第14話 右隣の部屋の自称アンドロイドに襲われた件

「ハァ……ハァ……」


 自分の部屋に戻った僕は、ずり下がったズボンを引き上げようとする。……が、手が震えてうまくいかない。


「ハァ……ハァ……くそ――」


 見知らぬ異国の地に来て、いきなり女子寮に入れられて、初めて挨拶した向かいの住人が"自称サキュバス"とか……。


 いくら何でも運が悪すぎるだろう……。

 サキュバス……もといレウィシアさんに精を絞り取られる前に逃げてきたはいいが、部屋まで追いかけてきたらどうしよう、と気が気じゃない。

 なんせ向かいの部屋だし、他に逃げ場もないしなぁ……。


「とはいえ、僕には帰る家もないし。進むも地獄、退くも地獄だ……」


 どっちも地獄なら、まだ前に進む方が建設的だな、という気はするけど……。

 まぁ消去法だし、本音ではどっちも選びたくないけどさ……。


「ハァ……ハァ……。隣の部屋にも挨拶しなきゃ――」


 また変な人だったらどうしよう、と怖いけど、だからって一生部屋に閉じこもっているわけにもいかないし。


 どっちにしろいつかは顔を合わせるのだから、勇気を出して行かなきゃ――。

 僕の女子寮生活はまだまだ始まったばっかりなのだから……。

 こんなところでへこたれていては……。


「よ、よし――」


 ベルトを締め直し、呼吸を整えると、僕はヴァイオリンケースを持って再び廊下へ出た。

 シャンデリアに照らされた廊下が、なんだか伏魔殿のようにも見えてくる。


(……また"サキュバスの部屋"とか書いてあったらどうしよう?)


 不安に思いながら、恐る恐る右隣の部屋のドアを覗き込む。

 ――木製のルームプレートが掛かっている。

 一瞬ビクッとしたけど、よく見たら、


『3115/作曲科 ユリン・バレーラ』


 と綺麗な字で書いてあるだけだった。

 他に怪しいところは見つからない。

 よかった、今度は普通の人みたいだ……。


「――すいません、隣に引っ越してきた者ですが……」


 僕はドアをノックしながら呼びかける。

 ――数秒の沈黙。


(……作曲科のユリンさんか。なんとなく、頭の良い人な気がするな)


 そんなことを思いながら待っていると、やがてドアの向こうから抑揚のない機械的な声が聞こえた。


「……Xtrmlyシステム起動。……Prcslyプロセス、ローディング――」


 ……ん? なんだ今のは?


「……もしもし? あの、すいません、今日から隣の部屋に引っ――」

「ターゲット変更。wldフィールド解除。侵入者確認。コレヨリ迎撃モードニ移行スル!」

「……はっ、はい?」


 わけのわからない声に困惑していると、突然ドアがガバっ! と開いた。

 中から飛び出してきたのは、銀髪にメイド服姿の……


 ……見るからにヤバそうな、キャラの濃すぎる美少女だった。

 僕は後ずさる。


(……げっ、なんかまた変な人だ、絶対ヤバい人だ――)


「Chc連携。 Rplc暗号化。――要求シマス。名前ト用件ヲ述ベナサイ」

「……は、はいっ? な、名前と用件? あ、あぁ、えっと――」


 僕は全力で逃げ出したくなる気持ちを抑えながら、冷静かつ丁寧な自己紹介に努めた。

 ……この人も、さっきのレウィシアさんと同じ匂いがするな。ヘタに刺激するとマズそうだ……。


「――え、えっと、今日から隣の部屋に入寮することになりました、ヴァイオリン科の鹿苑寺恚と申します。男子寮が定員一杯で、女子寮に入ることになってしまいました。ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが……」

「Fデータベースニ照合シマス。……該当生徒データガ取得デキマセン。ヴァイオリン科、ケイ・ロクオンジ、ハ存在シマセン」 

「……はっ!?」


 そ、存在しないって……えっと、ここに存在するんですけど!?

 ていうかさっきから何なんですか、そのわざとらしいアンドロイドみたいな喋り方はっ!?

 僕が困惑していると、だが銀髪メイド服の美少女は強気に畳みかけてきた。


「侵入者X=ヴァイオリン科=ケイ・ロクオンジ、ヲ証明シナサイ。証明不能ナラ――殺シマス!」


 ……こ、殺すって何!? なんで挨拶に来ただけで殺されなきゃいけないんですかっ!?

 くそっ、どうなってんだよこの寮……ストレスで頭が禿げそうだ。


(――なんて日だ!)


 と叫びたくなる。

 だが僕は発狂しそうになるのをぐっと堪え、何とか自分がヴァイオリン科の生徒であることを証明する手段はないか、と考えた。

 ……あっそうだ、ヴァイオリンがあるじゃないか!


("芸は身を助く"とかって言うし……)


 早速ケースからヴァイオリンを取り出し、肩に乗せると、あっという間にバトルのフェーズが始まってしまった。



 【聴衆オーディエンスA:ユリン・バレーラ】

 レベル:118

 TS防御度:11800/11800

 AS防御度:12000/12000



 ……えっ、つっ、強くないっ!?

 TS/AS防御度10000超えの人なんて初めて見たんですけどっ!?

 全日本ヴァイオリンコンクールの審査員よりレベル高いじゃないか……。


(ひょっとしてこの人、こんなふざけたキャラしてるけど、実は天才作曲家とかだったりして……?)


 とはいえ、今さら後戻りはできない。僕は腹を括って弓を構えるしかない。

 相手が天才作曲家なら、演奏する曲は――


(――バッハにしようかな……。スキル【バッハ◎】を持ってるしな……。確か『演奏時にASが33%上昇する』とかいう効果だったような……?)


「『Partita No. 3 in E major, BWV 1006』をオート演奏しますか? はい・いいえ」


 ……ん? BWV 1006ってなんだろう? 高級車みたいだな?


「……『Sonata No. 2 in A minor, BWV 1003』をオート演奏しますか? はい・いいえ」


 答えをためらっていると、急にウインドウの表示が切り替わってしまい、僕は慌ててしまう。

 ……ああもう、なんだよ"パルティータ"とか"ソナタ"とか、ややこしいなっ!?

 まぁでも、ここは"1番"って書いてあるやつにしようかな……?


「……『Sonata No. 1 in G minor, BWV 1001』をオート演奏しますか? はい・いいえ」

(はい、だ。……頼む!)


 胸の中でそう念じると、僕の腕が勝手に動き出す。

 四本の弦を弓で擦ると、いきなり飛び出してきたのは、荘厳な重音だった。


 ……うわぁ、なんだか重々しい曲だなぁ。RPGだったらさしずめ城の中で流れるBGMってカンジだ。


 そういえばバッハって、あのクルクルパーマのおじさんだっけ? 音楽室に自撮りが飾ってあった気がするけど……。


 いや、自撮りじゃなくて肖像画か……。

 などと考えながら弓で重音を奏でつつ、僕は何気なくステータスを目の端に見る。



 名前:鹿苑寺恚(♪演奏中:Bach / Sonata No. 1 in G minor, BWV 1001)

 レベル:1

 TS:140000

 AS:186200

 MP:24031

 スキル:≪自動成長≫≪らくらくヴァイオリン≫≪悪魔と契約≫≪神童≫≪ドンファン・リサイタル≫≪天穹のスタッカート・ヴォラン≫≪永劫のスル・ポンティチェロ≫≪バイオリンガル≫……他

 称号:≪ヴァイオリンの神≫



 ……あっ、ちゃんとASが増えてるな。

 どうやらちゃんとスキル【バッハ◎】の効果が現れているようだ。

 そうして雑念に呑まれている間も荘厳な重音は続き、



 ――『OVERKILL』!!!!



 【聴衆オーディエンスA:ユリン・バレーラ】

 レベル:118

 TS防御度:0/11800

 AS防御度:0/12000



 4分足らずの第一楽章(アダージョとか言うらしい)を弾き終わらないうちに、目の前に立っている銀髪メイド服美少女のTS/AS防御度は0になっていた。


 オーバーキル判定が表示されているから、どうやら問題なく彼女の心に響かせることが出来たようだ。


 僕はひとまず第一楽章のフィニッシュまで弾き終え、続けて第二楽章の"フーガ"とかいうのも演奏することが出来るみたいだったけど、もう十分だろう――とヴァイオリンを肩から降ろした。


「……えっと、こんな感じで、ヴァイオリン科の生徒っていうのは嘘じゃないです。信じてもらえましたか?」


 だが僕がそう訊くと、彼女は目を丸くして黙りこくってしまった。

 うんともすんとも言わない。


 さっきまで人形のように真っ白で感情の読み取れない顔をしていたのに、いつの間にか茹蛸みたいに赤くなってるし……。

 ……まぁ、いいや。



「……じゃあ、そういうわけで――」


 挨拶を済ませた僕はヴァイオリンをケースにしまい、もう一方の部屋に挨拶に行こうとした――その時だった。


 彼女――ユリンさんの手が、いきなり僕の腕を掴んできた。

 ……んっ?


「ど、どうしたんですか?」

「……マスター」

「……は、はい?」

「……Xtrmlyシステム破損。乙女心制御不能クラッシュダウン。コレヨリ、シュキシュキモードニ移行シマス――」

「……はっ? ……ちょっ――!?」


 あろうことか突然、銀髪メイド服の美少女――ユリンさんが僕の腕を引き寄せるようにして、後ろから抱きついてきたのだった。


 控えめな小さな二つの膨らみが背中に触れるが、こっちはそれどころじゃない。

 勢い余って床に倒れ込み、僕はまた美少女に馬乗りになられてしまった……。


「……ユ、ユリンさんっ!?」

「マスター……今日カラ私、『御奉仕メイド型アンドロイド、アルカナ』ノ使用権限ハ、マスターニ譲渡サレマシタ。ナンナリト御命令ヲ、マスター」

「はっ!? マ、マスター!?」

「ドウカ御命令ヲ。御命令ヲシテクダサイ、マスター」


 め、命令って何!?

 ていうか、"マスター"って何!?

 いやそもそも、"御奉仕メイド型アンドロイド"って何!?!?

 ツッコミどころが多すぎて理解が追いつかないんですけどっ!?


「お、落ち着いてください、ユリンさんっ!?」

「拒否。マスター、私ハ"御奉仕メイド型アンドロイド、アルカナ"デス。ユリン、デハアリマセン」

「いやいや、作曲科のユリン・バレーラさんですよねっ!?」


 僕がそう言うと、彼女は一瞬「ギクッ」とした顔をしたが、またすぐに、


「――拒否。私ハ"御奉仕メイド型アンドロイド、アルカナ"デス。マスター、御命令ヲ」


 と言い直した。

 どうやらこのキャラを押し通すつもりらしい……。

 てか、命令しろって言われても……。

 ど、どうすりゃいいんだよ……っ!?


「ご、"ご奉仕"って、どういう意味ですかっ!?」

「承認。御命令ヲ承リマシタ。コレヨリ御奉仕ヲ開始シマス――」

「はっ!? な、何がっ!?」


 困惑する僕をよそに、ユリンさんの手が僕のズボンの中に滑り込んできた……。


「……ちょっ、待っ!?!?」


 おいおい、"自称サキュバス"の次は"自称アンドロイド"とか……。

 一体どうなってんだよ、この寮……。

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