第5話褒め言葉
「さあて、お仕事しましょかね」
ひりひり痛む右ほほを気にしないようにしつつ、作業台に向かうエグジム。
壁にはエグジムと同じような背格好の凹みが出来上がっている。というかエグジムの着弾跡だ。よく首がもげなかったと思う。
「エグジム君。君は頑丈だな」
後ろで着弾痕を撫でながら、伯爵が感心したように呟いている。椅子の直撃を受けてもピンピンしている貴方も大概頑丈ですと心の中で返答し、エグジムは刺繍糸と修正用の頑丈な糸とを取り出した。
「うちの娘は求婚こそ数多あるが、付き合えた男性はいない。というのもこう、お転婆ではなあ。男の方が尻込みしてしまう」
投げられた椅子に座りながら、しみじみ。
「五月蝿いですわよお父様。余計なことしなければ殴られないのです。ですわよね? エグジム」
「そーですねー」
正直どうでもいい。つか頬が痛い。
自分が悪いのは分かるが、男の子だもの、気になるのは仕方ないではないか。つい返事がおざなりになってしまう。
縫合糸を一部ハサミで切断し、パーツを一部分離させ、型紙から微調整した布地を新たに用意する。
普段ならこんな調整、本日中には間に合わないが、幸か不幸か今のエグジムでは間に合ってしまうのが悲しいことか。
まあ、やれるからには……やるしかない。
「集中、集中」
イメージするのは糸を自分の手足とする様相。ごちゃごちゃとは考えない、こういうのは直感だ。
水面を漂う羽衣のごとく、机から浮き上がりエグジムの周囲を揺蕩う糸たち。
右手の人差し指を軽く立て、振り上げると追従するように持ち上がる糸。
軽く指を振り糸の動作を確認し、振り下ろす動作とともに布地に突き刺す。
「細かく、緻密に、適切な強さで、歪みなく」
シュシュと指を振り、その動作に応えるように二本の糸がそれぞれ別の箇所を縫い合わせていく。
今はまだ二本だが、これから慣れれば本数を増やせるだろうか。しかしたった二本でも二倍の効率だ。糸そのものを操作しているので単純に縫合も早い。
「へえ、器用ですのね」
エグジムの仕事風景に興味を持ったのか、後ろから覗き込んだユーリが思わずといった感じで呟いた。
「今朝試しにやってみたら出来たんだよ。まだ付け焼き刃だけど、縫合自体は問題ないから安心して」
「さっき着てみましたら縫い目を感じさせない仕上がりでしたもの。疑ってはおりませんわ」
会話しながらも集中を途切れさせないように注意を払い、確実に仕事を進めていく。
手縫いの時もそれなりに早さには自信があったが、針を介して縫うのと糸を直接操って縫うのとでは小回りが違う。それに高い位置から広い範囲を確認しつつ縫えるのもいい。もう少し慣れれば手縫いの時と遜色ない強度も持たせられるだろう。
「よし三着完成。あとは刺繍だな」
操っていた縫合糸を解除し、代わりに刺繍用の金糸に意識を注ぐ。白い糸が机に落ち、代わりに金の揺らぎが宙を漂う。
「おっしゃ、やれ!」
裁縫の掛け声とは違う気がするが、気分的には襲撃だ。上空からの降下攻撃。
二本の糸はそれぞれ鎌首をもたげ、一直線に襟口へと着弾すると、手縫いの数倍の速さで刺繍を仕上げていく。
エグジム、身長百七十センチの細マッチョだが、得意技は刺繍と料理。女子力はそこらの女性を上回る。
既にエグジムの頭の中にはどのような刺繍にするかが工程付きで出来上がっており、あとはその作成予想図をなぞるのみ。迷いない糸の動きに無駄はなく、できる図形に歪みなし。
一着分の刺繍が仕上がる、その瞬間までユーリは呆けて見守るしか出来なかった。
「一着完成! あとふたつ!」
変なスイッチの入ったエグジム。普通に振舞っているがこの男、既に二徹。頭の中は隠れて愉快な事になっている。
もう背後のユーリは意識にない。
「ふふふふ、面倒だ、二着同時に決めてやろう」
「これが黒歴史か……若さとは恐ろしいものだな。なあシューイン」
「旦那様。黙っているのが優しさかと」
「だが断る!」
「煩いですわ!」
錐揉み回転して飛ぶ伯爵。威厳は既にない。
しかしエグジムは残念ながら、そんな背後の親子コントに気がつかず、不安定な笑い声を上げながら二着の刺繍を同時に仕上げていた。
「凄いですわね、この魔法」
「少し見ないうちに使ってたんですよね。私も今朝見てビックリですよ。はい調整終わりました」
いつのまにか戻ってきていたビリームが調整を終わらせたブーツをユーリに手渡した。
「貴方も早いですわね。流石お父様のご友人なだけはありますわ」
「そりゃ光栄です。宜しければ試して下さいますか?」
「後で試します。今は此方を見ていたいのですわ」
金糸が取り巻く中で手をタクトのように振るい刺繍を仕上げていくエグジム。その様子はまるでオーケストラの指揮者のようで。
「たしかに見応えがあるね。金の糸が光を反射して実に美しい光景だ」
「チッ、復活が早いですわね」
もう一発と拳を握るユーリ。殴る理由は無いがなんとなくイラッと来たのだろう。
しかし拳が放たれる前にエグジムから「出来たー!!」と上がった声が、ユーリの頭から父親の存在を吹き飛ばした。
「ふう。出来ましたよ」
手渡される制服。ユーリはそれを受け取ると更衣室に足早に向かう。
シューインがすかさず帽子と手袋をドア越しに渡し、鍵のかかる音がして暫く。
やがて開いた扉からは一つの美が姿を現した。
少し斜めに被ったベレー帽。程よく鍛えられつつも女性らしい柔らかさを失わない不思議な均衡を保つ肢体を飾り立て、美しくも弱々しさを感じさせない上下の制服。薔薇の刺繍が入った手袋が手指のしなやかさを強調し、ブーツが全体の印象を引き締める。
用意した全てを着こなし、その身を中心にまとめ上げた少女が堂々と腰に手を当てて立っていた。
ユーリは呆気に取られる周囲を見回すと、ニヤリと淑女らしく無い笑みをうかべ、ビシッとエグジムに指を突きつけ言い切った。
「着心地もいい、動きやすい、見た目も好み。気に入りました! 良い仕事ですわ!」
その少年のような笑みにエグジムも思わず親指を立てて応じる。
職人として、最高の褒め言葉だ。
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