世界で一番危険な生き物
さっきから目の前で夫婦の修羅場が展開されている。
まぁ、一方的にイキりたった夫が気の弱そうな妻に慰謝料の請求と契約の解除────まぁ離婚を迫って離婚届を突きつけている感じなのだ。
だが妻の方がなかなか首を縦に振らないものだから話は全然進まない。
オフィスでこんな事されてしまうと業務に差し支えるので、さっさとご退場頂きたいところだが、これが依頼に係ることなので中々簡単にご退場頂くことも出来ない。
まぁ、自分の様な仕事をしているとこのような場面に出くわす事が非常に多いものだから、最早驚きも新鮮味も感じる事はなくなっている。
言ってみれば毎回登場人物が違うだけの昼のメロドラマだ。
この様な男と女のドラマを砂被りの席で見れる事を喜ぶ人種もいるのだろうが、自分の様なハードボイルドはそこまで深く他人の面倒事に関わりたいとは考えない人種だ。
まぁ、犬も食わないと言う位の物だが、見世物だと割り切って楽しむことにしよう。
────ちなみに私の依頼人は二人の内の妻の方だ。
まずここに乗り込んてきた経緯たが、夫の方が妻の不貞を疑い、他の探偵社に依頼をかけたところ妻が私の所に依頼をしている事実が判明した。
夫としてはそれが面白くない。
自宅で自分の依頼した探偵社の報告書を妻に突きつけ、夫の浮気を疑うとは何事か!から始まり、妻に真偽について詰め寄るも妻は探偵など頼んでいないとの一点張り。
痺れを切らした夫は妻を連れて我が探偵社に訪れて、私の探偵社に依頼をしたと認めろと私のデスクの前で揉め始めたわけだ。
ずかずかとオフィスに入って来て『妻がお前の探偵社の依頼人だと認めろ』と難癖をつけられたわけだが、こちらにも守秘義務があるものでね。
その時は、もしも依頼人だとしても口が裂けてもお話できないと突っぱねた。
────だが、あまりにもしつこいものだから、ファイルをパラパラめくる振りをして『とりあえず我が探偵社の依頼人ではありませんね』と再度突っぱねてみた。
しかし、『自分の依頼した探偵社が調べた証拠がある、お前の言うことは信用できない』と私の言う事など聞く耳を持たない。
だったら最初から私に聞くなとも思ったが面倒なので何も言わず煙草に火をつけた。
夫の方は私を気にすることもなく、一方的に自分の意見を早口で捲し立てる。
私が実施した簡単なプロファイリング結果だが、彼は思い込みの激しいタイプで自分の事は正しいと思っているタイプだ。しかも自分は頭が良いと思い込んでいる。こういうタイプは人の話を聞かず持論を振りかざすだけの事が多いので面倒なタイプだ。私に言わせれば、本当に頭の良い人物は人の話が理解出来る人物の事だ。間違っても人の話を理解出来ないのを誤魔化すためにマシンガントークで相手の発言を封じ込める人種の事ではない。
本当に頭の良い人は相手の長い話を聞いてそれを理解してなお、持論を話せる人だ。
大抵の自称自分は頭が良いと言う人物は場当たり的に発言するのでどんどん脱線していく。
まぁ、私に言わせればこの夫のマシンガントークは他人に下に見られない様にする為の処世術の延長でしかないね。
ある意味彼は自分の様なハードボイルドとは対極の存在とも言える。
彼の様に他人の事など気にいしていたらハードボイルドはつとまらない。
────夫はそんなに自分の事を信用していない妻と今後も結婚生活など続ける事はできない、離婚届にサインしろと今に至る。
まぁ、私が先日目を通した資料から推察するに、浮気相手と再婚したいがために邪魔になった妻と離婚したい夫が慰謝料を払いたくないものだから難癖つけて離婚の原因を妻の側にあると言いたいんだろうね。
良くあるパターンだが、自分が探偵社に依頼した事を棚に上げて、よく言うよ。
夫の発言はどんどんエスカレートしていく。
私が女で探偵社の社長という立場についている事にまで言及するまで至った。
『ジェンダー論を語りたいなら別の場所でお願いします』と深く煙を吸い込んだ後で煙草を灰皿に押し付けた。
でも、まぁ、面倒になってきたな。
ここら辺で茶番劇は終幕とさせていただこうか。
ここで前準備として秘書に指示を出して妻には別室へ移動してもらった。
『────私はいくつかの会社を経営しているのですが………ああ、どれも零細企業でしてね、特段詳しく説明する必要もないと思いますが………まぁ、簡単に言えばあなたの奥様は私の経営するこの探偵社とは別の
『………な!?』
それを聞いて固まる夫。
────そう、妻の依頼は探偵社への夫の素行調査ではなく、私が経営する他の会社────
『────旦那様への誕生日サプライズを企画するなんて、なんて素晴らしい奥様かと私共も大変感激しまして、我社の総力をもってご協力させていただいておりましたが………まさか旦那様の不貞を目撃する立場になるとはこちらも想像もしておりませんで………ですからこの事は奥様にはお伝えしておりませんでして………でも仕方ありませんね………』
そう言って秘書に持ってこさせた封筒を渡した。
『────旦那様への素晴らしい誕生日プレゼントになれば良いのですが』
夫は手渡された封筒の中身を確認するとみるみる青ざめていった。
夫は先程までのテンションが嘘のように無口になった。
『────お帰りはあちらです』
私が表情はニッコリ笑いながらも、反論を許さない強い口調で出口を指差すと、夫は渋々出口にむかった。
『────そうそう、もしも有能な弁護士が必要でしたらお申し付けください。私は弁護士事務所も経営しておりますので、私が知りうる中でも有能な弁護士をご紹介致しますよ────』
出口に向かう夫の背中に最後の駄目押し。
夫は忌々しそうに一度こちらを見たあとで出口のドアを大きな音を立てて出ていった。
夫が出ていった後で別室から妻を呼び戻した。
『奥様にはなんと申し上げたら良いのか────』
『────いえいえ、事情はわかっておりますのでお気になさらずに────それよりも今回は私の依頼が元で皆様にはご迷惑おかけ致しました。これがお約束の報酬です』
さっきまでの気弱な印象とは裏腹にハッキリとした口調で受け答えする妻。
現金が入っていると思われる封筒を差し出してきた。
だが、当初の依頼料を満額もらうわけにはいかない。
サプライズプレゼントまで含めての契約であったので、調整が必要になってくる。
『────こちらにも不備がございましたのでお支払額はあちらで秘書と相談していただいて………』
『────いえいえ、結構ですのよ。|想定しておりましたから』
こちらの申し出を丁重に断る妻。
妻は封筒を押し付けてそそくさと荷物をまとめて帰り支度を始める。
………
契約期間はまだ残っていて、支払いはまだだいぶ先の契約であったはず。
────怒った夫に着の身着のまま連れて来られたと言うのに?
────あれだけの現金を想定して持ってきたと言うのか?
────支払いはまだ先のはずなのに?
────何を想定して?
私が色々と思いを巡らせていると、妻は出口でこちらを向き直り、深々とお辞儀して出ていこうとした。
そこでふと思い出したようにこちらを振り返った。
『そうそう、夫に弁護士を紹介下さるなら、私にも弁護士をご紹介下さるかしら?夫にご紹介下さる方よりも有能な方を────』
そう言うとニコリと笑って妻は出ていった。
『────あれはどこまで想定してましたかね?』
秘書が出口に視線を向けながら呟いた。
『────女とは怖い生き物だね』
『────あら、私もあなたも女じゃないですか』
それにはあえて反応せず窓際に移動して窓を少し開けて煙草に火を付ける。
『────社長、離婚調停になったらどっちが慰謝料ぶんどるか賭けますか?』
『────それじゃあ賭けにならないね』
『────確かにそうですねぇ………』
そう言うと秘書はお茶のセットを片付け始めた。
それを横目に煙草をふかしながら通りに目をやると丁度妻が車の助手席に乗り込むところだった。
乗り込む際に妻がこちらに気づいて軽く会釈をする。
────夫ではない若い男が運転する車は女を乗せて自宅とは反対方向に静かに走り去った。
『────女と言う生き物は怖いね』
ハードボイルドの独り言(仮題) 観音寺 和 @kannonji
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