来談者 泣く女

 「先生、聞いていらっしゃいますか?」


 ――もちろんですよ入山いりやまさん。続けてください。


 「それでですね、私は出会った時はお見合いでしたけれども、でも、それでも、とても紳士的で素敵な方だと思ったんです。何より、男らしさを感じたというか、何かしてやるぞという気概を感じたんです。お見合いだったかもしれないですけれど、結婚して、子供も娘を二人授かって、それで、夫も協力的というか、でも、そうですね、仕事が忙しくて、協力してもできないというか、私も専業主婦でしたので、それは私の役割だからと、やってくれようとする夫に子育ても家事もそれは私の仕事ですからっていって、夫を仕事に集中できるようにしてあげたかったんですよ。今思えば、私ももっと夫に頼ればよかったかもしれないのですけれども。でも、それがいつの間にか当たり前になって、お前は専業主婦だから家にいて自分のすることだけちゃんとすればいいんだと私に言うようになってしまったのです。その頃、夫が任されていた海外事業所の業績が悪化していたのももちろんあると思いますが、もっと私に辛く当たるようになりました。いつか母の教場を継いでいいといっていたのに、それさえも許してくれなくなりました。夜は遅いし、お酒の匂いがします。昔のような気概も感じられません。私はいい妻を演じ続けていますが、もう耐えることができないくらい追い詰められています。もうこんな生活は嫌なんです! ――先生、聞いてますか?」


 ――もちろんですよ入山さん。続けてください。


 「私はもう、気が狂いそうなくらいまできています。少しづつあの人の食べるもの、飲むものに気づかれないように毒でももってやろうかと思うことさえあるのです。一番上の娘は大学に行くために家を出ました!七つ下の娘は反抗期で私にも夫にも無関心です。夢だった母の教場も継げません!家から出てはいけないような気がしてくるのです!もう!頭がおかしくなりそうです!でも、いい妻を、物分かりの良い妻を演じ続けています!もう、私が私でなくなるのです!

――先生、聞いてますか!」


 ――もちろんですよ入山さん。続けてください。そして、もっと感情的に今のように涙を流しながら話していいんですよ。それこそが浄化ですから。


 女は黙った。空気の流れがとまった。でも、きっとこれでいい。今は見守るべきだ。


 「先生、ちょっとしばらく、落ちつく時間をいただいてもいいですか?」


 ――もちろんですよ入山さん。その涙を拭いて、呼吸を整えて、私はいつまでも待ちますから。


 「はい、ありがとうございます」


 女は感情のままハンカチに顔を押し付け、声を殺しながらわんわんと泣き、そして、それをしばらくしたのち、はぁはぁと呼吸を落ち着き始めた。


 ――さぁ、だいぶ落ち着いてきましたね。では、その続きを聴きましょうか。話していただけますか?


 「はい。先生。ありがとうございます。今までため込んでいたもの、今までもここでこうして聞いてもらっていたのに。全部思い出してしまって、感情が抑えきれなくなってしまいました。本当にごめんなさい」


 ――大丈夫ですよ入山さん。いい兆候です。さ、お話を続けてください。


 「はい。そんな私だったのですが、先日夫がいつもとは違う様子で私に言ったのです――」


 入山さんは旦那さんが何を言ったのかを話してくれた。僕は、それはとてもいいですね。良かったじゃないですかと伝え、この日のセッションを終えた。

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