聖職者 1

 その男は、まだ店先にあかりの灯る商店街を、ただ何となく歩いていた。仕事の帰りなのだろうか、黒い着物のようなものを着ている。そして、白い足袋に草履を履いて、肩には、所々はげている黒い合皮でできた、鞄を下げている。


 「ご住職、今日はその格好を見ると、お仕事のお帰りですかぁ?」


 肉屋の初老の女が、顔見知りでもあるかのように、店先より男に声をかけた。


 「あぁ、山田さん、こんばんわ。今日は田中花店さんで法事だったんですよ」


 男の職業はどうやら寺の住職らしい。今日は、この商店街の中にある店舗兼住居の花屋でどうやら一仕事してきたようだ。


 「まぁ、そうなんですね、確かにあそこはもうすぐ三回忌でしたわねぇ。そうそう、ご住職。来月はうちも、よろしくお願いしますね」


 男が、そうですね、はいどうも、というような顔をして、手で挨拶をしたのをみてから、肉屋の初老の女は、忙しそうに店の奥へと消えていった。


 男はまた、商店街を歩きながら、洋品店や、文房具店などの店主に親しみ深く声をかけられては、それに愛想よく応え、商店街の入り口から出た道の先にある、自分の車が停めてある駐車場まで向かうようだ。


 私は少しだけこの男に興味を持った。寺の住職というものは、自分の寺の檀家を持っていて、その檀家に不幸があった時などはお経をあげるために出かけていくらしい。ということは、様々な家庭の内情をよく知っているであろうと思ったからだ。そうか、この男についていけば、何か新しい獲物が見つかるかもしれない。


 だが、それよりもまず、この男は、はたして良い聖職者なのか。それを先に知りたいと思った私は、この男をあのよろず屋に向かわせてみようと思った。そう、あの、よろず屋うろん堂へ。


 男が商店街を通り抜け、駐車場のある道の向こうへ向かい、地下道に入りかける手前で、私は男の草履を少しだけつまみ上げ、男を地面に転がした。


 ―― ……? て、点字ブロックにでも草履をひっかけたかな。 ……俺も歳をとったもんだ。こんなことで転んで、それが原因で入院なんて、よく聞く話じゃないか。


 私は周りを気にしながら、よいしょっと起き上がる男の鞄の中から、追い討ちをかけるように数珠を取り出し、そっと、男が今いる位置から、商店街の方に少し戻った、薄暗い隅へとその数珠を投げた。


 ――え? なんで……鞄から数珠が……?


 男は不思議そうに、床についた部分を手ではたきながら、訝しげに、その数珠を取りに、少し商店街の方へと戻る。


 ――おかしいな……? 鞄の奥に入れてあったはずなんだが……


 そう思いながら、数珠の手前で腰を曲げて、その数珠を拾う。そして、腰を戻しながらゆっくりと顔をあげた時、今まで見たことがない薄暗い細い路地が見えた。


 ――え ……? こんなところに、細い路地があったかな……?


 本当は無いはずの薄暗い細い路地に、不思議そうな顔をして、


 ――この辺りは、もう何十年も来ているところだし、そんな私の知らないこんな路地がまだあっただなんて……。そこには檀家さんがいないからなのか? ……しかし不思議だ。こんなところに……。なぜ、今まで気づかなかったのか……


そう思いながら、ゆっくりとした足取りで、不思議そうに辺りを見渡しながら、その路地を進み、仄暗い中に、ほんのりあかりの灯るよろず屋を見つけた。


 ――こんなところに店? みたところ、骨董品屋のようだけど……。


 よろず屋の前に来た男は、ゆっくりと、ちらちらと蝋燭の光が漏れるかのようなあやかしい店内を、外から観察して、


 ――まだやってるなら、少しだけ、覗いてみようか、骨董品は嫌いではないし……


 と、よろず屋うろん堂の、味わいある木枠に、すこし歪んだガラスが入っている扉の取手を握り、がちゃりと音をたてながら、そっと押したのだった。

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