第36話 羽衣さんは王立音楽学園に入りたい④ ~マンツーマンレッスン~
「どうぞ、座って――」
羽衣さんにうながされ、僕はドキドキしながら玄関に足を踏み入れる……。
「し、失礼、します……」
ここは外縁にほど近いオンボロアパート。先週から羽衣さんが一人暮らしをしているというワンルームだ。
喫茶店から歩いてくる道すがら聞いた話だけど、"楽器OK"で家賃の安い部屋がここしか見つからなかったらしい……。
いや、そんなことより――
(ど、どうしよう……っ?)
僕はすっかり挙動不審になってしまう……。
この緊張感はまるで付き合って間もない頃、初めて羽衣さんのマンションに足を踏み入れた時と同じか……。
いや、あの時以上だな……。
(一時はソファで肩を抱いたり、キスまでする関係だったのに……)
"男女の親密さなんて冷却期間を置けばすぐにリセットされてしまう"ということを、僕は初めて知ったのだった……。
「それじゃ早速、レッスンのことなんだけどさ――」
羽衣さんはヴァイオリンケースから楽器を取り出し、弓に松脂を塗り始める――
――半袖の下で揺れるGカップ。
見てはいけないと思いながら、つい目を向けてしまう……。
「あのね、編入試験ではこれを弾こうと思ってるの。……どう思う?」
羽衣さんがそう言って見せてきた楽譜は、バッハの『無伴奏パルティータ3番・プレリュード』とかいうヤツだった。
どう思う? と言われてもチートスキルに頼りっぱなしの僕には特にこれといってコメントすることもなく……。
「う、うん、いいと思うよ……」
などと適当に返事をしてみる。
「そうかな? ――それでね、早速気になる部分があって。ちょっとここのフレーズを聴いてほしいんだけど……」
羽衣さんは言いながら弦を弓でこすり始める――
そんなカンジで、僕と羽衣さんのよくわからないマンツーマンレッスンが幕を開けたのだった……。
◇
僕の隣に羽衣さんがいる――。
そのことをようやく現実として認識できるようになってきたのは、レッスンが始まって一時間も過ぎた頃だった。
屈託のない笑顔。
ちょっととぼけてて、何を考えているのかわからない性格。
だけど、とにかくまっすぐで、自分の意志や気持ちに忠実で――。
気づけば僕は、
「……そこはもうちょっと、感情を込めて弾いた方がいいんじゃないかなぁ? たぶん」
「そうかなぁ?」
自然とタメ口に戻っていた……。
さすがにまだ「恚」「羽衣」と呼び捨てにするところまではいかなかったけど……。
(羽衣さんが隣にいると、やっぱり落ち着くな……)
ふとそんな思いが脳裏をかすめるくらいまでにはなった。
「……ねえ恚くん。ところでさ、ひさしぶりに聴かせてよ? アドバイスばっかりじゃなくってさ、実演もっ!」
「えっ? ……いや、でも、僕が弾いても別に――」
「何言ってるの! 上手い人の演奏を聴くことで、コツが掴めるかもしれないじゃん! 弾いてよ!」
「うーん……」
僕は仕方なくヴァイオリンケースからエクスカリバウスを取り出す。
「……あれ? ヴァイオリン替えたの? ――なんかすっごいピカピカだね!」
「うん、まぁ、色々あって……」
「その帽子は何?」
羽衣さんは僕のヴァイオリンケースにかかっている牛のマークを指差した。
「あぁ、これは、"近鉄の帽子"って言って……」
「"キンテツ"? ……"キンテツ"って何?」
「"いてまえ打線"で有名な、今はなき大阪近鉄バ……」
……って、ちょっと待てっ!?
なんで僕は羽衣さんに近鉄の説明をしているんだっ!?
「えっと、それじゃ――」
エクスカリバウスを肩に乗せると、早速始まるバトルのフェーズ――
名前:鹿苑寺恚
レベル:1
TS:998979969
AS:987959799
MP:6102
スキル:≪自動成長≫≪らくらくヴァイオリン≫≪悪魔と契約≫≪神童≫≪ドンファン・リサイタル≫≪天穹のスタッカート・ヴォラン≫≪永劫のスル・ポンティチェロ≫≪バイオリンガル≫……他
称号:≪選ばれし者≫
【
レベル:18
TS防御度:1800/1800
AS防御度:1800/1800
……さすがにクラシックファンというだけあって、羽衣さんの
けどまぁ、羽衣さんよりも一足早く日本を離れ、音楽の都・グレフェンで死闘を繰り広げてきた僕にとってはハッキリ言って"心配"でしかない……。
(……おいエクスカリバウス、頼むよ? 聞こえてるんだろ?)
『…………』
(……君の魔力と僕のステータスが合わさると、力が強すぎるんだよ。羽衣さんは僕の大切な友達なんだからさ……こっちはTSもASも減らせないんだから、そっちで力をセーブしてくれよ? いいかい?)
『…………』
「『Preludio / Partita for Violin No. 3』をオート演奏しますか? はい・いいえ」
半透明のウインドウに【らくらくヴァイオリン】を呼び出すと、僕はおそるおそる「はい」を選択する。
そして僕の弓が弦上を滑り始めた途端――
――『OOOOOOOOOOVERKILLLLLLLLLLLL』!!!!!!!!!!
(――いやっ……だからっ……それダメなヤツっ……!?!?)
僕が慌ててももう手遅れだ……。
そもそもスキル【バッハ◎】を持っている時点で、弾いてはいけないと気づくべきだったけど……。
そして半透明のウインドウに表示されたステータスには――
【
レベル:18
TS防御度:-830000/1800
AS防御度:-920000/1800
……マ、マイナス90万っ……!?
……し、死んじゃうよホントにっ……!?
――バタッ!!!!!!!!
当然のことながら、羽衣さんがGカップの胸を揺らしながら、泡を吹いて倒れてしまったことは言うまでもない……。
「……ああっ、もう!!!! だから言ったじゃないか、エクスカリバウスっ……!!!!」
『…………』
僕は慌てて羽衣さんをベッドに運び、しばらくそばで介抱していた。
幸い、羽衣さんはそのままスヤスヤと寝息を立て始めたけど……。
◇
(可愛いなぁ……。まるで子供みたいだ……)
そうやって羽衣さんの寝顔に見惚れていると、気づけば学校に戻らなきゃいけない時間になっていた……。
「あっ、いけない――」
部屋を出ようとしたけど――ふと立ち止まる。
――リーゼ先生から頼まれたのは、"今日のレッスンを代行してくれ"、ということだけだ。
もしこのまま帰ったら、また離れ離れに……?
(それは嫌だなぁ……)
そう考えると、なんだか帰りたくない気持ちが湧いてきた。
でも、帰らなきゃ……。
だけど、もう少しそばに――
(せっかくこうやって再会できたんだしな……)
やっと取り戻した羽衣さんとの日常を、もう手放したくなかった。
それで僕は、テーブルの上にあったメモにこう書置きをして、アパートを出た。
――明日の放課後、またレッスンをしに来ます。恚
……こうして僕と羽衣さんの日常は、古ぼけた車輪がガタゴトと音を立ててゆっくりと回り出すように、また新たなステージへと進み始めたのだった。
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