第20話 柘榴宿屋(2)
「赤ノ国では官吏の悪行が問題視されているんです。他国との戦がない代わりに内部での醜い権力争いが起きている。
「そうだな……。人をまとめ上げるのに必要なことだが過ぎれば人を縛る、人の不信を招く」
月白が険しい表情を浮かべる。
「きっと蘇芳様も月白様にお会いすれば気が晴れるはず。この国が変わるきっかけになるでしょう」
「残念ながら私にあいつを励ます力はないよ。あいつとは式典で顔を合わせたことがあるが雑談の1つもない。私を見ても能面のような顔だったからな。事務的な会話だけ」
月白が手をひらひらと振って鼻で笑う。
「そうですか。人とは変わってしまうものなのですね」
柘榴が眉を下げて悲し気に微笑んだ。
「人はそう簡単に変わらないさ……」
月白がため息交じりに答える。しんみりとした雰囲気が包み込んだとき、別室から珊瑚の歓声が聞こえてきた。
「おお!火が灯った!」
その声と共に月白が窓辺に視線を移すと町中に吊るされた提灯に明かりが灯されたのだ。
「少し長居をしすぎたようですね。後でお湯と夕餉をお持ちします。ゆっくりお休みください」
柘榴はゆっくりと立ち上がると丁寧にお辞儀をして部屋から立ち去って行った。
「見たか?独りでに明かりが灯ったんだ。面白いなー。これも王の妖術なんだろう」
珊瑚が興奮気味に窓を指さす。
「そうだ。これも蘇芳の力……」
月白は湯呑の茶に視線を落としながら呟いた。
女性の給仕が運んできた食事を摂り、運ばれてきたお湯で身を拭う。二つの部屋は男部屋用と女部屋用に分けそれぞれでタライに張ったお湯を使った。
「意外と顔が広いんだな。月白って」
「月白様だ!」
手拭いを絞って顔を拭きながら珊瑚が言った。再び障子を開けて外を見始めたので灰青が身を拭うためにはだけていた着物を慌てて引き戻す。
「開けるな!まだ身を清めてる最中だろうが!」
「うるせーなー。ほんっと小言が多い。野郎の裸ぐらいどうってことないだろ。あー!あそこに可愛い子歩いてる」
灰青は舌打ちしながら手拭いをきつく絞る。固く絞りすぎて手拭いが引きちぎれそうだった。
「灰青って毎回月白と同室なの?」
「ああそうだ。それがどうした。従者なら当然だろ」
「へえー。手出したくなったことないの?」
その瞬間、固く絞った手拭いが剛速球で手拭いを珊瑚の顔面に投げつけた。水分を含んだ上に固く絞った手拭いはそれなりに強度が高い。珊瑚はそのまま後ろにひっくり返った。
「何すんだよ!ただ気になったから聞いただけなのに!」
「……月白様は命の恩人でこの世界を明るい方へ導く選ばれしお方なんだ。そんな卑しい目で見て良い存在じゃない。それともお前はそういう目で見てるっていうのか……」
殺気を帯びる灰青は今にも畳に置いてある刀を引き抜きそうだった。
「違うって!違う。そんなこと言ったら俺だって命の恩人だし。月白には尊敬の念しかない。たださ……」
慌てて言葉を繋ぐ珊瑚はさっきまでの冗談めいた口調から悲しそうな声色に変わる。
「たださ……あんた苦しくないのかって。月白が赤ノ王の話をしてる時と宿屋のおっさんと話してる時ずっと険しい表情をしてたから」
「……」
灰青は刀を腰の帯に通すと顔を俯かせたまま襖を開けた。
「苦しいことなどない。従者であれば主君のことを心配するのは当然だ」
そう言って乱暴に襖を閉ざす。1人残された珊瑚は部屋に寝ころんだ。
「大人になるとああなっちまうのかー。やだな」
灰青が中心の部屋に戻ってくると同時に窓辺にもたれかかる月白に鉢合わせる。月白は少し湿った長い髪を好きなようにさせていた。背中の中心部分まで掛かるぐらいに月白の髪は長くてサラサラとしていた。
くつろいだ白い着流し姿で物憂げに町の赤い提灯を見下ろしている。赤い提灯に当てられた月白の白い髪は赤く染まって見えた。
灰青は見てはいけない物を見たような気がして静かに珊瑚が転がっているであろう部屋に戻ろうとした。
「灰青」
ふいに呼び止められ灰青は動きを止めた。月白の低い声で名前を呼ばれると心が騒がしくなる。
「……何でしょうか」
緊張した面持ちで灰青は髪で表情の見えない月白を見つめる。
「明日……何食べような」
想像の斜め上を行く月白の言葉に灰青は大きなため息を吐いた。
「そんなこと考える暇があるなら早く寝てください」
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