第10話 文秋砲で家を追い出されるも、一緒に留学しようと誘われる
「鹿苑寺恚さん、全日本ヴァイオリンコンクール優勝おめでとうございます――」
知らない男にいきなりそう言われ、僕は思わず身構えてしまった。
……えっと、どちらさまですか?
街灯の明かり越しに見える二人組の男。
一人はボイスレコーダーのようなものを、もう一人はカメラのようなものを僕に向けてくる。
午後10時前、ただでさえ閑静な高級住宅地は、もうすっかり寝静まる頃だ。
鹿苑寺家の門前に見知らぬ男がいるなんて、ましてや話しかけてくるなんて……と、僕は訝りながら男たちの顔を見つめる。
(義母や兄たちに自分の気持ちを伝えるんだ――)
そんな思いを胸に彼女のマンションを後にした僕は、ヴァイオリンケースを肩に電車に乗り込み、一人家路についた。
そうして鹿苑寺家の屋敷の前まで来たところで、いきなりこの男たちに行く手を阻まれたのだ。
そりゃ警戒もするさ……。知らない人にいきなり「おめでとう」って言われてもな……。
(ていうかなんで僕のことを知ってるんだろう?)
僕が警戒心をあらわにしていると、ボイスレコーダーを持った男が言う。
「突然すみません、週刊文秋のスズキと申します。『彗星のごとく現れた天才ヴァイオリニスト』にお話を伺うために来ました。早速ですが、取材させていただいても?」
……なるほど、そういうことか。
どうやらこの人たちはあの有名な『週刊文秋』の記者さんらしい。
どうして僕なんかに? と少し疑問に思ったけど、それだけ全日本ヴァイオリンコンクールの影響力が大きいってことなのかもしれないな。
ましてや僕は史上最年少優勝者だもんな……。
いや、けど――
「……取材して頂くのは構いませんが、昼間にしてもらえませんか? もうこんな時間ですし――」
だが男は僕の意見など無視して強引に取材を進めてきた。
「確認ですが、先週の火曜日はどちらにいらっしゃいましたか?」
……なんだよ先週の火曜日って?
僕がムッとすると、隣の男がすかさず「シャッターチャンス!」と言わんばかりにカメラのフラッシュをパシャパシャ焚いてきた。
……あぁ、もう、眩しいなぁ!
「正直に答えた方が身のためですよ? 当て取材も誌面に載りますからね?」
なんだよ当て取材って?
ていうか、取材対象者に対してあまりにも失礼じゃないか!?
これが『文秋』のやり方か!?
まるで脅しみたいな言い草に、さすがの僕も腹が立ってきた。
「……すみません。今日は疲れてるんで。後日にしてください!」
僕は走り出す。
「あっ、ちょっと! 先程ご家族にもお話を伺――」
背後で喚く記者たちを置き去りにして、僕は急いで門の中に飛び込み、勢いよく扉を閉めた。
……やれやれ。有名人も大変だなぁ。
そんなことを思いながら玄関で靴を脱いでいると、突然リビングの方から、義母や兄たちの震えるような声が耳に飛び込んでくる。
(……おや?)
僕は耳をそばだてる。
「……嘘でしょ……あの恚が」
「……本当に恚なのか? ……別人じゃなくて?」
「……本人だろ……さっきの記者もそう言ってたし」
「……これからどうすればいいのよ?」
「……そんなこと言われても」
いつになく弱々しいその声には、家族が受けたであろうショックの大きさが現れていた。
どうやら『文秋』の連中は、僕よりも先に家族に取材していたようだ。
『いらない子だ』と思っていた僕が、『彗星のごとく現れた天才ヴァイオリニストだ』などとマスコミに騒がれていると知って、困惑しているのだろう……。
(まぁいっか、そっちの方が話が早いし……)
僕は靴をそろえ、家族たちの待つリビングへと向かう。
――コンクールで優勝したことを報告する。自分の価値を認めさせる。家族として対等に扱うと約束させる。
今まで押し殺してきた自分の気持ちを、みんなに伝えるんだ……。
僕は強い決意をもって半開きになっていたリビングのドアを開けた。
「……ただいま――あれ?」
ドアの向こう、50畳の広さを持つリビングには、義母と兄たちだけでなく父さんの姿まであった。
みんな青ざめた顔でソファに向かい合っている。
……めずらしいな、こんな時間に父さんが家にいるなんて?
財閥の当主であり会社経営者でもある父さんは、いつも深夜まで外出していて、帰宅するのは決まって日付が変わってからだ。
そんな父さんが家にいるということは、ひょっとして『文秋』の方から父さんにも連絡があったのかもしれないな……。
などと考えていると、いきなり父さんが机の上にあった紙をクシャクシャに丸め、僕の顔めがけて投げつけてきた。
「――貴様、どのツラ下げて帰ってきた! 鹿苑寺家の恥さらしめっ!」
僕ははじき飛ばされたように尻餅をつく。……紙切れが顔に当たったからではなく、父さんの怒鳴り声に気圧されて、だ。
(……えっ、なんで怒鳴られたんだろう?)
困惑しながら床に転がった紙切れを拾って見ると、それは数枚のFAXだった。
一枚目にはこう書かれていた――
鹿苑寺コンツェルン総裁 鹿苑寺雅様
突然のご連絡、申し訳ありません。
ご子息 恚さんと、タレント和紗羽衣さんの
交際について質問をお送りさせて頂きます。
つきましては、内容をご確認いただき、
7日15時までにご回答を頂ければ幸甚です。
「週刊文秋」編集部
それはあろうことか、『文秋』から父さん宛ての質問状だった……。
「恚さんと羽衣さんの交際をご存知ですか?」とか、「鹿苑寺コンツェルンの総裁として、ご子息の熱愛スキャンダルをどのようにお考えですか?」などといった、いやらしい質問ばかりが箇条書きにされていた……。
しかもご丁寧に、僕が羽衣さんのマンションから出てくる姿を撮った写真まで添付されている……。
(う、嘘だろ……っ!? い、いつの間に……っ!?)
さっきスズキとかいう記者が言っていた"当て取材"って、つまりそういうことか……。
愕然としていると、父さんがふたたび叫んだ。
「――この家に貴様の居場所などないっ! いいからさっさと出て行け!」
僕は首根っこを掴まれ、着の身着のまま、路上に放り出されてしまったのだった……。
こうして僕はまた、「いらない子」に逆戻りしてしまった――。
◇
「やっぱり僕は……いらない子なんだ……どこにも居場所はないんだ……」
深夜の河川敷を徘徊しながら、僕は心身ともに限界を迎えている。
おまけに小一時間ほど前から雨が降り始め、捨て猫みたいにずぶ濡れだ。
雨宿りをしようにも行く当てがないしなぁ……。
財布はほとんど空だし……。
持っているのはスマホとヴァイオリンケースのみ……。
『文秋』に撮られてしまったから、もう二度と彼女――いや、羽衣さんの家へは行けないし、連絡したところで別れ話が待っているだけだ。
それどころか下手したら、向こうのプロダクションから「損害賠償請求」とかで訴えられるかもな……。
何せ大事な所属タレントを傷物にしてしまったわけだから……。
「これからどうしよう……。どうすればいいんだ……」
家名に泥を塗ってしまった以上、もう鹿苑寺家には戻れないし、さりとて他に頼れる親戚もいないし、相談できる友達もいない。
この上、『文秋』の発売日を迎えたら、記事を読んだ日本中の人々が僕をバッシングするようになるんだろうな……。
「――アイツ、和紗羽衣に手を出したクソ野郎だ!」
って。
学校へ行っても、どこへ行っても、白い目で見られたり後ろ指をさされたりするんだろうな……。
……詰んでる。
……完璧に詰んでる。
もはや鹿苑寺家どころか、この国のどこにも居場所はない……。
『いらない子もここに極まれり』といった感じだ。
「やっぱり……死のうかな……」
僕は足を止める。
雨に打たれながら、底なし沼のような漆黒の川面に目をやる。
飛び込んだら死ねるかな……? 死ねるよな、だって僕、泳げないし……。
そんなことを思いながら、足元をスマホのライトで照らそうと、ポケットに手を入れた。――指先に何かが触れた。
「……ん? なんだこの紙?」
二つ折りにされたメモ用紙みたいな。暗くてよく見えない。
反対の手でスマホを取り出し、ライトで照らしてみると、……ああ。
「ありすさんの連絡先だ……。初めてコンクールに出た時の……」
学生コンクールの結果発表後に、ありすさんから連絡先を渡されたんだ。
そういえばあの時、「友達になってあげる」とか言われてたんだっけ……。
結局、あの後一回も連絡していないな。
今さら電話したら、変に思われるだろうか……?
そんなことを思いながら、僕は「溺れる者は藁をもつかむ」の心境で、つい電話マークのアイコンをタップしてしまった。
長い長い呼び出し音。
やっぱり出ないか、もう深夜0時過ぎだもんなぁ……。
諦めかけていたその時、スマホの向こうから「チッ」と舌打ちが聞こえてきた。
(――こんな時間に電話してくるなんて、一体どこの恥知らずよ!?)
紛れもなく、ありすさんの声だ。
やっぱり寝てたのかな、起こしてしまったんだろうか?
「夜分遅くにすみません……鹿苑寺です……。あの、以前コンクールで、ご一緒させていただ――」
(――きゃあっ!?)
僕が言い終わらないうちに、電話の向こうから悲鳴が聞こえてきて、僕は思わずのけぞってしまった。
……なんだよ、きゃあっ、って?
ていうか、(あわわ……どうしよう……あわわ……!)とかいうよくわからない声が聞こえてくるのは、マイクやスピーカーの不調だろうか?
(――あの占い本当だったのね……『織田裕二のモノマネしたら好きな人から連絡がくる』って……。あれから三ヶ月間、アタシ毎日織田裕二のモノマネしてたんだから……っ!)
……また意味不明なノイズが聞こえてきた。
やっぱり端末の不具合かな? 一回切った方がいいかも?
「……すいません、またかけ直しま――」
(――あっ、ダメ! まだ切っちゃイヤ! もっと声を聞かせて……じゃなくて、えーっと……ア、アタシが、と、特別に、話し相手になってやるわよ! 特別なんだからねっ!)
「はぁ……?」
あいかわらずよくわからない人だなぁ……と思いながら、僕は自分が置かれている状況を説明した。
家を追い出されたこと。行く当てがないこと。これからどうしようか悩んでいること。
すると、ありすさんは言う。
(――運命だわ……やっぱりアタシたち……結ばれる運命なのよっ!)
「む、結ばれる……とは?」
(――あっ、いやっ、ちがっ、ゴ、ゴホンッ!)
また電話の向こうからよくわからないノイズと、それを打ち消す咳払いが聞こえてきた。
それから、ありすさんは続けた。
(――アンタのヴァイオリンを聞いた瞬間から、とっくに気づいてたわ! アタシたちは似た者同士だって! アタシたちに、この国は、狭すぎるのよっ!)
「狭すぎる……とは?」
(――ヴァイオリンの才能の話よ! 『もうすぐグレフェンの王立音楽学園へ留学する』って言わなかったかしら? 来週には向こうへ旅立つの!)
「あぁ……そういえば――」
確かに、そんなこと言ってたような気もするな。
あの時は緊張していて、それどころじゃなかったけど……。
(――二人のヴァイオリンの天才が出会って、共に世界へ旅立つ……なんて、運命的だと思わない?)
「……共に?」
(――だ、だからっ! ア、アンタ、行く当てがなくて困ってるんでしょっ!?)
「は、はい……」
(――ア、アタシと、い、一緒に! グ、グレフェンへ、きっ、来なさいよっ! つ、連れてってやるわよ!)
「……はい!?」
(――い、一緒に、りゅ、留学してやるって、いっ、言ってんの! と、特別にねっ!)
……えっと、意味がわからないんですけどっ!?
留学も何も、僕、試験すら受けてないですし、それに――。
(――ストラウク先生は名誉教授なのよ、王立音楽学園の! 先生の推薦状があれば、顔パスで入学できるんだって! 『クラシックの世界は金とコネで決まる』って、前にも教えてあげたでしょ!)
「顔パスって……それってつまり、裏口じゃ!?」
(――行く当てのないアンタは海外に自分の居場所をゲットする! アタシは好きな人……じゃなくてっ、ア、アンタを連れていくことで、さ、寂しい思いをしなくて済むしっ! これこそまさに、Win-Winじゃないっ!)
「Win-Winって……」
(――アンタ、パスポートは持ってるの? ビザは? 健康診断書は?)
「いえ、何も持ってません……」
(――あーもうっ! じゃあ大急ぎで準備しなさいよ! 来週には出発だからねっ!?)
「えっ、いやっ、ちょっ……!?」
……こうして、いらない子同然の僕だけど、異国へヴァイオリン留学することになりました。
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