第12話 女子寮に入れと言われた件
鹿苑寺家の屋敷も豪邸だったけど、やっぱり世界はスケールが違うなぁ……。
かつて王侯貴族が住んでいたという王立音楽学園のキャンパス内を歩きながら、僕はしみじみとそう思った。
巨大な噴水。ボートが浮かぶ池。そして森みたいな広場や公園……。
バロックとロココが織り交ざったようなその宮殿は、ちょうど中央の本館を挟んで綺麗なシンメトリーになっている。
こうして歩いているだけで、そこら辺の木陰から馬車に乗った王様や王妃様が"ひょいっ"と姿を現しそうだ。
「そうね。実際、昔はキャンパス内を馬車が巡回していたのよ」
と前を歩くリーゼ先生が言った。
「今は"自動運転バス"に置き換わったけどね。じゃないと大変でしょう? 延々と歩くことになるから――」
……でしょうね。僕は額ににじみ出る汗を拭いながら頷く。
両手にスーツケースとヴァイオリンケースを二個ずつ持って歩くには、いくらなんでも広すぎた。
自衛隊の行軍訓練かよ! とツッコミたくなる。あーこれ明日、ゼッタイ筋肉痛になるやつだ……。
ていうか隣を歩くありすさんが自分の荷物を持ってくれれば楽なのになぁ……。
さっきから唇を尖らせるばかりで、ろくに口も聞いてくれない。
……どうして怒ってるんだろう?
空港から王立音楽学園まで来る道中も、車内では一言も発さなかった。
それどころか僕がリーゼ先生と話しているだけで、いちいち「チッ」と舌打ちをしてくる始末。
……僕、何か怒らせるようなこと言ったかなぁ?
まぁ車中では窓の外に広がる旧市街の街並みや石畳の道を見てはしゃいでしまったから、もしかしたらそれで気分を害したのかもしれないけど……。
そんなこんなで長い道を通ってようやく石造りの校舎にたどり着くと、内部は天井や壁一面にフレスコ画が描かれた絢爛豪華な空間が広がっていた。
「両翼棟にはコンサートホールやリハーサルホールがあるわ。もちろん録音スタジオやレッスン室もね」
バルコニー付きの階段を上がりながら、リーゼ先生が丁寧に説明してくれる。
だけど、こっちはそれどころじゃない。スーツケースを持ち上げるのに必死だ。
さすがに古い建物だけあって、エレベーターとかエスカレーターとかはないらしい……。
まだヴァイオリンは軽いからいいけど、チェロとかコントラバスの人は大変だろうなぁ……。
「今は夏休みだから閑散としてるけど、来週には制服を着た生徒たちで賑わっているはずよ」
そっか……。
グレフェンの
もっとも王立音楽学園はその特殊性から、普通の学校より前倒しして八月の第四週目には始まるようだけど……。
八月の第四週目――つまりもう来週だ。
(どんな生徒たちがいるんだろう?)
一抹の不安が僕の頭をよぎる。
この国の高等学校教育は「ギムナジウム」と呼ばれるもので、日本で言うところの中高一貫校のイメージに近いらしい。
主に13歳から18歳の六年間を学び、無事に卒業した人だけが大学入学資格を手にすることが出来る……とリーゼ先生は教えてくれた。
ただそれはあくまで一般的なギムナジウムの場合であって、王立音楽学園はまたちょっと違うらしい。
「卒業までたどり着ける生徒は、正直半数にも満たないわね」
「は……半数、以下っ!?」
「そう。ウチの卒業生はみんな世界的音楽家ばかりでしょう。だから肩書き欲しさに世界中から音楽家の卵たちが集まってくるの。けど、そんなに甘いものじゃないわ。競争を勝ち抜くっていうのはね。サバイバルだから――」
サ、サバイバル……。
当たり前のようにそう呟くリーゼ先生に、僕は思わず身震いしてしまった。
「――まあ施設のことはいずれわかるでしょうから、先に寮へ案内しましょうか。二人とも長旅で疲れたでしょう?」
コツコツとヒールの音を響かせて外へ出ていくリーゼ先生。
一体どこへ行くのか、と思ったがなんのことはない。裏口から外へ出ると、格子門の奥にさらに別の敷地があって、その先にもう一つ神殿のような正方形の建物が見えた。
「手前に見えるのが男子寮の
……厩舎?
男子は藁の上で寝ろ、ってことだろうか?
だがそう言うと、リーゼ先生はフッと鼻で笑う。
「安心して、馬房で寝るわけじゃないわ。騎士の時代の話よ。重要な施設だったから、住居も完備されてるのよ。何千人もの関係者が宿泊できる住居がね。ちなみに女子寮の方は公妾のための離宮で、元は村落だったんだって」
……騎士とか村とか、スケールが大きすぎて全く想像がつかない。
これに比べたら鹿苑寺家の屋敷なんて、せいぜいワンルームくらいのものだなぁ、と思う。
そんな感じでプラタナスの並木道に沿って歩き続けると、やがて男子寮の正面玄関へと着いた。
リーゼ先生は、「寮長を呼んでくるから、ちょっと待っててね」と言って中に入り、十分ほどして、なぜか険しい顔をして一人戻って来た。
「ごめん、ちょっと連絡に行き違いがあったみたいね。ケイの部屋は用意されてないって」
「えっ?」
……部屋が用意されてないって、どういうことですか?
「男子寮は定員いっぱいだから、入寮出来ないって。たまにあるのよねぇ、こういうミス」
「……そ、そんなっ!?」
あるのよねぇ、って言われても……。
遠路はるばる日本から9500㎞も離れた外国までやって来て、今さら帰るわけにはいかないし……。
だが僕が青ざめていると、リーゼ先生は笑った。
「大丈夫よ、安心して。代わりに女子寮に部屋を用意してもらえることになったから」
……はい?
「ケイ、あなたは女子寮に入ってもらうわ。いいわね?」
「……いやいやいや、冗談じゃないですよっ!? な、なんで僕が女子寮に……っ!?」
「仕方ないでしょ、男子寮に空きがないんだから。まあどうしても『嫌だ』って言うのなら、荷物をまとめて日本に帰ってもらってもいいけど。どっちがいい?」
……何ですか、その二択はっ!?
女子寮に入るか、日本に帰るか、選べってことですかっ!?
「急にそんなこと言われましても……」
僕が答えに窮していると、なぜかありすさんが僕の向こう脛を蹴り上げてくる。
「……イタっ!?」
「さっきから何デレデレしてんのよ、このヘンタイっ! さっさと決めなさいよっ!」
……な、なんで僕が怒られるんですかっ!?
ていうか「デレデレしてる」って、一体なんの話ですかっ!?
「さあケイ、アリスの言う通りよ。早く決めて。女子寮に入るか、それとも――」
日本へ帰る――なんていう選択肢がありえないことは先述の通りだ。
だって帰りの航空券だって持ってないし……。
そんなわけで僕は、王立音楽学園の女子寮へ――半ば強制的に入れられてしまったのだった。
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