第20話 結婚を申し込まれた件②
「けっ、結婚て……ハァ、ハァ、ハァ――」
女子たちの笑い声が響き渡る本館一階の食堂前。
僕は柱の陰で膝に手をつき、肩で激しく息をしている。
……ハァ、ハァ、ハァ――。
まだ口にはディープキスの余韻が、腕には押し当てられたおっぱいの感触が、まぶたの奥には白く艶めかしいレウィシアさんの裸体が刻まれているけど、僕はそれどころじゃない。
「急に結婚とか言われてもな……ハァ……ハァ……」
それにしても逃げ場のない"大浴場"という名の密室から、よく一瞬の隙をついて逃げられたものだな、と我ながら感心する。
熱くなっているのは股間の日本刀だけで、肝はすっかり冷え切っていたというのに……。
ご存知の通り、まるで一週間前の再放送かのようにまたしても自称サキュバスに襲われかけた僕は、レウィシアさんがシャワーを浴びに立ち上がった隙に猛然と駆け出し、命からがら大浴場から逃げ出してきたのだった。
そしていったん自分の部屋へ戻ったものの、じっとしていられずに、髪を乾かす間もなく食堂へやってきた……というわけ。
まぁ正直おなかは空いていないし、特に食べたくもなかったけど、何かしていないと落ち着かない……そんな気持ちだ。
そして今は、食堂にいる女の子たちがいなくなるのを柱の陰で待っているところだ。
いや、それにしても危なかった……。
「あの人、やっぱり頭おかしいよなぁ……?」
いくら『愛の挨拶』を弾いたからといって、まだ二回しか会っていない留学生に結婚を申し込むのは明らかに異常じゃないか……?
ましてや、ディープキスなんて……。
思い出すと股間が膨張してしまうのが情けないけど、それほどまでにレウィシアさんの行動は異常と言えた。
もはや異名とかじゃなく、本物のサキュバスなんじゃないかとさえ思えてくる……。
まぁ元はと言えば、僕が勝手に大浴場に入ったのがいけなかったんだけどさ……。
それにしてもあの妖艶さは……。
「……くそ、何を固くなってるんだよ、オマエは!」
暴走する股間の日本刀を叱りつけていると、食堂にいた女子たちがゾロゾロと連れ立って出てきた。
僕は柱の陰でそれをやり過ごし、食堂に誰もいなくなったのを確認してから中に入る。
……いつものことだ。
「……さて、今夜の料理は――っと」
ガラス張りの食堂内に並べられたビュッフェボードには、いつものように様々な料理が並んでいた。
グレフェンの食文化は東西ヨーロッパの真ん中にあるという地理的条件もあって、多くの国の影響を受けているらしい。
イタリア、フランス、ドイツ、ハンガリー、それにバルカン半島など……。
そして歴史と伝統を重んじる国らしく、主菜だけでなくスープや前菜、副菜やデザートに至るまで、必ず一通りの料理が用意されていた。
日本との最大の違いは、周囲に海がないせいか魚介類を目にする機会が少ない、ってことぐらいだろうか?
まぁ僕はあまり深く考えずに、いつも食べたいものだけを適当に取って食べちゃってるけどさ……。
「今日はいっぱい買い食いしちゃったし、スープとサラダだけでいっか……」
そう思い、大皿に載ったサラダをトングで拾い集めていると、ふいに背後で足音が聞こえた。
……あっ、誰か来ちゃったな。
相手に不快感を与えないよう、
やむなく顔を合わせてしまった場合は挨拶をする。――当たり前だが、僕がこの一週間で身につけた知恵だ。
「……こんばんは。今どきますから、少々お待ちくださいな」
僕はあえて背後にいるであろう女の子の方は見ずに、サラダに目を向けたまま、なるべく紳士的な声を取り繕って言った。
だが背後から返ってきた返事は――
「……Xtrmlyシステム起動。マスター発見。乙女心
ビクッと僕の体が反応する。
こ、この声は……っ!?
恐る恐る振り返ると、そこに立っていたのは――
――銀髪にメイド服姿のユリンさん、いや……自称"御奉仕メイド型アンドロイド"のアルカナさんだった……。
ユリンさん……いやアルカナさんか? ……いやどっちでもいいけど、とにかく銀髪メイド服の美少女は、上目遣いでじっと僕を見つめている……。
「――マスター、此処デ何ヲシテイルノデス?」
僕は動揺し、震える手でトングを持ち上げて見せた。
「な、何って……み、見ての通り、サ、サラダを取ろうとしてるだけですけど……?」
だが、逆効果だった。
「承認。マスター、御命令ヲ承リマシタ。御奉仕ヲ開始シマス――」
「あっ……ちょっ、ちょっと!」
僕の制止もむなしく、ユリンさんは勝手に僕の手からトングを奪うと、皿にサラダをよそってくるではないか……。
あっという間に皿の上にそびえ立つサラダの塔。
しかも、ほとんどトマトだ。
……僕はトマトが苦手なのに。
「ユ、ユリンさん……もういいですって! もういいです!」
「拒否。マスター、私ハ"御奉仕メイド型アンドロイド、アルカナ"デス。ユリン、デハアリマセン」
いやいやいや……いつまでやるんですか、そのキャラっ!?
作曲科のユリン・バレーラさんですよねっ……!?
服装といい髪型といい、もしかしてこの人、日本のアニメか何かに影響を受けているのだろうか……?
だとしたら解釈が絶望的に間違っている気がするけど……。
「――マスター、次ノ御命令ヲ。マスター」
「も、もういいですって、本当にっ!」
「マスター、御命令ヲ。マス――」
「……し、しつこいなぁっ!!!!」
つい声を荒げてしまった……。
しまった、と気づいたときには、ユリンさんは目を見開き、唇をわなわなと震わせていた……。
「あっ、い、いや、ち、ちがっ……!」
「マスター……私……マスターノ御役ニ立チタイト思ッテ……ソレナノニ……」
そうしてユリンさんの可愛らしい瞳から、宝石のような涙がすうっと頬を伝い落ちていく。
(なっ、何を泣かせてるんだ、僕は……っ!?)
罪悪感で胸がいっぱいになる。
……最低だ。たかがサラダを山盛りにされたくらいで声を荒げて、女の子を泣かせてしまうなんて……。
悔やんでも悔やみきれない……。
「ご、ごめんなさい……つい……」
「マスター……私、アノ日……マスターノ、ヴァイオリンニ感動シテ……御役ニ立チタイト思ッタンデス……ソレナノニ……」
「ユ、ユリンさん……」
「ソレナノニ……役立タズデゴメンナサイ……"欠陥アンドロイド"デ……ゴメンナサイ……」
こんな状況でまだアンドロイドキャラを貫くのかよっ!? ……と感心さえしてしまったのだが、僕はすぐに謝罪する。
「……いや、違うんです! 謝らなければいけないのは僕の方です! 僕こそ、欠陥だらけの人間ですから――」
――全力で土下座する。
……イッツアジャパニーズスタイルだ。
「……僕、人の心を理解するのが苦手っていうか、幼い頃から虐げられて育ってきたっていうか……とにかく、欠陥だらけの人間なんです。傷つけるつもりは毛ほどもなかったんです。本当にごめんなさい!」
だがそう言うと、ユリンさんはまた目を見開いた。
「――ケ、ケッコン!?」
「はいっ?」
急にわけのわからぬことを言い出すユリンさん。
僕は逆に目を点にしてしまった。
「マ、マスター……今、『ケッコン』ッテ……?」
……ケ、ケッコン?
いやいやいや、そんなこと言ってませんけど……っ!?
"
「……承認。御命令ヲ承リマシタ。私――マスタート結婚シマス!!!!」
「はぁっ!?!?」
さっきまでの涙はどこへやら、急に上からのしかかってくるユリンさん。
ジャパニーズ土下座を決め込んでいた僕は、あっけなく床に押し倒されてしまった。
「――マスター、フツツカ者デスガ、末永クヨロシクオ願イシマスネ♡」
「な、なんでよろしくされなきゃいけないんですかっ……!? 結婚するなんて一言も言ってませんけどっ……!?」
「拒否。マスターノ御命令ハ絶対デス! マスターガ『結婚』ト仰ッタノデスカラ、『結婚』ハ絶対絶対絶対デス!!!!」
「どういう理屈っ!?!?」
銀髪メイド服の美少女に抱きしめられ、キスされながら、僕はあらためて思った。
レウィシアさんといい、このユリンさんといい……。
一体この寮、どうなっているんだよ、と……。
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