第3話 初心者なのにパガニーニを弾きこなした結果

「はいー、そうしたらー、弓毛をぴんと張ったらー、今度は松脂を塗っていきましょう」


 先生の指示に従い、僕は松脂を弓毛に往復させる。

 ……あっ、つけすぎちゃったかな?


 ここは音楽教室。駅前の某有名楽器メーカーが主宰するヤツだ。

 平日夜の無料体験レッスンということもあり、参加者は僕以外みんな社会人ぽかった。


 隣で松脂を往復させているのはマスク姿のお姉さんだ。

 横目で観察する。……良い匂いがする。目がぱっちりとして芸能人みたいだ。


 僕がこの体験レッスンを知ったのは昨夜のこと。たまたまネットで見つけたのだ。

 別にあのコスプレイヤーの話を真に受けたわけじゃないけど……。

 ちょっとでも期待した僕がバカだった……。


「そうしたらー、今度はチューニングをしまーす。糸巻きを回してくださーい」


 糸巻き? 糸巻きってどれだ?

 ……あぁ、これか。

 生まれて初めてヴァイオリンに触るのだから当然だけど、わからないことだらけだ。


(こんなの弾けるわけないよ……)


 ……やっぱり来るんじゃなかったと思った。

 一昨日、学校帰りにあの奇妙なレイヤーさんと出会い、僕の視界には半透明のウインドウが見えるようになった。今も見えている。

 あのあと家に帰って、お風呂上がりにウインドウを表示してみると、



『――スキル【ボーイングLv.1】を獲得しました。スキル【ボーイングLv.2】を獲得しました。スキル【ボーイングLv.3】を獲得しました。スキル【ボーイングLv.4】を獲得しました。スキル【ボーイングLv.5】を獲得しました。スキル【ボーイングLv.6】を獲得しました。称号【アマチュアヴァイオリニスト】を獲得しました』



 わけのわからないメッセージがずらずら出てきた。

 

「……なんだよこれ? 説明してくれなきゃわかんないよ?」


 困惑していると、今度は説明画面が出てきた。



【ボーイング】……弓を弦に当てて上げ下げし音を出すスキル。スキルLvに応じてTSとASが上昇。


【アマチュアヴァイオリニスト】……一定の経験を積んで脱初心者を果たしたヴァイオリニストに与えられる称号。TS/ASがそれぞれ100以上必要。



 僕はこのとき気づいた。わざわざ口に出さなくても"思う"だけで画面を表示したり切り替えたり出来るらしい。


「にしても、脱初心者? TSとASがそれぞれ100以上? ……あれ? 僕のステータスはオール1だったはずだけど……?」


 ステータスを確認すると、いつの間にかこうなっていた。



 名前:鹿苑寺恚

 レベル:1

 TS:101

 AS:101

 MP:350

 スキル:≪自動成長≫≪ボーイングLv.6≫

 称号:≪アマチュアヴァイオリニスト≫



 勝手に成長していた……。

 どうやらスキル【ボーイングLv.6】でTS……Technical ScoreとAS……Artistic Scoreがそれぞれ100ずつ加算され、技術力と表現力が100を突破した=初心者ヴァイオリニストからアマチュアヴァイオリニストに称号が上がった……ってことらしい。


 あいかわらずレベル1のままなのにレベルアップしないともらえないはずのMP……Music Pointが増えてるし。

 これはやっぱり≪自動成長≫とかいうヤツが怪しいな?



【自動成長】……何もしなくても勝手にMPが貯まり、フルオートでスキルを習得する。



「やっぱりな。だからだ。でも、レベルアップとMPってどういう相関関係にあるんだろう?」



【レベルアップとMPについて】……レッスンや演奏会などで経験値を積むことでレベルアップします。1レベルアップするごとに10MPを獲得できます。獲得したMPを使いTS/ASを上げたりスキルを習得したりすることができます。より多くの経験を積んで一流のヴァイオリニストを目指しましょう。


【限界突破について】……TS/ASは一定の値に達するとカンストし、これを『奏者の限界』と呼びます。『奏者の限界』を超えてTS/ASを上げるためには限界突破系の特殊スキルが必要です。


【楽器による補正について】……楽器にもステータスがあります。使用するヴァイオリンによってTS/ASが変動したり、スキルを覚えたりします。またマイナス効果を持つ物もあります。



「なるほどなぁ……。つまり僕は【自動成長】がパッシブ状態で発動してるから、レベルアップまでのプロセスがすっ飛ばされてるんだ。レッスンもしていないのにヴァイオリンが上手くなるって、そんなことあるはずないもんなぁ……」


 渋々納得しながら、その日は寝た。

 そして翌朝起きてみると、



『――スキル【アルペジオLv.1】を獲得しました。スキル【速いパッセージLv.1】を獲得しました。スキル【ポジションチェンジLv.1】を獲得しました。スキル【ビブラートLv.1】を獲得しました。スキル【トリルLv.1】を獲得しました。スキル【重音Lv.1】を獲得しました。スキル【アルペジオLv.2】を獲得しました。スキル【速いパッセージLv.2】を獲得しました。スキル【ポジションチェンジLv.2】を獲得しました。スキル【ビブラートLv.2】を獲得しました。スキル【トリルLv.2】を獲得しました。スキル【重音Lv.2】を獲得しました。……以下略』



 名前:鹿苑寺恚

 レベル:1

 TS:701

 AS:501

 MP:1550

 スキル:≪自動成長≫≪ボーイングLv.6≫≪アルペジオLv.6≫≪速いパッセージLv.6≫≪ポジションチェンジLv.6≫≪ビブラートLv.6≫≪トリルLv.6≫≪重音Lv.6≫

 称号:≪セミプロヴァイオリニスト≫



 よくわからないことになっていた……。



【アルペジオ】……分散和音を生み出すスキル。スキルLvに応じてTSとASが上昇。


【速いパッセージ】……速弾きに対応するスキル。スキルLvに応じてTSが上昇。


【ポジションチェンジ】……左手指の位置を変化させるスキル。スキルLvに応じてTSが上昇。


【ビブラート】……音の震えを生み出すスキル。スキルLvに応じてTSとASが上昇。


【トリル】……二つの音を行き来するスキル。スキルLvに応じてTSとASが上昇。


【重音】……和音を弾きこなすスキル。スキルLvに応じてTSとASが上昇。


【セミプロヴァイオリニスト】……プロには至らないがアマチュア脱却を果たしつつあるヴァイオリニストに与えられる称号。TS/ASがそれぞれ500以上必要。



「いやいやいや、ヴァイオリン弾いたことないのにセミプロって!?」


 デタラメすぎて笑ってしまった。ただ、こんなの見せられたら試したくなるのが人情ってものではないか?


 ――もしかしたら僕、ヴァイオリン弾けるようになってるかも……?

 そんな夢みたいなことを思っていた時、たまたま見つけたのがこの無料体験レッスンだったのだ。


 まぁでも、実際にヴァイオリンを手にした瞬間、わかったよね。

(あ、やっぱり弾けない)って……。

 僕がガッカリしている間にも、先生は淡々と説明を続けている。


「4本の弦はー、高い方から順にEエー線、Aアー線、Dデー線、Gゲー線と言いまーす。みなさんも知ってる有名な曲で、バッハの『Gゲー線上のアリア』っていうのがあると思いますけど。あれはこの一番太いGゲー線だけで演奏できるアリアっていう意味ですねー」


 そうなんだ……。普通に"ジー"線上のアリアだと思ってた……。ん?



『――スキル【バッハ◎】を獲得しました』


【バッハ◎】……バッハの楽曲を演奏時にASが33%上昇する。



 ……えっと。なんで先生が「バッハ」って口にしただけで僕がスキルを覚えるんだ? これも≪自動成長≫の効果なのかな? 

 ……ますますデタラメだと知って、だんだん腹が立ってきた。


「肩当てを左肩に乗せまーす、次にヴァイオリンが落ちないように顎で挟みまーす、右手の指はキツネさんでーす。そうしたらまずはAアー線を弾いてみましょう、弦に対して弓を垂直に動かしてくださーい」


 先生の指示通りにやろうとするが、初めてのヴァイオリンに違和感しかない。あのレイヤーさんめ……何が【ヴァイオリンのスキル】だよ……。


 内心、体が勝手に動いて自由自在に弾ける……みたいなのを期待する気持ちもなくはなかったのに。

 まぁちょっとでも期待した僕がバカだったけどさ……ん?



『――スキル【ボーイングLv.7】を獲得しました。スキル【ボーイングLv.8】を獲得しました。スキル【らくらくヴァイオリン】を獲得しました』


【らくらくヴァイオリン】……演奏をフルオートに設定できる。



 ……もういいって。

 ていうか思考を読まれてるみたいで怖くなってきたな……。


「今日は体験レッスンなのでー、いずれはこんな難しい曲も弾けるようになるっていうのをお見せしたいと思いまーす。先程配った譜面を見てくださーい」


 ……何が書いてあるのかサッパリわからない。"ピザ"とか書いてある気がするけど……ん?



『――スキル【譜読み◎】を獲得しました。スキル【音楽言語理解】を獲得しました。』


【譜読み◎】……楽譜に書かれている音符やリズムを瞬時に読み解く。


【音楽言語理解】……音楽に関するあらゆる言語や専門用語を使いこなす。



 なんだそれ……あれ? さっきの"ピザ"はよく見たら『pizz.』、つまり『pizzicato』の略だ。頭に『+』がついてるのは『左手のピッツィカート』だな……うんうん。


 ……うん?

 なんで楽譜を読めないはずの僕が、書いてあることがわかるんだろう?


「この曲はパガニーニの『24のカプリース・24番』ですねー。パガニーニは史上最も上手いとされている伝説のヴァイオリニストで、あまりに上手すぎて『悪魔と契約した』なんて言われて、教会に埋葬を断られたというエピソードもあります」


 パガニーニ……ん?



『――スキル【パガニーニ◎】を獲得しました。スキル【悪魔と契約】を獲得しました。スキル【悪魔のアルペジオ】を獲得しました。スキル【悪魔の重音】を獲得しました。スキル【悪魔のピッツィカート】を獲得しました。称号【プロヴァイオリニスト】を獲得しました』


【パガニーニ◎】……パガニーニの楽曲を演奏時にTSが66%上昇する。


【悪魔と契約】……悪魔と契約することで『奏者の限界』を超えてTSを伸ばすことができる。限界突破スキル。


【悪魔のアルペジオ】……悪魔との契約者しか弾きこなせない分散和音。TSが2000上昇。


【悪魔の重音】……悪魔との契約者しか弾きこなせない和音。TSとASが1000上昇。


【悪魔のピッツィカート】……悪魔との契約者しか弾きこなせないピッツィカート。TSが5000上昇。


【プロヴァイオリニスト】……ヴァイオリンで生計を立てられるだけの能力を持ったヴァイオリニストに与えられる称号。TS/ASがそれぞれ1000以上必要。



 おいおい……なんかステータスが大変なことになってきたぞ……?



 名前:鹿苑寺恚

 レベル:1

 TS:8901

 AS:1701

 MP:3662

 スキル:≪自動成長≫≪らくらくヴァイオリン≫≪悪魔と契約≫≪悪魔のアルペジオ≫≪悪魔の重音≫≪悪魔のピッツィカート≫≪ボーイングLv.8≫……他

 称号:≪プロヴァイオリニスト≫



 プロって……。

 うんざりしかけていた、その時だった。突然譜面台に置いた楽譜の上に、「『Caprice No. 24 in A minor』をオート演奏しますか? はい・いいえ」という表示が出た。


 僕はわけがわからずに、「……はい?」と疑問形で言ったつもりだったけど、次の瞬間、おかしなことが起こった。


 ……ん? 体が勝手に……?

 そう、僕の体はまるで操り人形みたいに動き出し……。


『――トゥットゥティロロロロ~、ティロロロロ~、ティロロロロ~。♪ トゥットゥティロロロロ~、ティロロロロ~、ティロロロロ~。♪』


 弓を動かし、弦の上で躍動させ、左手で弦を押さえ、そしてはじき……。


『――トゥットゥティロロロロ~、ティロロロロ~、ティロロロロ~。♪ トゥットゥティロロロロ~、ティロロロロ~、ティロロロロ~。♪』


 あろうことか僕は、『24のカプリース・24番』を完璧に弾きこなしていたのだった……。あれ? 弾いてね? 僕、ヴァイオリン弾いてね!?

 ――うぐへぇぇぇっ!?!?


「やばい!」「えぐい!」「すごい!」「神!」


 隣で参加者たちが騒いでいる。

 ただ、僕がヴァイオリンを弾き終わると、明らかに教室には変な空気が漂っていた。


「あの、キミ――」


 と先生が睨んできた。


「――初心者向けの体験レッスンって意味わかるよね?」

「は、はい……」

「なんで応募してきたの?」

「えっ?」

「なんでここにいるの? いちゃダメでしょ? 言ってることわかるよね?」


 なんでか知らないが、説教が始まってしまった。


「初心者とか未経験者のためのレッスンだよね? わかるよね?」

「いや、あの僕、初心者なんですけど……?」

「なわけないでしょ!」


 先生は嫌な笑い方をする。

 ……あぁ、なんでいつもこうなるんだ、僕は。


「プロ級じゃん! 誰だか知らないけど、コンクールも出てるでしょ! 冷やかしはお断りなのっ!」


 結局、僕はみんなの前で罵倒され、泣きそうになりながらヴァイオリン教室を後にしたのだった……。

 はぁ……。



 おかしいなぁ……?

 でも、確かに弾いたよなぁ……?

 さっきのあれは何だったんだろう? と首を傾げながら、駅の階段を上っていく……。

 ……と。


「――あ、あの!」


 ふいに背後から呼び止められ、振り返ると、そこに立っていたのは――

 さっきレッスン中、僕の隣に座っていたお姉さんだった。


「は、はい……?」

「あの、よかったらお茶でもしませんか?」

「え……っ?」


 ……お茶?

 女性に話しかけられるだけでも珍しいのに、急にそう言われて頭が真っ白になってしまった。


「ここじゃちょっとアレなんで……あの私――」


 言いながらお姉さんがマスクを少しずらすと、途端にどこかで見たことのある顔になった。

 ん? ……この人は……確か……。


「私、一応タレントやってるんで……。立ち話もあれなんで、ちょっとどこかお店……入りませんか?」


 そう、彼女はよくテレビで見かける……

 Gカップグラビアアイドルの、和紗かずさ羽衣ういさんだったのだ……。

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