第8話 いらない子、初めてのコンクールで無双する③

「ぐすっ……ひくっ……」


 羽衣さんは肩を震わせていた。

 両手で顔を覆っているからよく見えないけど、泣いているのは多分間違いない。


 女の子と付き合ったことのない僕だって、さすがにそれぐらいの判断はつく。

 だから周囲の咎めるような視線に、僕はすっかり困惑してしまった。


「ど、どうしたんですか……?」


 ただでさえ人の多い休日の駅前。ましてや今はコンクール終わりの参加者やその保護者、そして観客たちがまだ残っている時間だから、余計に人目につく。


 そんな衆目を前に、ベンチで泣いている女性と困惑するジャージ姿の男――なんて、控えめに言ってもモラハラDV男にしか見えないとは思う。


 だけどこれだけは言わせてほしい。僕は何も言ってないし何もやってない、なんで泣いてるのかわからないんだ本当に。

 僕は賞状と盾とヴァイオリンを両手に抱えたまま、唇を噛んだ。


「――結果発表が終わったら、エントランスで待ち合わせしましょう」


 僕の記憶が確かなら今朝、駅で待ち合わせして一緒に会場へ向かう途中、羽衣さんとそう約束した。


 そして結果発表が終わり、優勝というありえない結果を持ってホールを出た僕は、早速エントランスで羽衣さんの姿を探した。

 ところが彼女の姿は見当たらなかった。

 メールを送っても反応は無し。


(……先に帰っちゃったのかな?)


 ガッカリしながら会場を出て、他の参加者や保護者達に握手やサインをねだられつつ、駅の近くまで来たところで、ようやく駅前のベンチにその姿を見つけたのだ。


 見つけた時には、羽衣さんはすでにこの状態だった。

 ベンチに腰かけ、俯き、嗚咽を漏らしていた。


(……どうして泣いてるんだろう?)


 経験豊富な男性なら、ひょっとしたら想いを汲むことが出来るのかもしれないけど、残念ながらそこは童貞。


 なんで泣いているのかもわからないし、どう声をかければいいのかもわからない。

 頭の中を駆け巡るのは、


(……何かしたっけ? 何か傷つけるようなこと言ったかな?)


 などというネガティブな自問自答ばかり。

 ヴァイオリンの先生と弟子、とかいうよくわからない関係になっているけど、そもそも人気芸能人と素人だ。


 会ったのは今日でまだ二回目。

 多忙を極める羽衣さんとはこの一ヶ月間にたった一度だけ、それもリモートで、調弦と肩当ての調整を一緒にやったけど、もちろん「教えた」などと呼べるものではない。


 まぁこっちも初心者なのだから当然だ。もっとも羽衣さんは僕が女神様からスキルを授かったことなど知らないから、正真正銘の天才ヴァイオリニストだと思っているようだけど……。


 つまりようするに、お互い、相手のことなんて何も知らないのだ。

 どうして泣いているか? なんて想像がつく筈もなかった。

 

 泣きじゃくるGカップグラビアアイドルと、うろたえる僕。

 そんな感じでしばらく膠着状態が続いた後、ようやく羽衣さんが顔を上げてくれた。


 必死に涙を堪えようと歯を食いしばり、上目遣いで見上げてくる気丈な眼差しに、僕は胸を撃ち抜かれてしまう。

 ……カワイイ。


「せ、先生……、ゆ、優勝……、お、おめで……とうごじゃいまっ……ひぐっ」


 だが、羽衣さんはまた泣き出してしまった……。

 一体どうしたんだろう?


 もしかして僕の演奏を聴いて感動してくれたのかな?

 そう思って訊ねると、


「そ、それもありましゅけど……むぐっ、ち……違いま……しゅっ……んぐっ」


 羽衣さんは首を横に振る。

 そして言った。


「せ、先生が……と、遠くに……い、行っちゃうような気がして……ひぐっ……か、悲しいんです……うぇぐっ」

「僕が? 遠くに?」


 ……どういう意味だろうか?


「わ、私……先生に……う、嘘ついたんですっ……!」

「嘘?」

「ほ、ホントは……ぃぐっ……コンクールで入賞したいなんて……ぇぐっ……嘘なんです。仕事に……活かしたいなんて……んぐっ……嘘なんです!」


 突然の言葉に、僕は返事をすることが出来なかった。

 だけど羽衣さんは続けた。


「あ、あの日……ぅぐっ……たまたま、趣味でヴァイオリンを始めようと思って……ふぐっ……そうしたら、先生に出会って……んぐっ」

「――出会って?」

「それで……ぇぐっ……隣で、先生の『24のカプリース』を聴いて……ふぇぐっ……す、好きになっちゃったんです!」

「……はい?」


 今なんて言いましたっ!?

 "好き"って言いましたっ!?

 ――ふぇぬあらヴォぅふっ!?!?


「せ、先生の……んぐっ……ヴァ、ヴァイオリンを……っぐっ……ずっと、隣で聴いていたかったんです……。で、弟子に……ひぐっ……な、なれたら……ずっと近くにいさせてもらえるかと思って……ぇぐっ……嘘をついたんです! だけど……ダメですよね……ぇぐっ……先生を独り占めしたいだなんて……むぐっ」


 独り占め!?

 ……独り占めとはっ!?


「み、みんなに……ふぇぐっ……キャーキャー言われてる、先生を、見てたら……ぅぐっ……なんだか、胸が、苦しくなっちゃって……ひぃぐっ」


 羽衣さんはそう言うとGカップのバストを押さえ、苦しそうに言った。


「だ、誰にも……渡したくないだなんて……ぅぐっ……先生を、独り占めしたいだなんて……ぇぐっ……ワ、ワガママですよね!?」

「独り占めとはっ!?(二回目)」

「先生……いぐっ……私と………………」


 羽衣さんは言いながらじっと僕を見つめ、そして、静かにこう続けた。


「……付き合ってくれませんか?」

「ヒェェェッ」



 この感動的な告白のシーンに、轢かれたカエルみたいな悲鳴を漏らしてしまったことは僕の不徳の致すところと言うよりほかない。

 僕は驚きすぎて、思わず賞状と盾を取り落としてしまったほどだった……。


「ぼ、僕で……いいんですかっ?」

「せ、先生じゃなきゃ……ふぇぐっ……ダメなんです!」


 そう言って抱きついてきたGカップグラビアアイドル――和紗羽衣さん。

 僕がGカップの海に溺れながら、「は、はいっ……」と消え入るような声で返事をしたことは言うまでもない。


 こうして僕は賞状と盾と初めての女友達だけでなく、『人生初彼女』まで手に入れてしまったらしかった――。


 ……ヴァイオリン、スゴすぎぃっっっ!?

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