第41話 羽衣さんは王立音楽学園に入りたい⑨ ~目が覚めると、そこは……~
「恚くん……。起きてよ……。恚くん……」
……んっ。
「恚くん……。起きてよ……。恚くん……。ねぇ……」
……んんっ?
「恚くん……。ねぇ起きてよ……。起きてってば……。ねぇ……」
……んんんっ? ……ふぬぅっ?
小鳥の囀るような声が頭上から聞こえる……。
僕はうっすらと目を開けた……。
(……ん? ……こ、ここはどこだ?)
視界に入るのは真っ白な天井……。
そして僕を見下ろす大きな瞳……。
(やけに整った顔立ちだな……。芸能人みたいだ……)
甘い香りを放つその美少女は、大きな胸を僕の腕に押し当てながら、静かにこっちを見下ろしていた……。
(……ああ、もしかしてここは――)
――天国か……。ということは、この女性は……。
「……女神様、ですか?」
だが僕がそう口にすると、パッチリとした目の美少女は急に不安げな顔になる。
「なに言ってるの、恚くん? 私だよ……? 羽衣だよ……?」
……え?
……羽衣さん?
(あ、本当だ――)
確かによく見ると、それは僕を覗き込んでいる羽衣さんだった。
だんだん、ぼやけていた視界が鮮明になってきた……。
カーテンから洩れる午後の光……。
白い枕……。
白いベッド……。
サイドテーブルに置かれた救急箱……。
「……こ、ここは?」
すると足元から、今度は別の女性の声が言った。
「――保健室ですよ、救世主さま」
……あれ、この声は?
ベッドから上半身を少し起こせば、マリさん、ラウナさん、そしてミーツェさんの心配そうな顔が並んでいる……。
(ど、どういう状況……っ?)
よくわからないが、どうやら僕はベッドの上にいて……。
四人の女の子に囲まれて、看病されているらしい……。
「――心配しました、救世主さまっ!!」
ラウナさんが言った。
「――急に胸を押さえて、倒れたんですからっ!!」
ミーツェさんが続けた。
「た……倒れ……た……?」
そういえば……胸に突き刺すような痛みが走って……。
「――それで慌てて校医を呼んで、保健室まで運んできたのですよ。どうやら"極度のストレスから来る胃けいれんではないか?"とのことでした。とりあえず様子を見て、"後日病院へ"とのことです」
マリさんが校医の見立てを教えてくれた……。
「い、胃けいれん……? ス、ストレス……?」
いや、そりゃまぁ確かに……。
ここ数日は羽衣さんのことが心配で心配で、気が気じゃなかったけどさ……。
(で、でも――)
呆然としていると、羽衣さんがホッとため息をついた。
「本当よかった……。自分の出番が終わって廊下に出たら、『恚くんが倒れた』って聞いて……。金髪の女の子が教えてくれたの……。心配したよ……」
言いながら、また安堵のため息を洩らす羽衣さん……。
金髪の女の子って……ありすさんのことだろうか?
あれ、そういえば――?
「――ありすさんは、どこに?」
「私の代わりに結果を見に行ってくれるって。もうすぐ編入試験の点数が貼り出されるらしいの。さっきの試験の――」
さっきの試験――
僕はハッと思い出す。
(そうだ……。僕は、エクスカリバウスを羽衣さんに貸与することと引き換えに――)
「はい、これ。ありがと――」
羽衣さんはそう言って、まさにその黄金色のヴァイオリン――エクスカリバウスを僕の手に抱かせてきた。
「恚くんが言ったとおりだったよ、このヴァイオリン。すっごく良い音で鳴ってくれたの。うまく言えないけどさ……なんだか自分が自分じゃないみたいな……恚くんが乗り移ってくれたみたいなカンジで……」
「は、はぁ……」
「なんだかまるで、自分が急に"世界最高のヴァイオリニスト"になった気分で……。とにかく、すっごくいいパフォーマンスが出来たの。本当にありがとう!」
羽衣さんは、試験の出来には大満足だ、と言わんばかりに嬉しそうだ……。
「――審査員の先生たちも『ブラボー』って拍手してくれたし。中には泣いてくれた先生もいたの。ホント、夢みたい……。恚くんがこのヴァイオリンを貸してくれたおかげだね?」
ヴァイオリンを……貸した……。
そうだ……僕は、貸した……。
じゃあ、なぜ……。
「貸してくれてありがとうね、恚くん? ――じゃあこれ、ケースにしまっとくね?」
羽衣さんはベッドサイドに立てかけてあった僕のヴァイオリンケースに手を伸ばす――
(すごく良いパフォーマンスが出来た、か……)
そりゃそうだよな……。
だって、所有者のTSとASが……。
そんなことを思いながら、僕は羽衣さんがしまおうとしているエクスカリバウスのステータスにあらためて目をやった――
楽器名:エクスカリバウス
製作者:アントニオ・エクスカリ
ランク:SSS
【エクスカリバウス】……異世界帰りの
(所有者のTS/ASが爆発的に上昇する……)
そして――
(あまりに強大な力ゆえ、世界秩序を狂わせる可能性大……)
……一体どういうことだろう?
……僕はあのしわがれた声を耳に思い出した。
『……ならぬ。エクスカリバウスは選ばれし者だけのヴァイオリン――』
『……汝にとって世界で一番大切なものが失われるやもしれぬ――』
……おかしいな?
……どういうことだろう?
(僕は確かに、エクスカリバウスを"選ばれし者ではない羽衣さん"に貸与した……)
そして羽衣さんは、その"強大な力の恩恵"にあずかり、編入試験で最高のパフォーマンスを披露した……。
(だとすれば――)
その代償として、世界の秩序が狂ったはず――
世界で一番大切なものが失われたはず――
(世界の秩序が狂い、一番大切なものが失われる――。エクスカリバウスは、確かにそう言っていたはずだ……。それなのに、なぜ……?)
僕は制服の胸の辺りをさする。
胃の痛みは、もうなんともない……。
さっきはてっきり、その"代償"が僕の命を奪いに来たんだと思ったけど……。
(僕は生きてる……。ちゃんと生きてる……。じゃあ、"世界の秩序の何が狂った"っていうんだ? "世界で一番大切なものが失われる"って、一体"何が失われた"っていうんだ?)
そんなことを考えながら、エクスカリバウスをケースにしまっている羽衣さんをぼんやりと見つめていると、ふいに彼女が言った。
「――あれっ? ……そういえば恚くん、アレ、どこへやったの? もう捨てちゃったの?」
「……アレ?」
僕は眉をひそめた。
「……アレって、何?」
「――ほら、こないだレッスンしに来てくれた時にさ、話してたじゃん。『その牛のマークのついた帽子、何?』って」
……あぁ、近鉄の帽子のことか――。
「それなら、そのヴァイオリンケースに――」
僕はそう言いかけて、ヴァイオリンケースのヘッド部分に目をやった。
……あ、あれっ?
そこにかけてあったはずの、ボロボロのベースボールキャップが――
「――な、失くなってる!? ……あ、あれっ!? ……どこいった!? ……近鉄の帽子はっ!?」
僕が目を白黒させていると、足元からマリさんが怖い声で言った。
「――救世主さま、まさか"失くした"んですかっ!? 世界で一番大切なあの帽子をっ!? この学園の秩序を守る重要な帽子をっ!? 私たちと救世主さまの偉業の象徴である大切な大切なあの帽子を、まさか失くしたというのですかっ……!?!?」
学園の秩序を守る……
大切な帽子……
(ま、まさか――)
"強大な力の代償"って……。
"失われたもの"って……。
「――き、近鉄の帽子なのぉぉぉっ!?!? 強大な力の代償って、近鉄の帽子なのぉぉぉっ!?!? 失くなっても全然かまわないんですけどぉぉぉ……っ!?!?!?!?」
「――な、何を言っておるのです救世主さまっ!!!! 失くなってもかまわないなどとっ……!!!! 救世主さまにとっても
いやいやいや、全然宝物じゃないんですけど……っ!?!?
むしろ置き場に困ってケースにかけといたんですけど……っ!?!?
もはや世界秩序安定しまくりなんですけど……っ!?!?
安定しまくりなんですけどぉぉぉぉぉ……っ!?!?!?!?
そんなカンジで騒いでいると、ふいに保健室のドアが開いた。
――ガチャッ!
見ればありすさんが深刻そうな顔で、こっちに歩み寄ってくる……。
「あ、よかった。アンタ、目が覚めたのね――」
「は、はい……。ご心配をおかけしました……」
いや、それより――
「――それで、羽衣さんの編入試験の得点って、もう発表されたんですか?」
ありすさんは頷く。
「……えぇ。早速貼り出されてたわ。ヴァイオリン科の受験者の点数……」
羽衣さんが不安そうな顔で訊ねる。
「そ、それで……わ、私は……?」
すると、ありすさんはフーっとため息をついた。
そしてこう言った。
「――その前に、"合格ラインは90点台後半になりそうだ"って、リーゼ先生が言ってたわ……。"全科を通して合格者は1人か2人になると思う"って……」
「ほ、他の科も含めて……ですか?」
「えぇ……。今回の編入試験は、かつてないほど狭き門だったみたいねぇ……」
「きゅ、90点台後半って……」
それじゃ、いくら良いパフォーマンスをしても審査員の一人でも低い点数をつけたら……。
僕が驚いていると、みるみるうちに羽衣さんの表情がこわばった。
「そ、そんな……っ!」
せっかく近鉄の帽子と引き換えにエクスカリバウスを貸与したのに……。
いや、近鉄の帽子はどうでもいいけどさ……。
(でも、怖がってても仕方ないよな……)
僕は奥歯を噛み締め、羽衣さんに代わってありすさんに訊ねた。
「それで、羽衣さんは……何点だったんですか?」
「そ、それがね――」
ありすさんはまたため息をつき、少しうなだれるような仕草をした。
――合格ライン以下か……?
「残念ながら――」
「ざ、残念ながら……?」
ありすさんはがっくりと肩を落とし、吐き捨てるように言った。
「――100点だったわ……」
「「――えっ!?!?」」
思わず僕と羽衣さんの声が重なる。
……ひゃ、100点っ……!?!?
ありすさんはやれやれといった顔で、こう続けた。
「――チッ。リーゼ先生が褒めてたわよ……。『あの子は"
なんで"チッ"と舌打ちしているのかよくわからないけど……。
と、とにかく……!
「そ、それじゃ……っ!?」
僕はとっさに羽衣さんの方を振り返った。
羽衣さんは両手で顔を押さえて、その場に泣き崩れている。
「……や、やった……! よ……よかった……! グスッ……!!」
泣きじゃくる羽衣さんを見ていると、僕までなんだか目頭が熱くなった……。
100点満点なら、きっと合格は間違いなしだ……。
「や、やったじゃないですか羽衣さんっ! 王立音楽学園に入れますよっ!」
羽衣さんの肩をさすっていると、ありすさんがまた「チッ」と舌打ちをした。
「あームカつく。……でもさ、正直言ってアンタの『無伴奏パルティータ3番』、めちゃくちゃスゴかったのよねぇ……。アタシ、芸術には私情を持ち込みたくないタイプだから――」
そう言って、ありすさんは泣きじゃくる羽衣さんに歩み寄り、その頭を「ポンっ」と優しく撫でた。
「――おめでとう!! アタシももっと練習して、アンタよりも上手くなってやるからねっ!! 覚悟してなさいよっ!!」
「は、はい……っ!! グスッ……!!」
羽衣さんは泣きながら笑う。
そんな二人の様子に触発されたのか、マリさんも続いた。
「――救世主さまのストーカーが増えるのは心配ですが、まぁ確かにあれほどの演奏を聴かされたら認めざるを得ませんね……。"
ラウナさん、ミーツェさんの声も重なる。
「「――ようこそ、王立音楽学園へっ!!!!」」
羽衣さんは涙をぬぐいながら、嬉しそうに何度も頷いていた……。
◇
それから数日後の正式な結果発表で、羽衣さんが"合格"だったことは言うまでもない――。
とにかくまぁこうして、王立音楽学園にまた新たな仲間が加わったのだった。
「――これでまた一緒にいられるね、恚……くん」
「――そ、そうだね、羽衣……さん」
僕たちがまた「恚」「羽衣」と呼び捨てで呼び合う日も、そう遠くはないのかもしれない……。
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