第58話 暇なら稼ぐ、それが平民魂よ

エトルーン中心市街広場。

大浴場の正面になるように整備されたそこは、中央に大きな噴水があり市民の憩いの場になるとともに、多種多様な屋台が出店する活気の園でもある。

アンダーウッドに行く前の商人、帰ってきた商人、アンダーウッドまで行く地力のない者、この市場を拠点としているもの、そしてルーキー。

業種も様々、形態も様々、そして楽しみ方も様々。

統一感などなく、ここにあるのは純粋な活気と、兵士の努力による治安だけ。

住民も旅人も傭兵も楽しく市場を見て回り、商人も険悪になることなくお互いを尊重して商売を行っている。

時には大道芸人が民衆を沸かせ、ストリート楽団が音楽を披露して市場に花を添えていた。

エグジムはそんな楽しそうな人並みの中、気さくな兵士と二人で天幕を張っていた。


「ありがとうございます、手伝ってもらっちゃって」

「いえいえ。天幕のレンタルされた方にはよく手伝ってるんですよ」


この兵士、エグジムから出店のことについて聞かれ、それ以降もいろいろとサポートしてくれた気さくな方である。

入浴して洗濯まで終わらせてから広場に戻ってきたエグジムに気が付いて声をかけてくれ、そのまま出店許可の申請や天幕のレンタル手続きなど色々とお世話になった。


「洋服の出店でしたっけ。競争相手もいますし、頑張ってください!」

「はい! 出店費用くらいは稼いで見せます!!」

「頼もしい少年ですね。では何かわからないことや困ったことがあったら呼んでくださいね。私はここの警備をやってますから」

「ありがとうございます! 頼らせてもらいます! ところで兵士さん、上着が破れてますね」

「あ、本当だ……昨日の訓練で破れたかな」


市場に集まる人たちに圧迫感を与えないためか、兵士は軍服と帯剣のみで鎧などは着用していない。

そのためエグジムから軍服の破れがよく見えた。

まあ破れと言っても大きなものではない。脇腹のあたりに切り傷が入り、完全に穴が開いてないまでも直線で生地がほつれている感じだ。

普段から着ている分には気にしないが、一度気が付いてしまうと身だしなみの関係上気になってしまうやつ。


「まいったな、裁縫は苦手なんだ」

「ご自分でされるんですか?」

「あいにくと独り身なものでね」


あははと笑う兵士さん。

エグジムはおもむろにその兵士へ上着を渡すように促した。


「お礼です、貸してください」

「ん、ああ。直してくれるのかい。助かるよ」


警戒心無くエグジムに上着を渡してくれる兵士さん。その上着をエグジムはハンガーにかけると店先につるし、裁縫箱から似た色合いの糸を取り出した。

興味津々で見守る兵士さん。その眼前で取り出した糸が宙を泳ぎだす。


「おお!!」


驚き思わず声を上げる兵士さん。何事かと周囲の視線も集まり、皆一様に歓声を上げる。

濃い目の緑色で構成された軍服に合わせた、濃緑色の糸が空中を漂い、その姿はまるで水の波紋の様。

普段見たことのない糸の動きにギャラリーの視線が集まる。


「では行きます」


エグジムがまるで合奏の指揮者のように人差し指をタクトがごとく振る。その動きに合わせ糸の先端が鎌首をもたげて、一直線に衣服へと突入した。

シュルシュルと、切り口の端から入り、ひとりでに破損個所を修復していく糸。

エグジムは空中に右手で軌跡を描き、糸は呼応するように上着の中を動き回る。

針も使わず、手も触れず、糸そのものを操作して行われるリペア技術。

ギャラリーは増え、兵士さんも自分の上着に釘付けになっている。


「すげえ。あんな縫い方見たことねぇ」

「魔法かな、糸だけ動くなんて聞いたことない」

「何かいいな、ああいう魔法」


ギャラリーから感想が漏れる。その中でエグジムは忙しなく糸を操作する。

軍服というのはシンプルなように見えて奥が深い。

例え鎧を纏わない衣類だけの状態であっても防御力を少しでも上げる工夫がされているのだ。

糸の素材しかり、生地の作りしかり。ただの衣服の範疇でどれだけ丈夫にできるかの勝負である。

故にただ縫合すればいいわけではなく、裂けてしまった生地から丁寧に修繕してやる必要がある。

針仕事でやろうとすればどれだけ時間がかかるか分からない、恐ろしく精密な作業。

だからこそ糸魔術の真価が光る。


「ここをこうして、よし、完成!!」


生地の裏側にて最低限度の大きさで糸を止め、切断。

ヒュルヒュルと逆回しのように漂っていた糸が糸巻きに戻っていき、最後はエグジムの手で縫合箇所の仕上がりを確認して完成。


「はい、どうぞ」


修復が終わった軍服を兵士さんに渡したところで、ギャラリーから歓声が上がった。


「どうだい兵士さん、仕上がりは」

「ええ、とても良いですね! どこが破れてたのか分かりませんよ!」

「ちょっと見せて……え、本当にどこ修理したの?」

「ほらここ、このくらいの切り傷があったんですよ」

「かぁ〜見事なもんだな」


できたばかりの店先で軍服の仕上がりに興味津々な買い物客たち。兵士さんも嫌な顔ひとつせずに彼らとの会話に花を咲かせている。

自分の修理した服が注目されてるのは気分の良い物だ。

修理した動機は兵士さんへのお礼のつもりだったのだが、意図せずして実演販売と同じ効果を得ていた。


「ねえ、店主さん。この服ってどうにかなる? おいくらくらいかかるかしら」


ギャラリーの中には自分の家から破れた服を持ってきて修理の相談をするものも出始めた。その1人1人にエグジムは丁寧かつ迅速に応えていく。

また商品として陳列した刺繍入りのシャツの方でも。


「この花の刺繍、細かいな……」

「あ、猫だ。可愛い〜」

「これだけ細かいんだ、高いよな……え、銀貨2枚なのか」


通貨単位としては、鉄銭、銅貨(鉄銭10枚)、大銅貨(銅貨10枚)、銀貨(大銅貨10枚)、金貨(銀貨10枚)となる。

昼食がだいたい銅貨3〜4枚くらいとなると、銀貨2枚は割と高いが頑張れば手が出る値段。

出店で売る分にはギリギリ許容範囲だろう。

ちなみにハンカチも刺繍入りで出品している。

こちらはだいたい大銅貨2枚くらいだ。

大銅貨2枚ならと手に取る人も多い。

そもそも衣服が高いのだ。世間一般として。

中流以下の人だと古着しか買ったことない人などザラで、中流であっても新品なんてそう買えない。

普段から服を新品で買うのは、ある程度の信頼ある傭兵など装備が命に直結する人か、並以上の商人か、あるいは貴族くらいである。

それ以外だと礼服など体裁を整える用か、あるいは本当に気に入って手持ちがある時くらいしか新品は買わないのが普通だ。なんせ普通に金貨が飛ぶのだ。庶民的には覚悟をしなきゃいけない買い物だろう。

さらに言うならエグジムの店に置いてあるのは普通の服ではない。ただでさえ高い服なのに、結構手の込んだ刺繍までしてあるのだ。こうなると価値は相当上がる。

値段とは技術、時間の表記でもある。刺繍とは相当に手の込んだ代物だ。作るのに数日単位でかかるのが当然であり、さらにはそれなりの量の糸も消費する。

となると値段は跳ね上がる。普通の感覚では銀貨で陳列してあるのなんて有り得ないと言うほどに。


「君、これは本当にこの値段かね?」

「そうですよ。いかがです?」

「ふむ……」


物珍しげに服を見ている人の中に何処ぞの商人が混ざりはじめた。転売狙いだろう、そう珍しいことではない。

ある場所から仕入れ、ない場所で売る。商売の基本の一つだ。


「この刺繍の入ったシャツ、数点もらえるかな? 幾つ売ってもらえる?」

「そうですね……多くの方に手に取って頂きたいので、3枚が限界ですかね……」

「そうか……しかしこれほどの作品、ここ以外にも欲しがるものも多い。10枚ではどうだ?」

「それだと買い占めですね、5枚」

「売りしぶりは良くないぞ、9枚」

「……なら値切りは無しということで、8枚では?」

「ふむ……」


銀貨2枚、正直安い。他で買うなら倍は下らないだろうと商人の男は計算する。ならば値切りなしでも利益はしっかり出るということだ。


「……いいだろう。8枚くれ」

「ありがとうございます」


にっこりエグジム。あくどい商人。

布袋へ服を詰め、渡す時にしっかりと笑顔で会釈し、お互いの表情が見えなくなってから2人ともニヤリと笑った。


『これだけの服、10倍とて売れるだろう。ふふふ、いい買い物をした。あそこに残ってるのは2枚のみ、本当は買い占めたかったが2枚なら逆に希少価値を上げることになる。フフ……いい儲けだ』

『買い占めたと思ってるだろうけど、甘いよ。在庫はまだまだある。そもそもそれらシャツはだいたい「端切れ」だ。糸魔術で丁寧に縫合しただけのもの。刺繍糸だって知人から安く大量に仕入れたものだ。言うなれば糸魔術を練習するだけ作られてしまう余剰在庫。普段は二束三文にしかならない素材の集大成だ。それを値切りもせずに……ククク……まいどあり、商人さん』


商い。それは内は黒くとも外は華やかに取り繕うもの。

笑顔で別れた直後に黒い顔になる2人を、湯上りでホクホクした女性陣が目撃してドン引きするのはこの数秒後の事である。

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