第15話 左隣の部屋の自称僕の嫁に襲われた件

 挨拶するべきか……。やめておくべきか……。

 いやでも……。うーん……。

 シャンデリアに照らされた廊下。左隣の部屋の前を、僕は動物園のクマみたいにウロウロと歩き回っている。


 "自称アンドロイド"の部屋から逃げてきた僕は、いったん自分の部屋に避難し、呼吸を整えているうちにそのことを思い出したのだった。

 ――まだ左隣の部屋に挨拶してないぞ、と。


「でも、"二度あることは三度ある"って言うしなぁ……」


 挨拶するかどうか本当に悩む。

 だって向かいの部屋の"自称サキュバス"に襲われかけ、ついで右隣の部屋の"自称アンドロイド"にも襲われかけ……となれば、左隣の部屋にも危ない人がいるはずだ、と考えるのは自然なことではないか?


 今度は"自称宇宙人"とか"自称魔王"とかが出てくるかもしれないし、高額な壷を買わされたりするかもしれない。


 そう思うと、ドアをノックすることすら恐ろしい。

 ライオンの縄張りに足を踏み入れるシマウマの気分だ。

 自分から食べられに行くような感じだ。


「でも、"後戻りは出来ない"って言ったよな……。今さら日本に帰るわけにはいかないんだからさ……。前に進まなきゃ――」


 とか言いつつ、ドアをノックする勇気が出ずに、僕はドア板に耳を押し当てる。

 盗み聞きなんかしたところで中の様子がわかるわけでもあるまいに……って、おや?


「……あとは首を吊るだけよ……それですべてが終わるのよ……もう遺書も書いたし……」


 ドアの向こうから女性の呟く声が聞こえる。

 どうやら左隣の住人は、ドア板のすぐ向こう側にいるらしい。


「……勇気を出すのよヴィオレッタ……自殺なんて簡単なんだから……さあ、首を吊るの――」


 ……じ、自殺っ!?

 ふいに飛び込んできたその不穏な言葉に、僕の心臓は高鳴った。


(……たっ、大変だ! 止めなきゃっ!?)


 そう思うやいなや、無意識にドアノブを掴んで開けていた。

 幸い鍵はかかっていなかった。


「だっ、ダメですよ、自殺なんかし――――」


 だが部屋の中を覗き込んだ瞬間、僕はフリーズしてしまう。

 ドアの向こうに置かれた丸椅子。その上に立っていたのは……


 ……ロープに首をかけた、姿の美少女だった。

 ベールをかぶった金髪の花嫁はまさに今、丸椅子から飛び降りるところだった。


「……あ、あぶないっ!!」


 慌てて駆け寄る僕。

 彼女の首が伸びきる前に、何とかその体を抱き止めようという算段だったのだが……それ以前にロープをかけていた天井のフックが「バキっ!」と音を立てて壊れ、僕は彼女の下敷きになってしまった……。


「……い、痛ったぁ~!」

「な、なによっ! ジャマしないでよっ!」


 腹の上で喚く花嫁を、僕は必死に宥める。


「お、落ち着いてくださいよっ!」

「ていうか誰よ、あなたっ! どうしてこの寮に男がいるのよっ!」


 僕と彼女は立ち上がると、改めて事情を話し合った。

 今日から隣の部屋に入寮することになった鹿苑寺恚という留学生であること。


 男子寮が定員で女子寮に入ることになってしまったこと。

 挨拶をしようとドアの前まで来たところで「自殺」という言葉が聞こえて、思わずドアを開けてしまったこと……。


 彼女の方は「ヴィオレッタ・イラディエルさん」というフルート科の生徒で、今日はなんと"結婚式"だったらしい。


「け、結婚式? それはおめでとうございます!」


 だが僕がそう言うと、彼女は金切り声を上げた。


「全然めでたくないわよっ!!!! 婚約者に逃げられたんだからっ!!!!」


 ――なんでも彼女・ヴィオレッタさんは、悪夢のような出来事に見舞われていたようだ。

 彼女には「ディオジーニさん」というプロヴァイオリニストの婚約者がいたそうで、それが昨夜から音信不通になっていたという。


 そして今朝、式場の控室でヴィオレッタさんが家族や友人たちと心配していると、一通のメールが届いたというのだ。


『――ごめん、ヴィオレッタ。やっぱり君とは結婚できない』


 婚約破棄を告げる一方的なメールだった。

 そうして新郎に逃げられたヴィオレッタさんは着の身着のまま逃げるように寮へと戻ってきて、精神的苦痛から自殺しようとしていた。

 そしてそこへ現れたのが、この僕だった、というのだ。


(なんだかすごいタイミングで来ちゃったな……)


「結婚式で『パッヘルベルのカノン』を弾いてくれるって言ってたのに! ひどいわ! ふぇーん!」


 ベールの下で泣き始めるヴィオレッタさん。

 まぁ、そりゃ死にたくもなるよな……。だって結婚式当日に相手に逃げられるなんて、映画やドラマでしか見たことないし……。


 実際にそれをされたヴィオレッタさんの心痛は推して知るべしだろう。

 でも、そうは言ってもなぁ……。


 十五歳童貞の僕には彼女を慰めるだけの知恵も経験もないし。

 どうにかして励ましてあげたいけど……。

 そんなことを考えているうちに、ふと思いついた。


(……あっそうだ、ヴァイオリンは?)


 その『パッヘルベルのカノン』とかいう曲を代わりに弾いてあげたら、喜んでくれるんじゃないかな?


 泣き叫ぶヴィオレッタさんを前に、ヴァイオリンをケースから取り出して肩に乗せると、すかさずバトルのフェーズが始まっていた。



 【聴衆オーディエンスA:ヴィオレッタ・イラディエル】

 レベル:55

 TS防御度:5500/5500

 AS防御度:2100/2100



 ……うん、あんまり聴衆オーディエンスレベルは高くないな。

 いや、ていうかレウィシアさんやユリンさんが異常だっただけで、これでも学生コンクールの審査員よりも高いけどさ。


 それはともかく、TS防御度に比べてAS防御度が半分以下っていうのは、どういう風に捉えたらいいんだろう?


 それだけ"繊細な心の持ち主"とでも解釈すればいいのかなぁ……?

 そんなことを考えながら、半透明のウインドウに目をやる。


「『Pachelbel's Canon』をオート演奏しますか? はい・いいえ」


 僕は迷わず「はい」を選択。

 両腕が勝手に動き出す。

 そうして弓が弦上に紡ぎ出したのは、ゆったりとした四分音符のロングトーンだ。


 弓を端までいっぱいに使い、まるでヴィオレッタさんの涙に寄り添うかのように切々と歌い上げる。

 

(……あぁ、『カノン』ってこれかぁ。よくCMとかで流れてるヤツだなぁ)

 

 それは誰もが一度は耳にしたことがある曲だった。

 有名なカノン進行。伸びやかなスラー。技術的には決して難しくないが、その分、芸術的表現の求められる曲だ。



 ――『OVERKILL』!!!!



 【聴衆オーディエンスA:ヴィオレッタ・イラディエル】

 レベル:55

 TS防御度:0/5500

 AS防御度:0/2100



 冒頭の一分も弾き切らないうちにオーバーキル判定が表示されたけど、僕はカノンを切りの良いところまで弾き切った。


 最後の音が狭い部屋に響き渡ると、僕はヴァイオリンを肩から降ろす。

 見れば、さっきまで泣きじゃくっていたヴィオレッタさんは…………あれっ、まだ泣いてるぞ?

 慰めるつもりだったのに……お気に召さなかったのかな?


「ご、ごめんなさい……これじゃなかったですか?」


 だが僕がそう訊くと、ヴィオレッタさんは首を横に振った。

 そして言った。

 

「……ダーリン、あなただったのね」

「えっ……?」

「私の……本当の婚約者フィアンセは」

「はっ……!?!?」

「決めたわ、私――あなたと結婚する!!!!」

「いやっ、ちょっ!?!?」


 突然抱きついてきたヴィオレッタさんに押し倒され、僕はまた馬乗りになられてしまった……。

 そうしてヴィオレッタさん――花嫁の手が、僕のズボンの中に滑り込んでくる……。


「不束者ですが、末永くよろしくお願いしますねっ! あ・な・た♡」


 "自称サキュバス"、"自称アンドロイド"の次は、"自称・僕の嫁"とか……。

 もう嫌だよ、この寮……。

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