第23話 いらない子は学内カーストを駆け上がる② ~牛は食われるもの~

「あー終わった、マジで終わった、ついにこの時期が来ちまった……」


 教室に入ると、クローデさんが机に両肘をついて頭を抱えていた。僕は元気よく挨拶をする。


「おはようございます!」

「……おはよう、じゃねぇよ。ハァ……」


 昨日とは打って変わって元気がないクローデさん。

 なんだか顔色も悪いし、ため息ばかりついているし……どうしたんだろう?


(もしかしてクローデさんもありすさんと同じで、おなかでも壊しちゃったのかな?)


 そんなことを思いながらヴァイオリンケースを床に置き、僕が隣の席に腰を下ろすと、クローデさんはまた大きなため息をついた。

 そして言った。


「……呑気でいいなぁ、ケイは。俺たち"ムーガ"にとって地獄の一週間が始まったっていうのに……。よくそんなニコニコしてられるよなぁ……。ハァ……」

「……地獄の一週間?」


 一体何のことだろう?

 僕が目を丸くしていると、クローデさんはがっくりと首を垂れる。

 

「……オマエも見ただろ? あの血飛沫みたいな不気味なグレニアールの深紅の煙をさ?」

「ああ、見た見た!」


 そう、それで僕はさっきの話を思い出したのだ――。

 バスを降りる際に、あのグレード3"オーゾ"の眼鏡の人が吐き捨てていった言葉を。

 あとで教室に着いたらクローデさんに聞こうと思ってたんだ――。


「――あのさ、"無様な黒豚マヤージェロに成り下がる"って、どういう意味?」


 ……別に他意はなかった。

 ただ純粋に意味が知りたかったから聞いただけなんだ。

 だが僕がそう言った途端、教室がしぃんと静まり返り――。


(……ん? なんでか知らないけど、みんなこっちを睨んでくるぞ……っ?)


 僕、何か悪いこと言っちゃったのかな……?

 クローデさんまで隣で怖い顔をしているし……あれっ?

 

「おいおいケイ……。俺たち"ムーガ"が必死に目を背けようとしてる現実を、無理やり直視させる気かよ? ドSかよ? みんな必死に平静を装ってるっていうのによ?」

「平静を装ってる?」


 ……よく意味がわからないけど、どうやらデリケートな話題みたいだ、ということだけは理解した。

 僕が戸惑っていると、クローデさんが耳元で囁くように教えてくれる。


「……昨日も話しただろ、"グレードは学内演奏会の出来栄えで決まる"ってよ。"グレニアール"がまさにそれだよ。学内演奏会のことさ。"昇格だけじゃなく降格することもある"って教えてやっただろ? 『下から二番目だから落ちたらマズイ』って、ケイも心配してたじゃねえか」

「あ、あぁ……」

「一番下が"マヤーレ"、通称"黒豚マヤージェロ"だ。あとは――言わなくてもわかるな? てか言わせんなっ!」

「なんだ、そのことかぁ――」


 さっきの"オーゾ"の人がやけに勝ち誇った顔で声を荒げてきたから、何か特別な意味でもあるのかと思ってたけど……。


 たんに"学内演奏会でミスしたら降格するかもしれないぞ"ってだけの話だったのかぁ……。

 でも……それにしてはやけに意味深な言い方だったけどなぁ?


「――たしかに落ちちゃうのは心配だけどさ、昇格試験をパスすればグレードアップできるんでしょ? つまり演奏会で良いパフォーマンスをすればさ? それって僕たちにとってはチャンスじゃないの? だって"ムーガ"のままだと卒業できないんでしょ?」

「ダメだ、こいつ何もわかってねえ……」

「え?」

「ケイ、ちょっと来い――!!」


 僕はクローデさんに腕を引っぱられ、五線譜の描かれた黒板の前まで連行された……。


「な、なに……?」

「あのなケイ、オマエは何か誤解しているようだが、ハッキリ言っておくぞ。――学内演奏会グレニアールってのはただの演奏会じゃねえ。一対一のバトル、言うなれば"殺し合い"だっ!!!!」

「こ、殺し合い……っ!?」

「そう――!」


 クローデさんはそう言うとチョークを手にとり、黒板に二つの〇を描く。

 一つには"エントリー"、もう一つには"ワイルドカード"と殴り書きする。

 そしてこう続けた。


「――出場者の大半は"エントリー"だ。対戦を希望する相手のグレードだけ申告して、あとは勝手にカードが決まる。当日は相手と共にステージに立ち、持ち時間内でパフォーマンスを披露して、観客に勝敗をゆだねるってわけだ!」

「へ、へぇ……」

「勝てば評価が上がるし、それこそ上位グレード相手にジャイアントキリングを起こしたなんてことになったらグレードアップは確実だ。逆もまた然り――つまりこいつは蹴落とし合いなんだ、目の前の相手を地獄に突き落とすゲームだ! だから"一対一の殺し合い"だっ!」

「そ、そういうことか……。てっきり楽器を持って殴り合いでもするのかと……」


 ……さすがにそんなわけないか。

 ただ気になるのは――


「――でもさ、なんでそれが"ムーガにとって地獄の一週間"なの? 負けたら地獄に突き落とされるっていうのは、どのグレードでも同じじゃないの?」

「なぜって、俺たちは上からも下からも狙われる立場だからさ。王立音楽学園では"牛狩り祭"なんて言われてるけどな」

「う、牛狩り祭……?」

「そう。相手を確実に蹴落とすには、自分より弱い相手を指名するのが確実だろ? だからって最底辺の"黒豚マヤージェロ"ばかり指名してたらどうなる? 『アイツは雑魚としかやらない憶病者だ』って嘲笑されるだろ? そこで下から二番目で、生徒数も一番多い"ムーガ"が狙い目ってわけだ」

「へ、へぇ……」

「おまけに退学寸前の"黒豚マヤージェロ"どもにとっては格上だから、生き残りをかけて全力でジャイアントキリングを狙いにきやがる。つまり上からはカモられ、下からは足を掴まれ……これが"牛狩り祭"さ!」

「そ、そうなんだ……。でも、僕たち"ムーガ"だってグレニアールで勝たなきゃ、いつまで経っても"ムーガ"のままなんじゃないの……?」

「だから"地獄の一週間の始まりだ"と言ってるんだ。進むも地獄、退くも地獄……みんな現実逃避に必死なんだよ! 誰の入れ知恵か知らんがな、たとえ冗談でも"無様な黒豚マヤージェロに成り下がる"なんて言葉は使っちゃダメなんだ、俺たち"ムーガ"の前ではな! ……わかったなっ!?」

「う、うん、わ、わかった……っ!」


 ……なるほど、"オーゾ"の眼鏡の人は、どうやら僕に対する侮蔑としてその言葉を使っていたらしい……。


 今さらながらその意味を理解した……。

 そういえば前の席に座っていた"ムーガ"の女の子たちも、ずっと男の話ばっかりしてたっけなぁ……?

 あれももしかして、"現実逃避に必死"だったんだろうか……?


「でもまぁ、ケイの言う通りだよ。グレニアールで勝たなきゃ、いつまで経っても"ムーガ"のままだ。俺ももう4年生だし、そろそろエントリーして一旗あげなくちゃならん。だがなぁ……ハァ……」


 クローデさんはそう言うと、またがっくりと首を垂れる。


「……"黒豚マヤージェロ"なんか指名して負けた日には降格確実だし、かといって"ルーヴォ"や"オーゾ"を喰う自信もないし……。ハァ、どうすりゃいいんだ……」

「あ、あぁ……」


 クローデさんが落ち込んでいる理由はよくわかった。

 ていうか、ステータスも見えないのによく自分を客観視できているな、と感心さえしてしまう。

 だって――



 名前:クローデ・エルフィンストン

 レベル:69

 TS:613

 AS:412

 MP:69

 スキル:≪チキンのトリル≫≪ボーイングLv.6≫≪アルペジオLv.6≫≪速いパッセージLv.6≫≪ポジションチェンジLv.6≫≪ビブラートLv.6≫≪トリルLv.1≫≪重音Lv.6≫……他

 称号:≪セミプロヴァイオリニスト≫



 ――失礼だとは思いながらも、僕はまた半透明のウインドウにクローデさんのステータスを覗いてしまう。


 ……グレード4"ルーヴォ"のヴァイオリニストが平均どれくらいのレベルかは知らないけど、少なくとも"ルーヴォ"のありすさんよりはずっと下だ。

 これじゃたぶん勝てない気がする……。

 ていうか、【チキンのトリル】がある時点で……。


「ハァ、最悪だ……。なぁケイ、俺はどうすりゃいいんだ……。眠れない一週間の始まりだよ……」

「ど、どうすればって……。だ、大丈夫だよ……! た、たぶん……っ!」


 そんなカンジで僕が根拠もなくクローデさんを励ましていると、ふいに教室のドアがガラッと開いて、グリーンのリボンを頭につけた女子生徒が教室に入ってきた。


 ――腕章は"白地にムーガ"……同グレードだ。

 ……見ない顔だけど、違うクラスの子だろうか?


 よく見ると胸に白いバッジをつけているけど……。

 などと観察していると、いきなりクローデさんに脇腹を小突かれた。


「おい、あんまりジロジロ見るなよ! 目をつけられたら終わるぞ!」

「えっ……?」


 ……目をつけられたら終わる?

 ……同グレードなのに?

 一体どういう意味だろうか?

 僕が眉をひそめていると、クローデさんは耳元でこう囁いた。


「――グレード5の生徒会長、マリ・ジークリンデだ。通称"猛牛のマリ"……」

「も、猛牛……?」

「ああ――一見気品溢れるお嬢様みたいな顔をしてやがるが、"グレード5生徒会"に対する情熱はハンパねえ。上位グレードの生徒会ともバンバンやり合ってるし……それでついたあだ名が"猛牛のマリ"だ」

「へ、へぇ……」


 ていうか王立音楽学園は生徒会までグレード別になってるんだ……。

 それは知らなかったな……。


 僕が横目で観察していると、"ムーガ"の生徒会長マリさんは優雅に髪を耳にかけながら、まるで品定めでもするかのように教室内を見回している。

 そしてため息を一つ……いや二つ。

 ……何をしてるんだろう?


「あ、あの人、何してるの……?」

「だからジロジロ見るなって! ――ワイルドカードの選定だよ! グレニアールの時期の風物詩だ!」

「……ワ、ワイルドカードって?」

「だからこれだよ――!」


 と、クローデさんは黒板に描いてあったもう一つの〇を指す。――ワイルドカード。


「グレニアールに出場するヤツの大半は"エントリー"だが、中には生徒会の推薦を受けて特別枠で出るヤツもいる。そいつが"ワイルドカード"だ」

「へぇ……ようするに"生徒会が選んだ代表選手"みたいな?」

「まぁそうだな。当然のことながらワイルドカードの勝敗は、グレード別生徒会のメンツにも関わってくる。聞くところによると予算編成とかリハ室の使用時間とかにも影響するらしい」

「そ、そうなんだ……。責任重大だね……」

「だから毎年グレニアールの時期になると、ああやってG5の教室を品定めして回ってるんだよ、"ジャイアントキリングを起こせそうな有望なムーガはいないか?"とな。だけどケイ、お前には関係ないんだから、目を合わせるなよ。仮にも"グレード5のボス"だからな、あの猛牛は。目をつけられないに越したことはない」

「わ、わかった……!」


 だが僕が頷いたのも束の間、グレード5生徒会長のマリさんは、


「キャッ」


 小さな悲鳴を洩らし、前のめりに転んでしまった。

 ……床に置いてあったヴァイオリンケースに足を引っ掛けてつまずいたらしい。


(あぶないなぁ……。誰だよ、あんなところに楽器を置きっぱなしにするなんて……って、えっ!?!?)


 や、やばい……っ!? あっ、あれ、僕のヴァ――っ!?!?


「……バ、バカっ!!」


 隣から小突いてくるクローデさん。

 顔面蒼白になる僕。

 騒然とする教室。


 ――グレード5生徒会長のマリさんはしばらくその場にうずくまり、やがて静かに立ち上がって、悠然とこう言い放った。


「……どこの誰ですか? こんなところに楽器を置いた大馬鹿者は? 正直に挙手しなさい!」

「――ご、ごめんなさい……っ!! ぼっ、僕です……っ!!」


 僕が手を挙げると、マリさんの凍りつくような視線が飛んできた。

 クローデさんが隣で、


「あー終わった……マジで終わった……」


 と、ガタガタ震えながら言った……。

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