第19話 柘榴宿屋(1)

「それにしても……。店がこんなに立派になっているとは思わなかった」

「そうでしょう!私が一番驚いてますよ」


 柘榴宿屋ざくろやどやは二階建ての建物で三十室ほど部屋がある。特等室は店の奥、二階の角部屋になるという。

 柘榴が三人を先導しながら話す。荷物は後ろから付いてくる使用人の男性が持ってくれている。珊瑚さんごは口を開けながら高級宿屋を隅から隅まで眺めていた。灰青はいあおは黙って月白とともに柘榴の後ろを歩く。


「月白様は見違えましたね。子供の時はやんちゃ坊主のようだったのに今では美しい女性に」

「そんなことを言っても宿代は弾まないぞ」


 月白はまんざらでもないという風に小さく笑う。通り過ぎていく紅色の着物を身に付けた従業員が頭を下げた。


「私は昔から確信していましたよ。月白様は大物になるってね」


 赤茶色の温かな色合いの木で出来た階段を進みながら柘榴は言った。振り返りざま濃い紅色の瞳と月白の黒い瞳が合う。


「大物って……。小国の小領主が大物っていうのかな?国というには小さすぎる国だし。長年宿屋で生計を立ててる柘榴の方が大物だろう」


 月白の言葉を聞いて柘榴は軽快に笑った。


「そんなことを言ってもらえるなんて働いて来た甲斐があるというものです。さあ、こちらが我が宿自慢の特等室になります」


 そう言ってすらりと襖を開け放つ。


「わあ!すげえ!」


 一番に声を上げたのは珊瑚だった。鮮やかな赤色の瞳を輝かせた。薄っすらと赤みの入った畳が美しい。襖の装飾も美しく王華おうかが優しい色合いで描かれていた。本物の王華はもっときつい赤色をしている。天井にも美しい自然の絵が装飾されており目が眩むような美しさだった。

 十畳以上はあり、襖に仕切られた部屋が両側に二つある。部屋の中心には四角い卓が置かれており均整の取れた空間が広がっていた。


「へえ。良い部屋だな。私の屋敷よりも豪勢なんじゃないか?」


 月白も目を丸くして部屋中を眺める。


「またまた。ご謙遜を。こちらの部屋には様々な国の貴人きじんがお泊りになっている自慢の部屋です」


 月白の後ろから使用人たちが荷物を畳の上に丁寧に降ろして立ち去っていく。支度にひと段落した一行は四角い卓を囲んで話を始めた。珊瑚は部屋の中を確認して歩き回っているので卓の前に座っているのは月白と灰青、柘榴の三人だ。


「十年ぶりではないですか?お父様のことは……お気の毒でしたが月白様が後を継いでおられたのは噂で聞いておりました」

「うん。十年も経てば人間、色々あるということよ」


 程なくして女中が1人、部屋にやってくると手際よくお茶を淹れていく。序に暗くなるので部屋中の行燈に火打石から火を灯していった。


「私もやっとせがれが一人前になって来たのでね。少し気弱ではありますが……。私はそろそろ隠居しようと思ってるんです。ほら、一番初めに貴方がたに声を掛けた男がいたでしょう。あれがそうです」


 月白は困り顔の男を思い出して笑った。言われてみればどことなく柘榴に似ているかもしれない。


「そうか。だいぶ落ち着いてしまったんだな柘榴も。昔は私の頭を叩いて怒鳴ったりしていたのに」

「それは貴方がどうしようもないお転婆だったからですよ。お互い年を取りましたね」


 月白と柘榴は笑いあう。灰青はただ静かに耳を傾けていた。やがて月白は湯呑の茶を手にしながら呟いた。


「もしかして。蘇芳すおう様にお会いしに?」

「ああ。そんなところだ。少し急ぎでな。明日には赤城せきじょうに向かう」


 月白が誤魔化すように湯呑に口をつける。流石に柘榴に間者のことは話さないつもりらしい。


「蘇芳様も領主たちをまとめるのに苦労されているようです。これだけ国が大きければ当然ですが……常に大きな荷を背負っていらっしゃる。昔、貴方が手を引いて連れて来た温和な少年のままではいられないでしょう」


 柘榴の言葉に月白は目を伏せて呟いた。あまり見ない主人の表情に灰青は緊張感を高める。


「……時が経つほど自分を保つのが難しくなるからな」

 



 



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