聖職者 2

 カランコロン


 ――やはり骨董屋……。でも、なんだか思ってたよりも、少し……?


 「いらっしゃいまし、あら、これは、お坊さま、もしやお勤めのお帰りにお立ち寄りで?」


 女店主が奥のカウンターから声をかけた。少し年老いた男は、急にかけられた声に一瞬身体を強張らせたかのように見えたが、すぐに冷静になり、


 「あぁ、たまたまですね、このお店を見つけたもので、それで、少し中を見せていただこうと思いまして……。よろしいですか?」


 と、女店主に店の入り口から声をかけた。女店主は、珍しくふふふと優しく微笑みながら、


 「えぇ、ぜひ、覗いてやっておくんなまし。どうぞ、ごゆっくり」


 とだけ言って、また飴色に鈍く光る一枚板のカウンター中で、何やら書き物仕事を始めた。男は、その女店主の、静かな接客の振る舞いがかえって良かったのか、自分のペースでゆっくりと店内を見始めたのだった。


 ――この骨董屋は……なんだか……普通と違う? なぜそんなことを思うのかは、わからないけれど……なんだか、胸が苦しい気がする……どこか昔に感じた懐かしいような……


 男はそう言いながら、店内にある、心を寄せて丁寧に磨かれた古い品々をゆっくりと見ていく。そして、ゆっくりと進み、窓際にある古い机の前でふと、足を止めた。


 ――これは、戯曲集……? めずらしいな。戯曲集なんて、古本屋でもあまり見ないというのに……


 男はどうやら、このよろず屋うろん堂の片隅に置かれた、古い西洋アンティークの書斎机の積んである、古い戯曲集の山が気になったようだ。その戯曲集は日本語のものもあれば、外国語のものもあり、机に置かれたキノコのような形をしたガラス工芸のスタンドライトが、その存在を怪しく照らしている。


 ――懐かしい。


 男はそう思うと、女店主に静かに尋ねた。


 「あの、こちら、手にとってみても、よろしいですか?」


 女店主は、カウンターの奥にちょうど行こうとしていたようだが、少し年老いた男の方を向き、静かに微笑みながら、


 「ええ、どうぞ。良ければ、そちらにある椅子にでもお座りになって、ごゆっくりご覧くださいましね」


 とだけ言い、足音も立てずにふっと、店の奥へと消えていった。男は女店主に言われたように、書斎机と対になっているだろう椅子に腰をかけ、その椅子の背もたれに、鞄をかけた。そして、ゆっくりとその本を読み始める。


 ――戯曲か……。懐かしい。もうだいぶ昔のことだ。あのことがあるまでは……。若い学生に演劇を教えていた頃によく読んだものだ……。


 男は丁寧に古い戯曲集をひらっひらっと眺めていく。そして、ふと思い出したかのように、もう一度目次のページに戻った。そして、何か懐かしいものでも探しているかのように、指でそっと、その目次のページを撫でていく。


 ――これは、有名な作家さんが書いた戯曲集、懐かしいなぁ。これをやったこともある。……これは、鶴の恩返しを戯曲にしたものか、これもやったな、そしてこれは、そうか、もうだいぶ前になるか、沖縄のひめゆりの塔を題材にした戯曲だ。確かこれでも台本を書いた……懐かしい、懐かしい思い出だ……。


 そう思いながら、しばらくその本を読み、ぱたんと一冊目の本を閉じて、テーブルスタンドのすぐ側に置き、次の本を読もうと、先ほどの本の山に手を伸ばした。が、ふと先程閉じておいた本に目をやり、何かを見つける。


 ――え?


 先ほど閉じて机の上においた本の隙間から、一枚の紙が少しだけ出ている。小さな三角のそれは、少しだけ灰色がかった薄い黄土色で、暖かなガラス工芸のライトの光が、ざらりとした質感であることを伝えている。


 ――藁半紙……? もしかして前に使っていた人のメモかなんかだろうか?


 そう思った男は、もう一度、その本をそっと手に取り、そのメモらしき紙が挟まっているところを指で辿り、ゆっくりと机の上で開いた。


 ――なぜ、気づかなかったんだろう。何かが挟まっていることくらい、すぐにでもわかりそうなものなのに……


 男は、二つ折りになって挟まっている、その懐かしい手触りの紙をゆっくりと本から抜き取り、破れないように気をつけながら、静かに開いてみる。


 「え!?」


 男は急いでそのメモのようだと思って開いた紙を閉じ、自分の発した声にびっくりでもしたかのように、肩を竦めて動揺しながら、カウンターを見た。だが、女店主はまだ店の奥にいるようで、その姿がないことに安堵する。ほっと胸を撫で下ろし、もう一度ゆっくりとその紙を広げようとした、その時、


 「お客様? 如何されましたか?」


 いつの間に立っていたのか、背後から女店主の声が聞こえ、男はすぐさまその紙を胸元に隠した。


 「あぁ、あ、い、いえ、ちょっとこの戯曲集に興味がありまして……」


 急いで男が女店主の方を向きそう答えると、女店主は男に微笑みかけながら、


 「もし、ご興味がおありでしたら、どうぞ、お持ち帰りいただいても結構でございますよ」


 と男に言った。男は、苦しくなる胸を手で押さえながら、


 「おいくらですか? この本は?」


 と聞くが、女店主は、


 「こちらの本は、まだ如何程か決めかねているものでございまして、すぐにはお答えできないのですが、もしよろしければ、一度お持ち帰りいただいて、本当にご興味があれば、それからのご購入ということでも構いませんが?」


 と答えた。男は、一瞬訝しげに女店主を見上げ、迷ったような顔をしたが、何か思うことがあるのか、


 「では、一日だけお借りしてもよろしいでしょうか、大変懐かしい本でして」


 と言い、この古い戯曲集を持ち帰ることにしたのだった。




 

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