第63話 聖なる盾
夜の街とは静かなものだ。
明かりは落とされ、ざわめきは無くなり、人々は寝静まる。
夜の闇に生きる者達も眠りの静寂に紛れるため、音を殺して静かに事をなす。
夜には夜の掟がある、そう言わんばかりの世界を今、1人の男子が必死の形相で駆け抜けていた。
「申し訳ありません。この様な事に巻き込んでしまって」
「そう思うなら離れてくれませんかねぇ!?」
背中に小さなシスターをひっつけて。
「あぁ、見ず知らずの少女に声をかけて食べ物を恵んでくれたばかりか、体を張って助けてくれるなんて……なんて献身的な方でしょう……あ、来てますよ」
「うっせぇぇぇ!! 離れろってうわ早い!?」
なぜ彼らは走るのか。
それは彼らを追う者がいるから。
美しくも無表情な顔に銀の長髪を靡かせて、荘厳な彫刻を施したレイピアを片手に構えた恐怖が迫り来るから。
「聖女様を解放しなさい!」
「いやよく見て!? 捕まってるのむしろ俺!!」
「解放せねば斬り捨てます」
「聞いて人の話!?」
なぜこんな事になったのか。
売り上げを身内に巻き上げられただけでは、神は満足しなかったのか。
ここまでの試練は必要ですか? 何か悪いことしましたか?
エグジムの目に涙が光る。
「むぐむぐ……ふう、ご馳走様でした」
「この状況でまだ食ってたんかいワレェ!!」
「貴様聖女様にワレェとは何だ!!」
「そこは聞いてんのかい!!」
もうやだ帰りたい。
「ていうか聖女‘‘様‘‘? 知り合い!?」
「ええっと、彼はですね……」
幼女は少し言いにくそうに口ごもった後、串焼きのたれが付いた口でこう答えた。
「その、何というか……私の護衛で、聖騎士ですね」
「その聖騎士さんが、なぜあんな形相で?」
「えっとそれはその……黙って抜け出して来たら何というか」
全力で走りながら振り返る。
わずかな街灯に照らされた白刃と怜悧な美貌。
刃を構えて走るその顔に浮かぶのは……犯罪者を見るごとき表情。
「はいアウトーーーーー!! お帰りください今すぐに!」
「ちょっと待ってください! いたいけな少女をそんな片手で持ち上げて、何をするつもり
……いやーーー! 投げちゃダメ投げちゃダメ!」
「貴様聖女様になんと無礼な!!」
「無礼でもいい! もうお返しします!!」
襟首掴んで振り返りざまにぶん投げる。
エグジムはパワーファイターではない。たとえ小柄な幼女に近い少女と言いえども
普段なら投げるどころか片手で持ち上げることすら困難だ。
しかしこの時のエグジムはそれを可能とした。なぜか。鍛冶場の馬鹿力というやつだ。
それほどまでにこの状況はエグジムにとって逃げたいストレスフルな状況だった。
考えてもみてほしい。一日かけて稼いだ金を、浴場で寛いでいただけの同行者にたかられ、
それも終わったかと思えば幼女にまで食事をたかられ、極めつけは誘拐犯扱い。
いい加減にしてくれと、そんな怒りを込めて思いっきりぶん投げようとした。
しかし状況は終わらなかった。
「それはダメです!!」
しがみつかれたのだ。もうガッチリと。
投げられまいとする強い意志で、木に張り付くセミのごとく。
投げようとした腕は上げ切ることなく固定され、そこに来るのは殺意のこもった銀の鋒。
「聖女様がお身体を張ったこの状況、このアーリ無駄にしません!!」
せめて峰打ちならまだ慈悲があろうに、よく研がれた鋒はもう殺意しか込められていない。その進路は迷いなくエグジムの心臓を目指す。このままでは死ぬ。
「こなくそぉぉ!!」
右手は無防備、避けるのも間に合わない。しかし死ぬのはごめんだ。
死を間近にしたエグジムが咄嗟に行ったのは、糸による右腕のコーティングだった。
医療関係者など見る人が見ればわかるかもしれない、それは筋肉繊維によく似た外付けの動作補助装備。
これにより力を増したエグジムは、余計なものがひっついている右腕を無理やり動かして……盾にした。
「うえっ!?」
「貴様! 聖女様を盾にするとは卑怯者!!」
既に勢いの乗っていたレイピアは急には止まれず、シスターの顔スレスレを通過する。
無理やり体勢を崩して逸らしたか、アーリの追跡の速度が弱まった。この気を逃さずに一気に突き放さんと魔力を巡らす。
筋肉と共に伸縮する糸が普段出せない力をエグジムに与え、シスターがしがみつく右腕も容赦なく振り全力ダッシュ。
これで逃げ切れる、そう思った。
しかし、この時エグジムは油断していた。
いや、判断基準が甘かったと言うべきか。
突如として後ろから吹き付ける突風。それに一瞬気を取られた……その間にエグジムの眼前にはレイピアを構えた銀髪の麗人が立っていたのだ。
いつの間に、そう思えども止まるだけの余裕もない。
「驚きました。ここまで信心のない若者がいるとは。本来ならば主の教えを説くところですが……聖女様に手を出したことは万死に値します。迷える子羊を救えぬこの不徳の身をお許しください」
レイピアを持つ腕は背後へと引き絞られており、今にも刺突が放たれそうな殺気を放っている。
避けることは不可能。
ならばやることはひとつ。
「おっしょい!!」
「きゃー!!」
「貴様また!!!」
二度目の盾発動。
今回はシスターの胸元スレスレを白刃が通過し、その余波がエグジムの衣服まで切り裂いた。
直撃していたら確実に命を狩られる一撃だった。
そしてまた無理に軌道を変えたアーリは転倒しそうになる体を無理やりとどめ、その場でたたらを踏んでいる。
「やっば……死ぬところだった」
「私がね!!!」
エグジムも少女も二人して青い青。二度も盾にされた少女はエグジムの手から離れようとするが、今度は逆にエグジムの腕から離れられない。
よく見るとエグジムの腕を覆う糸に少女の衣服が縫合されているのが分かるだろう。
決して逃がさんと言わんばかりに。
「もう少し……あれば助からなかったな」
「ねえ、今どこ見て言いました?」
胸元スレスレ、そして絶壁。イコール無傷。
ジト目の少女からエグジムは全力で顔をそらした。
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おサボり期間が大変長く、申し訳ありませんでした。
本日よりぼちぼち再開していきます。
また56話の「つまらないですわ」も修正しております。
よろしくお願い申し上げます。
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