第11話 いらない子、音楽の都に到着する
飛行機が高度を下げると、やがて窓の外には中世の都市をそのまま切り取ったような景観が見えてきた。
うわぁ……本当に来ちゃったよ……。
「ふわぁ~。よく寝たぁ~」
隣であくびをしているありすさんとは裏腹に、僕は一睡も出来なかった。
東京から直行便で約12時間。ついに飛行機は、滑走路へと降り立つ。――世界中から音楽家が集まる都。音楽と芸術の国。『グレフェン王国』だ。
(本当に、本当に、来ちゃったんだな……)
着陸が完了するまでの間、僕は座席周りの片付けなどを行いながら、「これは夢だろうか?」と自問自答した。
この一週間あまりのことが走馬灯のように頭を駆け巡る。
パスポートやビザの申請。ストラウク先生との面接。そして留学手続きへ……。
すべての準備が整ったのは、出発ギリギリ三時間前のことだった。
当然、スーツケースは空っぽで、ヴァイオリンの他にめぼしい荷物もない。
そんな空手の僕が、着の身着のまま、日本から約9500kmも離れた異国の地に降り立つなんて――。
などと考えているうちに飛行機はゲートに到着し、やがてベルトサインが消灯して、音楽が流れ始める。
……おや、この曲はパガニーニの『24のカプリース』じゃないか。到着早々パガニーニとは、なかなか粋な選曲だ。さすがヴァイオリニストの聖地だけあるな……。
うっかり聞き惚れていると、ありすさんが隣で言った。
「アンタ、ボーっとして忘れ物とかやめてよ!」
「忘れ物って……手荷物なんかほとんどないですし」
「ちがうって、アタシのよ、アタシの!」
ありすさんはさも当然のように、散らかしっぱなしの自分の座席周りに顎をしゃくる。
「えっ……僕が持つんですか?」
「そうよ! 野良猫みたいに捨てられてたアンタを助けてあげたんだから、そのくらい当然でしょ!」
「助けてあげたって……」
そっちが留学に誘ってきたんじゃないか、と思いながらも、僕は渋々ありすさんの座席周りを片づけ、手荷物を両手に抱えて、飛行機を降りたのだった。
◇
"Arrival"の文字に従って進みながら、僕は上京したての田舎者みたいに空港内をキョロキョロと見回している。
さすが『音楽の都』と謳われるだけあって、壁や床のあちこちに五線譜のイラストが刻まれているのだ。
別にクラシックに明るいわけじゃないし、絶対音感があるわけでもないけど、スキル【譜読み◎】や【音楽言語理解】を所持しているせいか、つい脳内で再生したり口ずさんだりしてしまう。
……この曲は多分ベートーヴェンだよなぁ。……こっちは多分バッハだ。
よく知らない交響曲に脳内で浸っているうちに、"Immigration"の列は進み、やがて僕の順番が回ってきた。
「Passport please!」
大柄な入国審査官を前に、僕は緊張しながらパスポートを差し出す。
「What is the purpose of your stay?」
「え、えっと、ス、スタディー、ヴァ、ヴァイオリン!」
「What?」
「ス、スタディ、ヴァ、ヴァイオリン……」
「……」
ダメだ、全然通じない……。
英語のテストで0点を取ったこともある無能の本領を発揮した僕は、まるで犯罪者を咎めるような入国審査官の冷たい視線に晒され、ほとんど蛇に睨まれた蛙になってしまった。
くっそ……。せめてもう少し英語の才能があればなぁ…………ん?
『――スキル【音楽言語理解】が【バイオリンガル】にレベルアップしました。』
【バイオリンガル】……音楽言語と日常言語の二言語を完璧に使いこなすことが出来る。
えっと……なんですか【バイオリンガル】って!? それを言うなら【バイリンガル】じゃ!?
目の前のウインドウに現れた文字にツッコミを入れていると、入国審査官が苛立ったように言った。
「――ちゃんと答えなさい。もう一度訊きます。滞在の目的は?」
僕はハッと我に返る。
「あっ、はい。王立音楽学園にヴァイオリン留学するために来ました。ゼーン・ストラウク先生の推薦です。学生ビザもちゃんと所持しています。同行者もいます。ほら――あそこにいる女の子です。グレフェンでは男子寮に入寮する予定です。なんかすいません、英語が喋れなくて……」
「……なるほど」
なんでか知らないが、急に優しくなった入国審査官は、誤解がとけたようにスタンプを押してくれた。
どうやらちゃんと説明したらわかってくれたみたいだ。
ふぅ、焦ったぁ~。
……って、あ、あれっ?
あの人、いま日本語話してなかったっ!? いや、っていうか、僕が英語を話したのかっ!? ……えっ!?
困惑しながら人の波に流されていくと、今度は"荷物受け取り"の文字が見えてきた。
……いや、違うな。書いてある文字は英語で"Baggage Claim"だ。それなのになぜか、僕の頭は勝手にその文字を母国語として認識してしまう。
……一体どうなってるんだ?
ボーっと突っ立っていると、ありすさんが僕の脇腹を肘で小突いてきた。
「ほら、出てきたわよ! アンタ取ってきなさいよ!」
見れば、ターンテーブルから流れてくる僕とありすさんの荷物――スーツケースとヴァイオリンケースだ。
僕は命じられたとおりに取りに行く。……うっ、重い。空っぽの僕のスーツケースに比べ、ありすさんのそれは「筋トレの道具か?」と疑いたくなるほどに重い。手がちぎれそうになる。
ちなみにこのヴァイオリン、出国時に「手荷物として機内に持ち込めるかどうか」で、ありすさんが空港職員と揉めに揉めていたものだ。
僕は全然気にならないけど、ありすさんいわく、「命よりも大事な楽器に何かあったら誰が責任取るのよ!」だそうだ。
そんなに良いヴァイオリンなのかなぁ? ……おや?
楽器名:ジャン・ピノッティ1970
製作者:ジャン・ピノッティ
ランク:B+
【ジャン・ピノッティ1970】……フィレンツェ派を代表する巨匠ジャン・ピノッティの手によるヴァイオリン。豊かな倍音が特徴。演奏者のASが5%上昇。
ありすさんのヴァイオリンケースを凝視していると、突然今まで見たことないステータスが表示され、僕は驚いた。
……なんだこれ? ヴァイオリンのステータスか?
(こんな機能あったんだ……。そういえば『楽器にもステータスがある』とかなんとか説明画面に書いてあったっけな……?)
僕はありすさんに荷物を手渡し、それから今度は自分のヴァイオリンケースに目を凝らした。……ステータスを確認する。
楽器名:ハールマン2021
製作者:不明
ランク:F
【ハールマン2021】……中国メーカー・ハールマンによる量産ヴァイオリン。粗末な合板プレスで奏者の成長を阻害する。経験値が半減。
……はっ?
僕は思わず固まってしまった。
……なんだよ「奏者の成長を妨げる」って? ……なんだよ「経験値が半減」って?
……さすが駅前の楽器屋で一万円で買った安物だ。
まぁ僕はスキル【自動成長】で経験値関係なくMPが自動的に貯まっていくスタイルだから、関係ないっちゃ関係ないけどさ。
にしても、やっぱりこれからは楽器にも気をつけなきゃダメだなぁ……。
そんなことを考えながら税関を抜けて最後のゲートを通過すると、僕とありすさんは本当の意味でグレフェン王国へと入国を果たしたのだった。
「あっれぇ~、おかしいわねぇ? 『リーゼ』っていう女性教師が迎えに来てくれるって、ストラウク先生から言われてるんだけどなぁ……?」
僕とありすさんはその案内役の女性を探して、ウロウロと空港内を歩き回る。
そうする間も、すれ違うのはヴァイオリンを携えた演奏家と思しき人たちの姿ばかりだ。
名前:セルゲイ・ウラソフ
レベル:258
TS:2823
AS:2221
MP:31
スキル:≪極北のデターシェ≫≪ボーイングLv.8≫≪アルペジオLv.7≫≪速いパッセージLv.8≫≪ポジションチェンジLv.8≫≪ビブラートLv.7≫≪トリルLv.8≫≪重音Lv.8≫……他
称号:≪プロヴァイオリニスト≫
【極北のデターシェ】……北の果てのブリザードのように冷たい運弓。TSとASが1000上昇。
名前:李婷
レベル:307
TS:2173
AS:3558
MP:6
スキル:≪魂柱覇王≫≪ボーイングLv.9≫≪アルペジオLv.7≫≪速いパッセージLv.8≫≪ポジションチェンジLv.8≫≪ビブラートLv.6≫≪トリルLv.9≫≪重音Lv.8≫……他
称号:≪プロヴァイオリニスト≫
【魂柱覇王】……表板と裏板を従えたその響きは天下を治めるが如し。ASが2000上昇。
……すごい。思わず目を見開いてしまう。
知らないスキルもちらほらあるし、みんなレベル200台や300台は当たり前。TSとASは2000オーバー、中には3000オーバーなんて人も結構いる。
称号:≪プロヴァイオリニスト≫なんてめずらしくもない、といった感じだ。
さすがは世界中からヴァイオリニストが集う聖地――。
僕はつい自分のステータスと比べてしまう。
名前:鹿苑寺恚
レベル:1
TS:140000
AS:140000
MP:23595
スキル:≪自動成長≫≪らくらくヴァイオリン≫≪悪魔と契約≫≪神童≫≪ドンファン・リサイタル≫≪天穹のスタッカート・ヴォラン≫≪永劫のスル・ポンティチェロ≫≪バイオリンガル≫……他
称号:≪ヴァイオリンの神≫
……あーまたMPが貯まってきちゃったなぁ。後で振り分けないとなぁ。
というのは置いといて、レベルの差はまさに大人と子供。天と地と言ってもいいほどだ。
ざっと見渡しただけでこれだけ腕利きのヴァイオリニストが見つかるのだから、王立音楽学園にはもっと凄い天才がいたりするんだろうなぁ。
それで僕は思い出した。――学生ビザを申請するにあたってグレフェン王国について調べた限りでは、国王を元首とするこの国は、東西ヨーロッパの中心に位置することもあって、古くから諸民族の文化や音楽の集散地だったらしい。
そして中世に入ると同地を支配していた名門王家が音楽を政策に利用するようになり、宮廷楽団が設立されるなどして、各地から有名な音楽家や作曲家がなおのこと集うようになっていったのだという。
『ヴァイオリニストの聖地』と呼ばれるようになったのは18世紀の後半、グレフェンを拠点としていた多くの作曲家たちがヴァイオリンをメインに据えたオーケストラを作るようになってからで、そんな経緯から「ヴァイオリンの地位向上はグレフェンなくしてはありえなかった」と言われているのだ。
まぁそりゃそんな国だから、上手い人がゴロゴロいても不思議ではないよなぁ……とは思う。
そんなことを思いながらロビーを進むと、遠くに人だかりが見えてきた。若い男の集団かと思いきや、近づいてみるとどうも違う。
燃えるような赤く長い髪。ブルーサファイアをはめ込んだような大きな瞳。黒いシースルーのドレスから白い肌を露出したモデルみたいなお姉さんが、男たちに囲まれていた。……どうやらナンパされているらしい。
お姉さんの姿が視界に大きくなるにつれ、半透明のウインドウには彼女のステータスと思しきものが表示される。
名前:リーゼ・ランズベリー
レベル:625
TS:5000
AS:5571
MP:1028
スキル:≪妖艶なリコシェ≫≪カルメン・リサイタル≫≪神童≫≪ボーイングLv.10≫≪アルペジオLv.9≫≪速いパッセージLv.9≫≪ポジションチェンジLv.9≫≪ビブラートLv.9≫……他
称号:≪名ヴァイオリニスト≫
【妖艶なリコシェ】……男心を迷わせる弓の弾み。TSとASが2000上昇。
【カルメン・リサイタル】……ヴァイオリンを弾くだけで男性や色事が寄って来る。
……おぉっ、すごい! 称号:≪名ヴァイオリニスト≫だ! 自分以外でその称号を見るのは初めてだ。
ていうかスキル【神童】持ちでASが限界突破しているけど、逆にTSが頭打ちになっているのはもったいないなぁ。MPも貯まっちゃってるみたいだし。
それはともかく【カルメン・リサイタル】って……僕が持ってる【ドンファン・リサイタル】の女性バージョンかな?
そんな感じでお姉さんのステータスを観察していると、隣でありすさんが言った。
「あー、多分あの人だわ、リーゼ先生。『王立音楽学園で男子の憧れを一心に集める美人女教師だ』って、ストラウク先生が言ってたもん」
「男子の憧れ……?」
「そ。元々はストラウク先生のお弟子さんで、幼い頃は『神童』って言われてたんだって。アタシみたいに!」
「はぁ……」
ありすさんは残念ながらスキル【神童】は持ってないんだけどなぁ……などと思いながら、僕たちはお姉さん――リーゼ先生に近づいていった。
遠めに見ても、色気というかフェロモンが駄々洩れになっているのはよくわかる。
そりゃあのルックスにスキル【カルメン・リサイタル】持ちじゃ、男子が寄ってくるのは当然だろうなぁ……って、いてっ!?
「ちょっとアンタ、なに鼻の下伸ばしてんのよっ!?」
ありすさんに向こう脛を蹴り上げられ、僕は思わずつまずいてしまった。
「……べっ、べつに、伸ばしてなんかないですよっ!」
「そうかしら!? ま、アンタはグレフェン語喋れないんだから、ここはアタシに任せときなさいっ!」
ありすさんはそう言って、リーゼ先生に話しかける。
挨拶がわりのハグを交わす二人。
周りのナンパ男たちがニヤニヤしながらその様子を見ている。
……ん? リーゼ先生がこっちに近づいてきたぞ?
「それで、あなたがアリスの友人の――?」
首を傾げるリーゼ先生。吸い込まれそうな青い瞳。抗いがたい色気。
僕は思わず頬を赤く染める。
「は……はじめまして……ろ……鹿苑寺恚……です」
「ゼーンから話は聞いてるわ。『"ケイ・ロクオンジ"っていう物凄い才能がそっちに行くから』って。お会いできて光栄よ」
「……え?」
……ストラウク先生が?
ゼーン・ストラウク先生とは面接の時に一度会ったきりだ。
僕がヴァイオリンを弾き始めると、すぐに「もういい、十分だ」と言われてしまったので、てっきり「これ以上聞く価値がない」と判断されたのかと思ってた……。
まさかそんな風に僕のことを評価してくれていたとは……。
「ケイ、ようこそグレフェンへ」
「うっ……!?!?」
ただの挨拶だとはわかっているけど、リーゼ先生にハグされて、僕は心臓が止まりそうになる。
ていうか赤い髪の肩越しに、ナンパ男たちの嫉妬に狂った目が痛い……。
「お前、誰だよ!?」と責められているようだ……。
「それじゃケイ、アリス。早速、学園へ案内するわね。忘れ物はないかしら? 外に車を駐めてあるから――」
歩き出したリーゼ先生の後について、僕とありすさんも空港の外へ出た。
……いてっ!?
またありすさんに向こう脛を蹴られ、僕はよろめいてスーツケースに顔を打ちつけた。
「……アンタ、なんでグレフェン語ペラペラなのよっ!? 話せないって言ってたクセに!?」
「なんでって言われても……」
すっかり不機嫌になってしまったありすさんに睨まれながら、僕たちはリーゼ先生の車に乗り込んだのだった……。
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