第18話 髪を切ったら褒められ、泥棒は警察官にボコられる
「で、どんな髪型にするんだ?」
「お、おまかせで……」
コワモテの理容師に"てるてる坊主"みたいな散髪ケープを被せられ、僕は力なくそう答える。
やっぱりやめとけばよかったかな……と一抹の不安が頭をよぎった。
ここは学内理容室。さっきカフェテリアで時間をつぶしていた時に、たまたまその看板を見つけたのだ。
――シャンプー・顔剃り・カット、学生無料。
(へぇ、無料なんだぁ……)
無事に初日の学園生活を終えた僕は、放課後ありすさんと一緒に帰る約束をしていた。
だけどありすさんから「もう少しかかりそうだ」と連絡が入ったので、カフェテリアで暇をもてあましていた時、たまたま目に留まったのがその看板だった、というワケ。
(無料だったら、散髪しておこっかな……?)
最後に床屋に行ったのがいつか思い出せないほど、もう長いこと行っていない気がする。
おかげでボサボサの髪は伸びっぱなしだし、前髪が目にかかって鬱陶しい。
よし、せっかくだから散髪しよう――。
そう思い立ち、軽い気持ちで、その理容室に足を踏み入れたのだけれど……。
「――おまかせだな。了解!」
スキンヘッドにひげ面。おまけに両腕いっぱいにドクロのタトゥー。
そんなヘヴィメタルバンドのボーカルみたいなコワモテの大男が、巨大なハサミを手にニヤリと笑うのを見て、僕は今さら不安になってしまった……。
(へ、変な頭にされたらどうしよう……っ?)
だけどもう俎板の鯉だ……。
バーバーチェアに腰を下ろし、鏡の前で散髪ケープを着せられてしまった僕は、猛然とハサミを動かすその大男にすべてを委ねるしかない。
――ジョキジョキジョキジョキッ!
(……音が異常なんですけどっ!?)
チェーンソーで木でもぶった切るような音が、耳のすぐそばで鳴りまくる。
――ジョキジョキジョキジョキッ! ジョキジョキジョキジョキッ!
――ジョキジョキジョキジョキッ! ジョキジョキジョキジョキッ!
(もはや髪型がどうとかいう以前に、耳を切られないか心配になってきたな……)
――ジョキジョキジョキジョキッ! ジョキジョキジョキジョキッ!
――ジョキジョキジョキジョキッ! ジョキジョキジョキジョキッ!
「――よし、こんなもんだな! ついでに眉毛も整えてやるよ!」
と言うが早いか、大男は牛刀みたいな巨大な刃物を取り出し、僕の眉毛をズシャ! ズシャ! と勢いよく切り始めた。
(ちょ、ちょっと……それ剃刀じゃなくないっ……!?)
もはや生きた心地がしない……。
はぁ……。
まぁそんな感じで、十分と経たないうちに、鏡の中の僕はまるで別人へと変貌を遂げていたのだった……。
◇
「ちょっとアンタ、どこ行って――ほえっ?」
理容室を出たところで、ちょうどカフェテリアを歩き回っていたありすさんを見つけ、僕は背後から声をかけた。
ありすさんはどうやら僕を探していたみたいだ。
「あっ、ごめんなさい。暇だったんで、ちょっと床屋に」
「えっ、あっ、ぅぐっ――!?」
……ん? どうしたんだろう?
ありすさんは僕の方を振り返るなり、何故だか口をパクパクさせ、目を白黒させている。
まるで宇宙人でも見つけた――そんな反応だ。
「ん? どうかしたんですか?」
「ア、アンタ……なによ、そ、その髪型は……っ?」
「あーこれですか? やっぱりヘンですかねぇ? 『無料』って書いてあったから、嫌な予感はしたんですけど……」
「すっ……すごくカッコイイわ……っ! ヴァ、ヴァイオリンの才能に加えてルックスまで……っ! こ、これこそまさに"鬼に金棒"だわッッッ……!」
「……鬼に金棒?」
急にわけのわからないことを言い始めるありすさんに、僕は困惑してしまった。
「――何が"鬼に金棒"なんですか?」
「あっ、い、いやっ、な、なんでもないわ……っ! た、ただの独り言よ……っ!」
そう言うなり、ありすさんは何故か顔を真っ赤にして、スタスタと先に歩いて行ってしまう。
「ちょ、ちょっと! 置いてかないでくださいよ~!」
僕はありすさんを追いかけ、
っていうか、すれ違う女子生徒たちがみんなこっちを見てくるんだけどさ……そんなにヘンかなぁ?
……やっぱり、ヘンだよなぁ。
……はぁ。
◇
「あー、おなかすいたぁっ!」
石造りの建物の間を歩くありすさんが、急に青く晴れ渡った夏空に向かって叫ぶ。
甲高い声がひっそりと静まり返った路地にこだまする。
「ちょ、ちょっと、近所迷惑じゃないですか……っ?」
僕はブレザーの袖で額の汗を拭った。
グレフェンの夏の平均気温は北海道より若干低いくらいだけど、それでも日中は20℃台半ばとか後半くらいまでは上がる。
日本なら「クールビズ」などと言って半袖ノーネクタイが許される季節だけど、残念ながらこの国にそういう文化はない。
古い時代の習慣や価値観を大事にするお国柄だからだろうか……?
「じゃあさ、アンタはおなかすかないの?」
「いや、ペコペコですよ。だから早く寮に帰って――って、あ、あれっ……?」
僕は今さらのように足を止めた。
……以前紹介したように王立音楽学園の寮は"校舎の裏口"の格子門の先にある。広いと言っても隣りの敷地だから、学校からは歩いて十分程度の距離だ。
だがここは……
ここを歩くのは、先週リーゼ先生に連れられて初めて王立音楽学園に来たとき以来だった。
「――あ、あれっ? 方向が逆じゃないですか?」
「今さら気づいたの? ホント、呑気でいいわねぇ~」
僕の指摘に、ありすさんは皮肉たっぷりに笑った。
「ど、どこに行くんですか?」
「放課後デートよ!」
「ほ、放課後デート?」
「あっ、いやっ、じゃなくて――え、えーっと!」
ありすさんは何故かまた顔を真っ赤にして、それからこう言った。
「――そ、そうっ、ランチよ! ランチをしに行くの!」
「ランチ、ですか?」
「そうよ! 何か文句あるっ?」
「文句っていうか……ランチなら、さっきのカフェテリアでもよかったんじゃないですか?」
「そ、それじゃフンイキが出ないでしょーがっ!」
「フンイキとは? ……いたっ!?」
首を傾げていると、ありすさんに向こう脛を蹴られ、僕はよろめいてしまう。
「う、うっさいわねっ! とにかくランチに行くのよっ! ゴチャゴチャ言ってないで、付き合いなさいよっ!」
「なんでいつも蹴るんですかぁ……?」
僕は痛む脛をさすりながら、渋々ありすさんの後についていった。
まぁそんなこんなで路地を歩いて行くと、やがて大通りに行き当たる。
といっても近代的なビルなどは一切なく、建ち並ぶのは壁面が劣化した古い建物ばかりだった。
日本でもたまに見かける"ハンバーガーチェーン"や"コーヒーチェーン"ですら、中世ヨーロッパ風の建物にすっぽりと収まっているから感動する。
――景観保全に対する意識の高さ。
まさにそれこそが"歴史と伝統を重んじる芸術都市"たる所以だろうなぁ……と感心させられてしまった。
(やっぱりこういうのはヨーロッパの方が、日本よりもはるかに進んでるよなぁ……)
僕は歩きながら看板や標識に目を向ける。
たまに『王都〇区』と行政区画を示す標識が掲げられてるけど、"グレフェン"という地名はまったくと言っていいほど見当たらない。
そう――これは数日前に寮母さんと話しているときにも気づいたのだが、地元の人はこの街を"グレフェン"とは呼ばずにたんに"王都"と呼んでいるのだ。
寮母さんによれば地元民が"グレフェン"と言う場合は、むしろ都市名ではなく"国名"を指すらしい。
理由は不明だが、おそらく"クウェート"や"シンガポール"などと同様に国名と首都名が同じであることから、そう呼び分ける習慣がついたのではないだろうか? ――そんな気がする。
事実、歴史あるヨーロッパの古い都市らしく王宮を中心に放射状に広がるその街並みは"王都"と呼んだ方がしっくりくる――そんな趣さえあった。
……そんなことを考えながら歩いていると、隣を歩くありすさんが嬉しそうに言った。
「この辺りはね、昔からある商業地区なんだって!」
「商業地区、ですか……?」
僕は周囲を見回す。……まぁ確かにこの猥雑さと騒々しさは、商業地区特有のものだろうなぁ。
見渡す限りの店舗、それに屋台が犇めき合い、あちこちから商人たちの威勢のいい掛け声が聞こえてくる。
「――ほら、安いよ安いよっ!!」
「――そこのお兄ちゃんお嬢ちゃん、一杯どうだいっ!?」
……おいおい、制服姿の未成年者に酒を勧めるのかよ。
ひっきりなしに続く客引きの声に、陰キャな僕はすっかり気圧されてしまった。
「……スゴイわね! 日本でいったら"年末のアメ横"ってカンジかしら?」
「……ありすさん、僕、なんだか疲れちゃいました。ランチをするなら、はやくどっかのお店に入りましょうよ……」
「ダーメ! ちゃーんと調べてあるんだから! もうちょっと行った先に、いいカンジのレストランがあるのよ! 四の五の言わずに歩くっ!」
「ちょ、ちょっと……!」
スキップしながら進んでいくありすさんの背中を追って、僕も迷子にならないようについて歩いた。
――街の雰囲気が変わり始めたのは、商業地区を歩き始めてしばらく経った頃だ。
次第に地べたに座り込んで物乞いをしたり、道端に怪しい商品を並べて露店を開いている人の姿が多くなった。
みんな薄汚い身なりをしていて、見るからに……といったカンジだ。
(なるほど……。中心部から離れて外縁に向かえば向かうほど……)
――貧民窟か。
そんなことを考えながら歩いていた、その時だった。
「――泥棒だっ!!!!」
突然背後から叫び声が聞こえ、振り返ると、上半身裸に金髪ロン毛の男と、それを追いかける警察官と思しき二人組の姿が目に飛び込んできた。
逃げる男の手には明らかに女性もののバッグが。
まっすぐこちらに向かって走ってくる――。
「……キャッ!」
ありすさんは驚いたように身をこわばらせる。
(マズイ、このままじゃ――)
――逃げてくる金髪ロン毛男と鉢合わせになってしまう。
そう思った僕は、無意識にありすさんの腕を引っぱり、自分の背後に隠すようにした。
そうしてすぐ目の前を駆け抜けていく金髪ロン毛の泥棒に、タイミングよく右足を引っ掛けてやった。
「……うおおおぉぉぉっ!?!?」
前のめりに転倒する泥棒。
その拍子に金髪ロン毛のカツラは宙を舞い、坊主頭の中年男へと姿を変えた。
地べたに転がるカツラと女性もののバッグ。
カツラの脱げた坊主頭の泥棒は、性懲りもなくバッグを拾って再び逃げ出そうとしたが、今度は追いついてきた警察官に組み伏せられた。
「――抵抗するなっ! おとなしくしろっ!」
言いながら泥棒を警棒でどつきまわし、路上に押さえつけ、手錠をかけてはまた警棒でボコボコにする警察官たち……。
――罪を犯した者には容赦なく罰を与える。
そんな犯罪者に対する厳然とした態度も、外国の警察官っぽいなぁ……と苦笑してしまった。
そんなこんなでパトカーがやって来て、応援の警官が泥棒を車内に担ぎ入れていた時だった。
ふいに後ろ手に手錠をかけられた泥棒がこっちを振り返り、ニヤリと笑って言ったのだ。
「……お前らもいずれ俺みたいになるんだよ! 王立音楽学園の生徒さんよっ!」
僕に足をかけられたのが気に入らなかったのか、脅すような口調だった。
警察官が慌てて泥棒の頭を殴りつけ、無理やりパトカーに引きずり込んでいった。
「な、なによ、アイツ……」
泥棒を乗せたパトカーが走り去ると、ありすさんは憤然とした顔になる。
僕は頷いた。
「……もしかしたらあの泥棒も、僕たちと同じ王立音楽学園の生徒だったのかもしれませんね」
「ハァ? あのオッサンが?」
「"元"ってことですよ。過酷な競争に敗れた元音楽家志望者か、それとも身を持ち崩した元音楽家か……」
怪訝な顔のありすさんを横目に、僕はデイトン先生の話を思い出した。
"ちゃんとゴミ箱に収まるゴミは、わずか一割にも満たない"――。
ほとんどが路傍のゴミクズになってしまう。
外縁周辺にいる浮浪者の中には、かつてこの学園の生徒だった者が大勢いるのだ……と。
("あぶれてしまったゴミ"かぁ。僕もそうならないように注意しないとなぁ……。……んっ?)
デイトン先生の話を胸の中で反芻していると、ふいにありすさんが僕のブレザーの袖を掴んできた。
何故か顔を赤らめ、俯いている。
「……どうしたんですか?」
「さ、さっきは、あ、ありがと……」
「はい?」
「た、助けてくれたんでしょ? あの泥棒が、こっちに向かって走ってきたから……」
僕は首を横に振った。
「いいえ、別に、ありすさんを助けたつもりじゃ――って、い、いて……っ!?」
ありすさんはまた僕の足を蹴り上げ、スタスタと先に歩いて行ってしまった……。
(なんだよもう……よくわからない人だなぁ……?)
まぁそんなゴタゴタもありつつ、そこからさらに十分も歩いてようやくたどり着いたありすさんお目当てのそのレストランには――
――『準備中』の札がかかっていた。
おいおい、嘘だろ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます