第35話 羽衣さんは王立音楽学園に入りたい③ ~再会~
どうしても王立音楽学園に入りたい――。
でも、私にはもう時間が――。
そんな切実な悩みを持った
暖色系のダウンライトに照らされた店内は、どちらかといえば"カフェ"というよりは"バー"といった趣だ。
(一応、腕章を強調しておこっかな……?)
左腕に巻かれたグレード1"
いや、別に自慢したいわけじゃないけどさ……。でもここは"王立音楽学園に入りたいレッスン希望者"との対面だし……。
もし僕を見て、
(――リーゼ先生に依頼したのに、どうして生徒が!)
なんて怒られでもしたらたまらないし……。
こっちだってリーゼ先生に無理やり押しつけられたんだから……。
一応、"僕も王立音楽学園ではそれなりの立場だ"ってことを示しておかないと……。
などと考えながら店内に並んだテーブルに目をやると、
(あぁ、あの人か……)
壁際に並んだテーブルに、背中を向けるように座っている。
――女性だ。
肩の上あたりで切り揃えられた丸いボブカット。半袖のニットセーターに、足元にはヴァイオリンケースが置かれている。
(よし――)
何事も第一印象が肝心だ。
僕は左腕の腕章を前面に押し出すようにして、背後からゆっくりと近づき、声をかけた。
「……こんにちは――」
急に日本語で話しかけられ、驚いたのだろう。
黒髪ボブの女性はビクッと両肩を上げ、それから恐る恐る……といったカンジでこっちを振り返った――。
(――うわぁ、目がパッチリして可愛らしいなぁ……。芸能人みたいだ……。いや、"事務所をやめた元芸能人"なんだから当然か……)
……って、ア、アレ――っ?
ボブの女性と目が合った途端、僕は目の前が真っ白になってしまう……。
そして女性も、まるで"ツチノコを見つけた"と言わんばかりの顔で、呆然と僕を見上げていた……。
「……………………」
「……………………」
――長い沈黙。
僕は気づいていた……。
いや、気づいてしまった……。
「……………………う」
「……………………け」
半袖のニットセーターの下に君臨する、推定Gカップのふくらみに……。
バニラのような甘い香水の匂いに……。
髪型は違うけど、絹のようになめらかで、艶やかな髪質に……。
こ、この人は――
「う…………羽衣…………さん…………?」
「け…………恚…………くん…………?」
――まるで時計の針が止まったかのように、僕と羽衣さんはしばらくそのままフリーズしていた……。
◇
「……………………」
「……………………」
テーブルを挟んで繰り広げられる"沈黙"という名の攻防戦。
「……………………」
「……………………」
僕は必死に何か気の利いたことを言おうとするけど――言葉が見つからない。
「……………………」
「……………………ズズッ」
……とりあえず注文したアイスコーヒーをストローですすりながら、これまでの記憶を整理してみる。
最後に会ってから、まだほんの一ヶ月足らずしか経っていない……。
だけどそれはまるで、"数年ぶりに再会した元恋人"……そんな気まずさだ。
いや、"元恋人"なのかどうかさえも不明だよな……。
だって「別れる」とも「付き合い続ける」とも言ってないし……。
男女の交際にはありがちかもしれないけど……。
(何となく、自然消滅するような形になって……)
そのキッカケは間違いなくあの"文秋砲"だった。
あの日、文秋砲を喰らって家を追い出された僕は、ありすさんや天沢家の人々――それにストラウク先生らの助けを借りて、わずか一週間で逃げるように日本を出国した。
――僕のせいで、タレントである羽衣さんに迷惑をかけてしまった……。
――アイドルにとって致命的な、スキャンダルの引き金を引いてしまった……。
――羽衣さんに申し訳ない……。
――悔やんでも悔やみきれない……。
そんな思いと、
――もう帰る家はないんだから、異国の地で前に進むしかないんだ……。
――いつまでも羽衣さんに縋るわけにはいかないよ……。
――過去のことはすべて忘れて、グレフェンで一旗揚げるしかないんだ……。
そんな思いが、僕に過去への未練を忘却するよう迫ってきた気がする。
(――あれは終わったことだ。羽衣さんとの関係はもう終わったことだ。あれは夢だったんだ。いつまでも過去を振り返らずに、前を向くしかないんだ……)
東京からグレフェンへ向かう飛行機の中でも、僕は必死にそう自己暗示をかけ続けていた……。
――もうそのことは忘れろ、前に進め……と。
それなのに……。
まさかこんなタイミングで再会するなんて――
「……………………」
「……………………」
――羽衣さんも困ったようにカップに口をつけている……。
(ほら、何か言うことあるはずだ……。"久しぶりだね"とか、"髪切った?"とか、"どうしてグレフェンに?"とかさ……)
いろいろな言葉を思い浮かべるけど、羽衣さんを前にすると何も出てこない……。
それで、僕が取った行動は――
「――ごっ、ごめんなさいっ……!!!!!」
いきなりの"ジャンピング土下座"だった……。
羽衣さんは驚いたように目を見開く。
「――ぼ、僕のせいでっ……!!!!! 週刊誌に撮られちゃってっ……!!!!! ほ、本当にごめんなさいっ……!!!!!」
「……………………」
羽衣さんはしばらくそのまま黙っていたけど、やがて口を開いた。
「……それはこっちのセリフだよ。私のせいでごめんね……恚……くん」
細い指で目頭を押さえるようにし、それからこう続けた。
「――でも、忘れようとしてたのにな……。私のせいで"財閥・鹿苑寺"の名前まで週刊誌に載っちゃってさ……。恚くんだけじゃなくて、ご家族にまでご迷惑を……って。これ以上、恚くんに縋りついたら、ますます迷惑をかけちゃうからって……。連絡先も何もかも消して、忘れようと思ったのにな……」
「う、羽衣さん……」
――迷惑をかけたくないから、忘れようとした……。
僕と同じだ……。
だとしたら、僕たちの思惑は一致していたことになる……。
――このまま関係解消。
それなのに……。
「――あのあと、事務所の社長と喧嘩して、やめたんだ。私、もう芸能人じゃないから」
「や、やっぱり、僕のせいで……?」
だが羽衣さんは笑った。
「――違うよ。『たかが恋愛したくらいで、なんでこんなに週刊誌に騒がれたり、大人たちに怒られたりしなきゃいけないんだろう?』って。『私、芸能界向いてないな』って。そう思ったの。本当は女優さんになりたかったけど、回ってくるのは単発のバラエティーとか水着のお仕事ばっかりだし……。それで――」
羽衣さんはそこまで言うと、足元のヴァイオリンに視線を移した。
「――恚くんのヴァイオリンの音色が、ずっと頭から離れなくて……。忘れようとするんだけど、思い出すたびにドキドキしちゃって……。芸能界をやめる時に、『この先やりたいことはない?』って自問自答したの。そうしたら、一つあったの。『ヴァイオリニストになりたい。恚くんみたいに弾いてみたい』っていう夢が。それで"ヴァイオリンの聖地・グレフェン"のことを知って、『王立音楽学園に入りたい』って思って……。でも、まさか恚くんがいるなんて――」
「は、はぁ……」
奇跡の再会――ではなく、"ヴァイオリニストへの道を進んでいたら自ずと同じ場所にたどり着いた"のかもしれないな……。
あたかも世界中の巡礼者が、同じ聖地を目指すように。
"ヴァイオリニストの聖地、グレフェンへ"――。
それは偶然というよりも、もはや必然だったのかもしれない……。
そして僕の方でも、この一ヶ月あまりのことを説明した。――ありすさんという知人に誘われてこっちへ来たこと。入学当初はグレード5"
羽衣さんは興味深そうにふんふんと聞いていたけど、やがてこう訊いてきた。
「――私、王立音楽学園に入れるかな? 恚くんみたいになれるかな?」
「いや、それは僕からはなんとも……」
「――編入試験は定期的にあるんだけど、17歳が上限らしいの。それに貯金を切り崩して生活してるから、急がなきゃいけないし……。何もかもを捨ててグレフェンに来たから……。私……王立音楽学園に入れるかな?」
羽衣さんに見つめられ、僕は口ごもる。
「いや、ですから、僕に訊かれましても……」
ごまかしながら恐る恐る羽衣さんのステータスを覗き込み、思わずドキッとしてしまった――
名前:和紗羽衣
レベル:14
TS:113
AS:182
MP:11
スキル:≪G乳上のアリア≫≪ボーイングLv.3≫≪アルペジオLv.3≫≪速いパッセージLv.2≫≪ポジションチェンジLv.3≫≪ビブラートLv.3≫≪トリルLv.2≫≪重音Lv.2≫
称号:≪アマチュアヴァイオリニスト≫
【G乳上のアリア】……男性ファンをメロメロにするGカップのAir。ASが100上昇。
……じっ、【G乳上のアリア】って何っ!? ……いやっ、ここはクラシック風に"ゲー乳"って読むのか……っ!?
それはまぁともかくとして――称号は【アマチュアヴァイオリニスト】だ。
(あの短期間で【初心者ヴァイオリニスト】から脱却したのはスゴイなぁ……。でも……)
いくらやる気と情熱があるといったって、このステータスじゃ……。
自分でも気づかないうちによっぽど険しい顔をしていたのか、羽衣さんが不安そうに続けた。
「――次の編入試験は二週間後なの。自分でも無謀な挑戦だっていうことは重々わかってる。だけど、どうしても諦めきれないの。王立音楽学園に入りたいの! 恚くんみたいに……ヴァイオリンを弾けるようになりたいの! ――お願い、力を貸して? ランズベリー先生に頼まれて、ここへ来てくれたんでしょう?」
「そ、それはまぁ……」
でも"力を貸して"、と言われてもな……。
そりゃ出来ることなら僕の有り余ってるTSやASを分けてあげたいくらいだけどさ……。
でもそんなこと出来ないし……。
それにたった二週間じゃ、いくら猛練習したところで……。
「――お願い、恚くん! ヴァイオリンが上手くなるよう教えて? 恚くんなら、コツとかわかるでしょ? レッスンしてくれるよね!?」
「いや、もちろんレッスンはするつもりですけど、でも正直――」
言いながらふとカウンターの方に目を向けたとき、僕は思わずグラスを倒しそうになった――
(……ひ、ひぃぃぃぃぃっ――!?)
遠くのカウンター席で、銀髪メイド服の美少女がコーヒーを運んでいるではないか――っ!?
(ユ……ユリンさんっ……!? な、なんでここに……っ!?)
あの自称御奉仕メイド型アンドロイド――ユリンさん……いやアルカナさんか? いやどっちでもいいけど、とにかくあの手強い隣人の一人だった……。
ていうかあのメイド服――バイト先の衣装だったのかよ……っ!?!?
羽衣さんの前で、また「マスター」とかって騒がれたらたまったもんじゃない……。
僕が愕然としていると、羽衣さんが心配そうに尋ねてきた。
「……ん? どうしたの?」
僕は慌てて首を横に振る。
「……あっ、いやっ、なんでもないですっ! ととと、とりあえず、場所を変えましょうかっ……!? リーゼ先生とやるはずだったレッスン場所は、押さえてあるんですよね……っ!?」
すると、羽衣さんは頷いた。
「うん。私の部屋――」
「えっ……」
こうして僕は、羽衣さんと約一ヶ月ぶりに再会した上、彼女のアパートに向かうことになったのだった……。
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