第4話拳の淑女



「旦那様まで、あまりお戯れを致しますと下の者が困ってしまいます」


「あぁ、すまんすまん。しかし娘の言をなぞる様だがお前の父と私は友だ。なら子供同士も友人付き合いしたとして、不思議は無かろう。どうだ?」


「ええと……はぁ。私はまだ礼儀も半人前ですよ? そのうちボロが出ますが。といいますか、そろそろボロ出しそうですが? いいんですか、いいんですね?」


「はっはっはっ。それが我々には心地良いのだよ。他の貴族は好まないらしいがね!」


「当然でございます旦那様」



執事さんの背中が、どこか煤けて見えた。



「えと、ここをこうして。単純ですねこれ……よしこれならすぐ」



更衣室から微かに声が聞こえる。衣摺れは聞こえない。防音も多少ならある。中途半端な防音だが。



「何だ声だけか。だが逆に想像力を掻き立てられるな。なぁエグジム君」


「うぇえ!?」



とても男臭い笑みでエグジムの肩に手を置いてくる伯爵様。よく夜の酒場で酔った男たちがしている表情と同じだ。良いのか伯爵様。


ちらりと執事さんを見ると、こめかみに指を当てて苦い顔をしていた。ご苦労様です。



「どうだエグジム君。身贔屓だがなかなか美人だろ? それが着替え中のシチュエーションだ。こうあれだ、想像するだけなら許すぞ?」


「いやあのええと」


「あの子も妻に似て発育がなかなかな。ほら、いい感じだぶくおっ!!」



飛んできた椅子ストライク。


伯爵が真後ろに飛び、壁にぶつかったあと落ちてきた椅子に潰された。


飛んできた方に顔を向けると、右腕を振り切った姿勢のユーリが。


ゆっくりと上体を起こしたその顔は、口の端が引きつってる、控え目に見ても怖いもの。



「お父様。お戯れが過ぎますわね」



どうやら更衣室にあった椅子を片手でぶん投げたらしいお嬢様が仁王立ちしていらっしゃる。投げた椅子は大きめの男が座ってもビクともしない強固なもの。その分重量は普通の椅子よりある筈だ。あの細身のどこにそんな力が。



「ふん。変態なお父様は放っておきましょう。エグジムも、まともに聞いてはダメよ?」


「あ……はい」



伯爵本人の前で了解できるか。平民の立場を考えろ立場を。


伯爵本人はといえば、執事さんが慣れた手つきで手当てをしている。



「さてと、エグジム。制服のサイズは指定通りね。貴方が作ったのかしら」


「はい」


「敬語は禁止と言いましたわよ?」



真顔で拳をエグジムへ向けるお嬢様。それは間違えても伯爵令嬢がする行為ではないのに、不思議と違和感がない。


拒否れば殴られる。後ろの伯爵が証明している。彼女はやれる人だ。



「……そうだよ」


「よろしい」



敬語を外すとニッコリと陽だまりのような笑顔になり頷いてくる。これはもう敬語は使えなさそうだ。



「でも公式の場では敬語使うからな。つか人前では」


「最初はそれで構いませんわ」


「最初はって……まずいでしょ」


「構いません。要は慣れです慣れ」



どうしても敬語抜きを定着させるつもりらしい。もうアレだ、諦めよう。貴族命令で仕方なく合わせるんだ。そう自分に言い訳したら不思議と気分が軽くなった。理由付け大事。


でも他の貴族がいる時は改めよう。無礼うち怖いので。



「んで、サイズは大丈夫だろうが、細かなところはどう? この場で修正するから教えてほしいな」


「細かな所ですか。そうですね……」



ユーリは店内を見渡すと少し開けた場所に移動した。ちょうどユーリが手足を伸ばしても物に当たることのない位置へ。


ユーリがゆっくりと深呼吸する。瞬間、鋭い風切り音が耳をついた。


短い呼気。無駄なく伸びた芸術品のような手足が武器となった瞬間。まるで高速で飛来するムチの如く、しなやかな連撃が虚空に放たれた。



「はっ、りゃっ、せあっ!」



両の拳の突き、払い、肘打ちからの回転を殺さずに回し蹴り。かかと落とし。膝蹴りなどなど。素人目にも分かる一撃一撃の重さ。



「しぁっ!」



最後に風鳴りを引いて周り蹴りを放ち残心。風圧で他の商品が揺れ動き、かちゃかちゃとハンガーが音を立てる。



「……ふぅ。良いですわね」



ハンガーの音も聞こえなくなったころ、そう言って構えを解くユーリ。


なんの音だと戻ってきた親父に、エグジムはこそっと耳打ちした。



「親父、貴族ってこんななの? 最近の令嬢さんは拳で語るタイプ?」


「いや俺もお茶とかファッションとかに盛り上がるものと……」


「そこ、何をコソコソとしていらっしゃるのかしら」


「「!?」」



小声の会話が聞こえていたらしい。親父は慌てて店の奥に戻っていった。



「全く。私の志望は魔法騎士、あの程度出来なくてはお話になりませんわ」



ふんすと胸を張るユーリ。標準より大きめの胸が強調され目のやり場に困る。服を作るときに実はサイズも知っていたが、これは凄いと思ってしまう。



「何か?」


「いえなんでもないっす」



背後で伯爵が親指を立ててニヒルな笑みを浮かべてる。分かってるという雰囲気が鬱陶しい。殴りたいその笑顔。



「えーと、で、修正点とかどう?」



悟られたら背後の伯爵みたいになる。そもそもこれは仕事だしと、話題を服の調整に戻すエグジム。ユーリはその形の良い桜色の唇に指を当て暫く虚空を見つめていたが、すぐに視線をエグジムに戻した。



「大元は大丈夫ですわ。強いて言うなら襟にも刺繍が欲しいのと、あと胸が少し窮屈なところですわね」



その言葉にエグジムは戦慄した。


同い年ということは、この少女も今年成人したばかり。おそらくまだ成長期。


そして作った服は胸元部分をDカップ想定にて作っている。更に他の部分はスレンダー。男性が理想とする女性のスタイルそのものだ。


正直作ってるときにも「見え張ったのかな……」と思いながら胸元を修正する準備をしながら作っていたのだ。縮める方向で。


だがそれがまさか反対の修正が入るとは。


思わずこう叫ぶのも仕方ないだろう。



「まだ足りないのかっ!!」



直後、何のことかを悟ったユーリに見事な拳を決められるのは、まあ定めとでもいうものだったのだろう。

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