日差し入れわんさか持って来るから食べ切るのに困ってるんだ。俺、病院食平らげるのがやっとだからさ、立花達が食べてくれると有り難いなって……あれ? 皆んなは?」小林君は病室の引き戸を見遣った。
「ご……ごめんなさい。皆んな『忙しい』って、私だけ……」
小林君は頭を掻く。
「あ、いや。謝るなよ。立花が来てくれるだけで嬉しいよ。……社交辞令だと思ってたけどこうもアッサリとは清々しい奴らだな」
……ごめんね。本当は私じゃなくてウララちゃんが良かったよね。ウララちゃんだったら小林君とっても元気になれただろうに。
「……ご、ごめん」
「あ、いや、だから謝るなって。あ、ほらプリン喰ってくれよ。看護師さんの話じゃなめらかで美味くて有名なプリンだって」
「う……うん」
再び丸椅子に腰をかけると紙箱から白いプリンを取り出す。プラスティックのスプーンと共に小林君に差し出すが『本当に俺食えないんだ』と笑顔で辞退した。
……甘い物苦手なのかな。悪いことしちゃったな……ヴァレンタインにブラウニーだなんて。
「ごめんね。一四日、嫌な物渡して……甘い物苦手なのに……」俯き、白いプリンを見つめる。
「あ、いや。ブラウニー、美味かったよ。サンキュ。……甘い物大好きだけどさ。ビロウな話、食事摂っても夜中吐き戻しちまうんだ。勿体なくて食えないよ」
顔を上げると小林君は窓の外を見つめていた。
「……乗り越えなきゃならない事が沢山あるから前向きでいようって努めてるけど、体はなかなかついていかないもんだな」
「小林君……」
視線を感じた小林君は慌てて笑顔で取り繕う。
「あ、いや。悪い。愚痴るつもりなかったのに。ほら、俺の分もプリン食ってくれよ」
「う……うん」
蓋を外してスプーンをなめらかなプリンの中に滑らせる。
小林君、酷い目に遭ったのに誰の前でもわがまま言わずに甘えられずにしっかりしなきゃならないから辛いんだろうな……。希望が消えた暗闇に急に放り出されて……一人で泣いて一人で怯えて……どんなに辛いんだろう。親友のタロ君が側に居るとはいえ、クラス委員をやる程思いやりがあってしっかりした人だから甘えづらいよね。
思いとどまり、プリンを小林君に差し出す。
「一口食べて」
小林君は頭を掻く。
「あ……いや、でも」
「残りは私が食べるから」
「あ、いや、そしたら……」
「いいから!」
有無を言わさず押し付けると驚いた小林君はプリンを受け取った。
もそり、と一口食べると私にプリンを差し出す。
「……美味かった」
「……一口だけでいいの?」
小林君はこっくり頷いた。
プリンを受け取り、口に運ぶ。……本当だ。すごく滑らかで美味しいプリン。
思わず笑みを浮かべていると頬を染めた小林君が『……間接キス』と呟いた。
帰宅してスクールバッグをリビングのカウチに置くと直ぐにお菓子作りに取り掛かる。
パパがウィーン出張で助かった。以前、ブラウニー作る時にキッチンにパパが入って来て大変だったもの。『パパの分にしては多すぎるよ!』『男!? 男だね!? 誰だっ! 叩き斬るっ!』って大剣幕で……。『女子用のチョコレートなの。お昼にみんなで食べるの。女子高生ではそーゆーのが流行ってるんだよ』って誤魔化すのが大変だった。
キッチンでビーフシチューを作るママの隣でワークトップに佇み、絞り出し袋の中のタネを口金から天板に絞り出す。可愛いマーガレットクッキーなら食べる時、きっと楽しくなるよね。
ママはレードルから小皿にシチューをよそうと味見する。
「彼氏君?」
「違うよ」
「彼氏君でしょー?」悪戯っぽい笑みを浮かべたママは私の顔を覗き込んだ。
「違うってば」
「今度、パパがいない時に連れて来てよ。ママ、可愛いコマチちゃんの彼氏君とお話ししたいわ」
「そんなんじゃないの」
小さな絞り袋から花型の小さなクッキーが咲き出す。
火を止めたママは私の手許を眺める。
「随分と量少なくない? それに小さいもの。男の子ってモリモリ気持ちよく食べるでしょ? こんな小鳥のごはんじゃ足りないわよ」
「もー。どうして男子だって決めつけるの?」
「だってヴァレンタインから一月も経ってないもの。可愛いコマチちゃんが一生懸命ブラウニー作ってたじゃない。ね、どんな男の子なの? 優しい子? パパみたいにカッコいい?」
「もー」
「ママにだけこっそり教えてよ。パパには絶対に秘密にするから」
「もー。クラスメイトだからそんなんじゃないの。大怪我で入院して、心にも大きな傷負ってるの。甘い物が好きだって言うから……ちょっとだけ」
「沢山の方が喜ぶわよ?」
「悪い夢を見て飛び起きて吐いちゃうから、勿体なくて食べられないんだって」
「……まあ。大変ね」
「甘い物好きなのにお見舞いのプリン一個食べるのも遠慮してて……。小さなクッキー一、二枚なら食べてくれるかなって……。これくらいだったら吐く時の量も変わらないだろうし、気軽に口にできるよね?」
絞り出しの袋を置き、天板から顔を上げるとママが私の頭を撫でる。
「吐かれちゃうって分かってるのに……優しくていい子」
「……もー。高校生なんだからやめてよー。いい子になりたくて作ってる訳じゃないよ。私、その子の親友みたいに頭が良くて何でも出来る訳じゃないし、鈍臭いだけで何も役に立てないから……お菓子だけでもお手伝いしたいって……。迷惑かな?」
ママはにっこり笑うと私の頭をよしよしと撫でた。
夕食を終え、粗熱が飛んだクッキーから綺麗な形のものを二枚だけラッピングし、自室に向かう。部屋に入りスタンドキャビネットの本棚から本を探す。……小林君が読みたいって言っていた
今日は色々な事があったな……。
長いため息を吐き、ベッドに寝転がる。ネオン菅が巻かれた時計を見遣ると九時を過ぎていた。
……小林君、もう寝たかな。病院の夜は早いものね。
小林君は色々気を遣ってくれた。
話し下手な私が言葉に詰まってテンパっていると、話題を変えて助け舟を出してくれた。それに色々と接点を探してくれた。小林君も読書が好きだなんて知らなかった。しかも同じハードボイルド小説のファンだなんて。私が大好きなジャズやロックも好きだなんて知らなかった。部活と学校の合間にタロ君から借りたヤンキー漫画読んで胸が熱くなって泣いたり、エレキの練習したり、時々部活をこっそり抜け出して裏の駄菓子屋で一人糸引き飴やヤングドーナツやチロルチョコ頬張ってるなんて知らなかった。雑木林の木のウロに一日一粒ずつ木の実を詰め込んで何処まで入るか子供みたいに遊んでるなんて知らなかった。……教室でみんなに囲まれて笑ってる小林君しか知らなかった。
こんなに色んな素敵な事を話してくれた。振った気まずい女には変わりないけど……友達になりたいな。小林君と友達になりたい。
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