聖職者 5

 ――なんだこれは、この景色は……?


 男の視界には、あの夜の光景が広がっていた。それは遠く離れた場所にある旅館の一室のようだ。八畳ほどの和室に、小さな座卓が置いてありその上には瓶ビールの瓶が数本。そしてコップが二つ置いてある。


 ――や、やめてくれ……。こんなことは思い出したくない……っ!


 男がいくらそう思っても目の前の景色は男が思い出したくない記憶をそのままに映し出している。


 ――ぁあぁあぁ。本当に申し訳ないことをした! そう思ってるんだ! ずっとその罪を抱えて私は生きてきてると思ってたんだ!


 男の眼にはあの女生徒、当時中学生だったレイコとやらが、まるで家族旅行にでもきたかのように浴衣を着て無防備に布団で寝ている。その着ている浴衣は寝ている間にはだけてしまい、白い太腿が露わに見え、身体を少し捻っている若い女の胸元もそのふくよかな影を覗かせているようだ。


 ――もうやめてくれ! こんなことは思い出したくもない! もう今すぐ夢なら覚めてくれ!


 男はそう思っているようだが、その身体は男の意思とは違い、勝手に手や足や身体の奥底の感情が動き出している。男はそっとその若い女の浴衣の裾に手をかけ、そして、太腿にかかる浴衣をそっとつまみ上げ、その根本に顔を近づけるのだった。


 ――もう、もうやめてくれ! もう、もうなんでそんなことをしてしまったんだと俺自身も……俺自身も思ってるんだ! もう、もう夢なら覚めてくれ! こんなことはもう奥底にしまって忘れてしまいたいのに……うっ……


 男の思いとは裏腹に、記憶の中の男の身体は動いてゆく。そして若い女のはだけた浴衣の太ももの根本に顔を近づける。


 ――やめろ、やめろ……っ! もう、もうやめてくれ……


 と、その瞬間若い女が何か気配を感じたようだ。それは自分に近づく男の気配を感じたのだろうか、身体を少し動かし、そしてはっと目を覚まして浴衣の裾を手にとって身体を硬らせる。


 「先生? なんでっ……! 何をしているんですか…‥?」


 若い女がそういうと、記憶の中の男の右腕が動き、その腕は若い女の右手を強く掴む。そして男の意思とは反対に口を開き、その若い女の右手を自分の方へと強引に引っ張り押さえきれなくなった自らの熱い塊に触れさせるのだった。


 「やめてください! なんでこんなことするんですか!」


 若い女が言うが、記憶の中の男はその若い女に向かって、


 「じゃぁなんでここまでついてきたんだ? 一緒の部屋で寝るってことはそう言うことだろ!」


 と怒鳴るのだった。


 ――もう、もうやめてくれ! もう本当に夢なら覚めてくれ! もう思い出したくないんだ! 苦しいんだ! 早く、早く覚めてくれ……!


 若い女は手を振り解き、布団から飛び出て部屋の隅に蹲り、記憶の中の男に向かって泣きながら何かを言っている。


 「先生…‥? そんなつもりで私を誘ったんですか……? 先生だけが誰もわかってくれない私の事を唯一理解してくれていると私は思っていましたっ! でも、でも先生は、何にもわかってくれてなかった! こんな! ……こんな事をするなんて! 先生を、先生だけを信じていたのに……う…うううぅ…私に本物の演劇を見せてあげたいって嘘だったんですか……うぅぅ……」


 若い女はその場で蹲り泣き崩れていく。その場にいる男もはたと我に返ったかのように動かないでいる。そんな二人を部屋の明かりは寒々と照らしているかのようだ。


 ――なんでこんな事をしたんだ……? 私は……。なんで、なんで……。私は中学生の頃とは違い成人してもなお、女優になりたいと言う彼女の夢を応援していただけだったはずだ……。でもいつの頃からか、東京で一人暮らしのこの子に、レイコに送ってやる野菜の中にお金を入れてやるようになり……。その対価をもらってしかるべきだとなぜか思ってしまったんだ……。私が勝手にし始めた事なのに……。そして、彼女が眠れない悪夢を見ていた理由を知っていたのに、そんな自分が同じ事をしてしまった……


 男はその場で立ちすくし、蹲る若い女を見下ろす。もう先程の熱情は覚めてしまい、硬さを失っているようだ。


 「先生を信じていたのに……。誰も信じてくれなかった悪夢を見て、怖くて寝れないから、だから朝起きられないって言うのを信じてくれたのは、先生だけだと思って……先生のこと信じていたのに……」


 ――本当にそうだ……。その心の叫びを受け取って、あの時それが児童相談所にも届くようにと演劇部便りに書いてプリントして配ったのは誰でもない自分なのに……。それなのに、私はなぜこんな事を……あぁ……


 男が胸を抑え胸の奥から湧き上がる苦しみを、その痛みをぎゅっと感覚がなくなるほど握りしめた拳で目を瞑りながら自分の胸を叩いたその時、男はまた自分の部屋に戻ってきたのであった。




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