第9話 いらない子、二度目のコンクールでも無双。さらに彼女とキス
シベリウス作曲――ヴァイオリン協奏曲ニ短調・作品47。
「極寒の空を滑空する鷲」に喩えられたとかいうその主題を奏でると、会場はなんだかスタジオジ〇リの世界に迷い込んだような空気に包まれた。
まぁシベリウスがどこの誰かも知らない僕にとっては、中世ヨーロッパを舞台にしたRPGの曲みたいだな、などという薄っぺらい感想しか思い浮かばなかったけど……。
僕はステージ上でヴァイオリンを弾きながら思い出している。
前回生まれて初めて参加した『学生音楽コンクール』からはや三ヶ月、ちょっとだけ自信を深めた僕は、国内最高峰のコンクールである『全日本ヴァイオリンコンクール本選会』のステージにいた。
前回よりもずっと大きなコンサート会場、それもオーケストラをバックにした演奏というだけあって、本番前は吐き気と腹痛が止まらなかったけど、今は不思議と落ち着いている。
弓を動かしながら、指揮者のオジサンの髪型をガン見する余裕すらあるくらいだ。
……あの分け目、めちゃくちゃ不自然だけど……やっぱりカツラなのかな?
などと余計なことが頭をよぎる。
まぁそれもこれも、この一ヶ月足らずのうちに行われた三度の予選会をクリアしてきたんだ、という自負心によるものかもしれない。
前回のコンクール終了後にASが限界突破した僕のステータスはこんな感じになっていた。
名前:鹿苑寺恚(♪演奏中:Sibelius / The Violin Concerto in D minor, Op. 47)
レベル:1
TS:140000
AS:140000
MP:8164
スキル:≪自動成長≫≪らくらくヴァイオリン≫≪悪魔と契約≫≪神童≫≪ドンファン・リサイタル≫≪天穹のスタッカート・ヴォラン≫≪永劫のスル・ポンティチェロ≫≪無限のコル・レーニョ≫……他
称号:≪ヴァイオリンの神≫
【天穹のスタッカート・ヴォラン】……大地を覆う天空のごとき飛躍弓。TSとASが10000上昇。
【永劫のスル・ポンティチェロ】……果てしなく長い年月のごとき駒上奏法。TSとASが10000上昇。
【無限のコル・レーニョ】……木の棹によって打ち鳴らされる限界なき響き。TSとASが10000上昇。
【ヴァイオリンの神】……人間を超越し、万物を支配する絶対的な力をもったヴァイオリニストに与えられる称号。TS/ASがそれぞれ100000以上必要。
……こんな感じで、とりあえず【ヴァイオリンの王】から【ヴァイオリンの神】に上がりました。はい。
えっと、スキルに関してはもはや何がなんだかさっぱりわからないけど、限界突破スキルを手に入れてステータスが伸び続けていることは確かだ。貯まる一方のMPは、二週間くらい前にTSとASにほとんど振ったはずだけど、もう8000以上も貯まっていた……。
……おやっ?
『――スキル【輪廻のダブルストップ】を獲得しました。スキル【シベリウス◎】を獲得しました。』
【輪廻のダブルストップ】……魂が廻転するがごとき永続的な重音。TSとASが8000上昇。
【シベリウス◎】……シベリウスの楽曲を演奏時にASが33%上昇する。
……演奏中にも関わらず、またスキルを覚えてしまった。
まぁ、最近は気にしなくなってきたけどさ……。
そんな風に≪らくらくヴァイオリン≫によってフルオートで演奏を続ける僕が、まだ冒頭の主題も弾き切らないうちに、半透明のウインドウには例のあの通知が出現した。
――『OVERKILL』!!!!
そう、オーバーキル判定。
右手の弓の向こう側に視線を移すと、
【
レベル:63
TS防御度:0/6500
AS防御度:0/6700
【
レベル:38
TS防御度:0/1500
AS防御度:0/2200
まだ始まったばっかりなんだけどなぁ……?
そんな感じで主題が展開して徐々に曲は盛り上がり、静と動のコントラストを鮮やかに演出し、ついにはカデンツァからのアルペジオを過ぎて第1楽章のフィナーレ――協奏曲のラストをド派手に締めくくると、客席から嵐のような拍手と黄色い歓声が巻き起こった。
鳴り止まないスタンディングオベーション。
キャーキャーという女性の悲鳴。
……それから数時間後、ホールに貼り出された審査結果にはこう書かれていた。
第101回全日本ヴァイオリンコンクール本選会・結果
第1位 鹿苑寺恚
そう、僕は国内最高峰のコンクールでも優勝してしまったのだ……。
15歳での優勝は、過去最年少とのことだった……。
◇
でもまぁ、本当の意味での"本番"はコンクール終了後に待ち受けていた。
コンクールが終わると僕はその足で、芸能人が多く住む都内の某高級マンションへと向かう。
タクシーから降りた僕を出迎えてくれたのは、もちろんGカップの美女――。
「恚、優勝おめでとう♡」
そう、羽衣さん――いや、羽衣だ。
「あ、ありがとうございますっ」
「あ~、また敬語使ったぁ! タメ語で話すって約束したのにぃ!」
「あっ、ごめんなさ――ごめん……」
僕は慌てて言い直す。
交際を初めて三ヶ月、羽衣さん――いや、羽衣の家で逢瀬を重ねるのは今日でもう三回目。
"逢瀬"なんて言うと古臭く聞こえるかもしれないけど、事実なんだから仕方がない。
「先生」・「羽衣さん」と呼び合うよくわからない関係から一転、「恚」・「羽衣」と下の名前で呼び合う関係になった僕たちは、人目を忍んで会う必要に迫られた。
人気アイドルと"彼氏"が外で堂々と会っていたらどうなるか、なんて言うまでもない。
そんなわけで僕と羽衣さん――いや、羽衣のデートは、もっぱら彼女の家で行われていた。
始めのうちは「女性の部屋に上がる」というだけでガチガチに緊張していた僕だけど、さすがに三回目ということもあって慣れてきた……ような気もする。
「おじゃましまーす」
ホテルライクな内廊下と玄関を抜けて部屋へ上がると、テーブルにはまるでパーティーみたいに豪華な料理がいっぱい並んでいる。
「これ、どうしたの?」
「えへへ♡ ちょっとつくりすぎちゃったかなぁ? お祝いにね!」
聞くと彼女は、僕のコンクール優勝を見越してわざわざ数日前から手料理などの準備をしてくれていたらしい。
忙しいのに僕なんかのために……と感動すると同時に、もしここまでしてもらって優勝を逃していたら……と想像するとゾッとした。
だが、彼女は笑う。
「だって恚は日本一の……ううん、世界一の……いいえ、宇宙一のヴァイオリニストなんだから、勝つに決まってるじゃん?」
そう言って悪戯っぽく微笑む彼女に、僕は苦笑するしかなかった。
◇
豪華な手料理に舌鼓を打った僕と羽衣さん――いや羽衣は、ソファに移動してまったりとした時間を過ごす。
並んでテレビを見ながら、彼女は僕の肩に頭を乗せて、体をぎゅっと密着させてきた。
絹のようになめらかな長い髪からは甘い香りが、そして生活感のある部屋着からは柔らかな胸の感触が、僕の煩悩をかき乱しまくり……。
顔はテレビの方を向いているけれど、頭の中では、
(幸せだなぁ……。僕のことを好きになってくれる人がいるなんて……。芸能人の彼女なんて……)
などと惚けたことばかり考えてしまう。
この三、四ヶ月の間に自分の身に起こった劇的な変化が、いまだに夢のようだ。
だけど、これは現実だ。
これは紛れもなく、僕の人生にリアタイで起こっている出来事なのだ。
あの時、僕にヴァイオリンの才能を与えてくれた女神様には感謝してもしきれないな……。
「頭のおかしいコスプレイヤーだ」なんて疑ってごめんなさい……。
そんなことを考えていると、ふいに彼女が言った。
「あっ、そういえばまだご褒美あげてなかったよね?」
「ご褒美? ああ――」
前回のデートの時に、「次のコンクールで優勝したらご褒美をあげるね」と言われていたことを思い出す。
「――君の隣にいるだけでご褒美だよ。しかも、あんなに美味しい手料理までつくってくれてさ……」
「目、閉じて?」
僕が言い終わらないうちに、彼女の手がそっと僕の両目を塞いだ。
そして次の瞬間、甘い匂いと体温が鼻腔をくすぐって――。
……チュッ。
柔らかい何かが僕の唇を吸い、静かな吐息を洩らし、舌先を這っていった。
……チュッ、チュッ。
永遠とも思える長い長い時間。唇を覆っていたものが遠ざかると、僕は堪らずに目を開いた。
そこにはうっすらと唇を濡らした彼女が、赤らんだ顔で上目遣いに僕を見つめていた。
「……キス、しちゃった♡」
これが僕のファーストキスだったことは言うまでもない。
◇
幸せな時間は瞬く間に過ぎ去ってしまった。
……もう9時か、そろそろ帰らなきゃ。
僕が泣く泣く帰り支度を始めると、彼女が耳元で囁いた。
「――お泊まりしてもいいよ?」
……お泊まりっ!?
思わずドキッとしてしまう。さっきキスをして、次にお泊まりとくれば……などと、イヤらしい妄想が頭をよぎる。
いや、でもごめん、無理だ。
「僕、まだ高校生だし……」
僕がそう言うと、彼女は不思議そうな顔をする。
「高校生だって、お泊まりくらい普通でしょ?」
まぁそうなんだけど……。
僕は家庭環境が……。
言いかけた時、ふと気づいた。
(そっか、鹿苑寺家のことはまだ話してないんだったな……)
これまで自分の置かれた境遇について誰かに打ち明けたことはなかったけど、つい僕は口にしてしまった。
「僕、家族から嫌われてるんだ。いらない子だからさ」
「……いらない子?」
「普通の家なら許されることでも、僕は許されない。いらない子なんだ――」
――自分が財閥の当主である父と、愛人との間に生まれた非嫡出子であること。
五歳の時に愛人だった母が亡くなり、正式に鹿苑寺家の三男として引き取られたこと。
だが正妻である義母や、腹違いの兄たちからのイジメに遭い、今日まで苦しんできたことなどを、つい洩らしてしまった。
「だからごめん、お泊まりとかは無理なんだ。大人しくしてないと、何をされるかわからないし……」
「……そうなんだ。それは大変だね。でも、恚は誤解してるよ?」
と彼女は言った。
「……誤解?」
僕はヴァイオリンケースを肩にかけながら目を丸くする。
「恚は、いらない子なんかじゃないよ、天才ヴァイオリニストだよ? そのことをご家族はどう思ってるの?」
どう思ってるの、と聞かれても、家族にはまだヴァイオリンのことは言っていないしなぁ。
どうせ言ったところで嫌がらせをされるのは目に見えているから、家では弾かないようにしていた。
当然、僕がコンクールで優勝していることなんて、義母や兄たちの耳には届いていないだろうし。
だがそう言うと、彼女は僕を叱るように言った。
「どうして才能を隠す必要があるの? そうやって自分を卑下するから、ご家族は恚に冷たく当たるんじゃないの? 恚の本当の価値を知らないから」
家族は僕の本当の価値を知らない……?
そんなことを言われたのは初めてだ。
幼い頃から勉強も運動も何も出来なかった僕は、他人に誇れるような才能など何一つ持たない無能だった。
だから暴言や暴力を浴びせられても、「いらない子だ」などと罵られても、受け入れるしかないのだと思ってきた。
だけどそうか――僕はもう、「あの頃の僕」じゃないんだ……。
ヴァイオリンの才能を授かったんだ……。全日本ヴァイオリンコンクールで優勝したんだ……。
そう思った途端、なんだか視界が開けたような気がした。
「大事なのは自分の価値を相手に認めさせることだよ。芸能界でもそう、黙ってちゃダメなの。お義母さんやお兄さんにちゃんと伝えるのよ、『今まで黙ってたけど僕は天才ヴァイオリニストなんだ』って。『全日本ヴァイオリンコンクールで優勝したんだ』って。『だから、いらない子じゃない。家族としてちゃんと扱ってくれ』って」
自分の価値を義母や兄たちに認めさせる――
彼女のマンションを出た僕は、家に帰る道すがら、ずっとその言葉を胸に反芻していた。
……そうだ。もうビクビクする必要はないんだ。黙っている必要もないんだ。ちゃんと伝えよう――。
――僕のヴァイオリンを聴いてくれ。
――僕の才能を、僕の価値を理解してくれ。
――僕を家族として対等に扱ってくれ、と。
ついに、義母や兄たちに立ち向かう時が来たのだった……。
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