パチンコ店の男 6

 カランコロン


 ――結局来ちまった。またここに……。金もねぇのに、黙って持っていりゃぁいいだけなのに……。


 「いらっしゃいまし。あら、まぁ。昨日のお客様でございますわね。なんだか今日は昨日よりも、さっぱりとしたおいでたちで」


 「あ、あぁ。……はい?」


 ――さっぱりとした? どう言う意味だ。昨日と変わんねぇような格好だけど……


 「さぁ、どうぞ、奥までお入りくださいな」


 若い男は、少し顔を横に背け、女店主を見ることなく、大事そうに銀色のアタッシュケースを胸に抱えて、店の奥のカウンターまで進み始めた。少し不思議そうな顔をして。


 ――あれ? この店……。本当に昨日の店か……? なんだか昨日よりも綺麗で、置いてあるものも、誰かが手入れしてきたちゃんとした骨董品のように見える……?


 男は昨日の薄汚いリサイクルショップが、どうしてこんなにも味わい深く、綺麗な骨董品店になったんだろうと、不思議そうに首をひねりながら、そして、ゆっくりと店内を見渡しながら、奥まで進む。


 ――本当に昨日の店なのか?……いや、でも、確かにあのおばさん……。え? おばさんも、なんか、昨日は気づかなかったけど、めちゃくちゃ綺麗な人じゃないか……?え?お、俺、頭がおかしくなっちまったのか?


 男は狐にでもつままれてしまったかのような顔をして、女店主のいるカウンターの前までやってきた。男の目の前には、昨日のものがぐちゃぐちゃ乗ったカウンターではなく、長い時間が染み込みできあがった、飴色の美しい一枚板のカウンターがあった。それもまた不思議そうにしている男に、女店主は、微笑みながら、こう言った。


 「お客様? 大丈夫でございますか? なんだか、狐にでもつままれたかのような顔をしておいででございますが?」


 ――昨日は、気づかなかった……だけなのか? 変な気分だ。でも、ちゃんとこのおばさんに言わなくちゃいけねぇ。これを俺がどうしたいのかを……。でも、なんて?


 「お客様?」


 「あ、あぁ、はい。あ、あの、昨日持って帰ったこれなんすけど……」


 男はそう言って、丁寧に飴色のカウンターの上にそのアタッシュケースを置いた。そして、しばし、口を閉ざした。女店主は、ちらりと、そのアタッシュケースに目をやったが、男が口を開かないのを察し、その時が来るまで待とうとでも思ったのか、カウンターの奥で何やら書き物仕事を始めた。


 ――なんて言えばいいんだ。俺、昨日あんなひどいことこの人にしちまって……。でも、このアタッシュケースを開けて、昨日の出来事があって……。俺、大事なことを思い出しちまったってぇのに……金がねぇ……。でも……


 古い柱時計が時を刻む音を聞きながら、男はそんなことを一人考え、どうしたものかと悩んでいた。ただカウンターの前に立って、その銀色のアタッシュケースを見つめている。


 どれくらいの時間が立っただろうか。男は一向に口を開きはしないが、女店主はこのカウンターの向こうに立っている男に声をかける気がないようだ。男が自らの言葉で話すのを待っているのだろう。全く、よくできた女だ。


 ――何やってもダメだし、腐れ縁のあいつに邪魔されて、やっとやりたいことが見つかりかけてたのに、それもやめちまって。……でも。でもそれは、あいつのせいなのか……? 佳子のせい……? 辞めるって決めて、いや、決めたんじゃない、めんどくさいって気持ちに流されて……。それで、せっかく俺のことを気にかけて、この包丁セットまでくれた良雄さんの気持ちを踏みにじって、無断で休んで、そのまま気まずくなって、店にも、良雄さんにも挨拶することなく……。それは、佳子が店に来て、そうなったんじゃない。結局は、俺が……。俺がそうしちまったんだ。俺と同じ中卒でも、あんなに誰かのために何かしたいって頑張ってる良雄さんが、せっかく俺を、こんな俺を誘ってくれたのに……!


 男はやっと、今までの自分の人生は、誰かのせいではなく、自分の行動によってここにたどり着いているということに気づいたようだ。中卒であることも、仕事をすぐにやめてしまうことも、自分を大切にしてくれた人を裏切ることも、腐れ縁の女を、いつまでも切り離して考えられないことも、そして、今もなお、自分は何者にもなれず、やさぐれている事も。それは全部自分の選んできたことなのだと、誰のせいでもないのだと、やっと気づいたのだった。


 ――俺は、誰かのせいにして、愚痴を吐き、生きてきた。でも、それは誰かのせいじゃない。俺が、俺自身がやってきたことだったんだ……


 さぁ、もうそろそろ頃合いか。私は深い闇の中よりすぅっと男の背後に立ち、長居舌を出して待ちわびる。その瞬間を。


 ――俺は……。俺はまだやり直せるかもしれない!自分にもっと向き合って、あの頃のように、良雄さんと一緒に仕事してた時のように、また、戻れるかもしれない! そうだ。まずは謝りに行けばいいんだ。そして、そして今の俺をありのまま見せて、また、一緒にやらせてくださいって、お願いしに行けば!きっと! 良雄さんならわかってくれるはずだ!


 「あ、あの! あの俺! 俺、こ、この包丁セット! 」


 さぁ、いい顔だ。若い希望というエネルギーが、まるで引きたての一番出汁のように、美しく黄金に輝いている。一瞬、そう、出汁を引いた一瞬の時だけの、まさに極上の香り、旨味、美しさ。


 私は長い舌をベロンと出して、男のこれからの未来を生きようとしている希望を食べた。あぁ。思った通りのふくよかな香り。良きかな。


 「あの、あの! 俺! お金、今ないんですけど! 絶対いつか返しますんで! これ、これ! 俺に売ってください!」


 女店主は顔を上げ、若い男を見て、珍しく優しく微笑みながら、


 「さようでございますか。でも、ただいま、十分にお代は頂戴いたしましたので、そのままお持ち帰りいただきまして、結構でございますよ」


 と言った。


 本日の腕物。じっくりと時間をかけて昆布で出汁をとり、削ったばかりの鰹節で引き出した、甘美。乾いて保存されたものが命を吹き返す、まさに極上の贅沢な味わいを、本日もご馳走様でした。


 さて、次は、何をいただこうか。


 


 

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