美しい帯 5

 カランコロン


 「あら、いらっしゃいませ。昨日のお美しいお客様。お茶会はいかがでございましたか? もうお洋服にお着替えと言うことは、滞りなく終わったということでしょうか」


 女は昨日よりもずいぶん早い時間にこのよろず屋うろん堂へやって来た。

 胸に大事そうに帯を包んだ紫の風呂敷を抱えて。


 「いかがでしたか? その帯は? みなさまびっくりされましたか?」


 「あ、あの、はい、いや、いいえ、あの、この帯は、今日は使いませんでした」


 「あらそうでしたか? それはそれは、お気に入りになられなかったのですか?」


 「違うんです。そうではなくて、あの、昨日この帯をお着物と合わせて鏡で見ていたら、あの、なんか、とても不思議な体験をしたのです」


 ―― いいぞいいぞ、いい顔をしている。思った通りだ。


 「ほぅ、不思議な体験をされたんですね」


 「はい、あの、あの実はわたし、結婚する前からこの地元でお茶を習っていて、それで、あの、結婚して一度は別のところに住んでいたんですけども、でも数年前に離婚して、それでこの町に子供たちとまたかえって来たのです」


 「あらまぁ、それは大変なことでしたね」


 ―― 思った以上の収穫かもしれないと私は思い、女の話を闇に潜みながら聴く。


 「あの、はい、それは大変だったのですが、でも、そんな話じゃなくて、その時、もう今は亡くなってしまった私のお茶の先生が、私を自宅に呼んでお茶を点ててくれたんです」


 ―― おお。さらに深い味わい来たり。もっと、もっと、引き出せ引き出せ。


 「そうでしたか、それはそれは、忘れがたい思い出ですね」


 「その時も、いいえ、いつも、先生は何も私から聞き出そうとはしませんでした。ただ、静かにお茶室でお茶を点ててくれて、そして、優しく微笑んでくれるのです。あなたの好きに、あなたのままにやってみたらいいじゃない、と、言ってくれているように、いつもそのお茶室には、先生のお気持ちがこもったお道具がしつらえられていて、それで……」


 ―― 女店主はカウンターの中で帳面に何やら書き始めている。さすができる女だ。


 「あの、それで、思い出したんです。大切な事を。先生の教えてくれた大切な何かは、私に受け継がれて、私の中にもあるんだって事を。そのために、人生の迷いの中にいる私に先生はいつもお茶を通して語りかけてくれていたんだって事を!」


―― 女は涙を流し始めた。もう最高の出来ではないか。早く、早く、もう頃あいだ。


 「だから本日のお茶会は、先生に、もう会う事のできない大先生にいただいた帯で行きました。先輩のお茶会のお手伝いには、それが一番ふさわしいと思ったからです。その帯を見た先輩方も、大先生を思い、大先生の話をして、一緒に涙を流しました」


 「では、その帯はもうお返しいただくと言う事でようございますね?」


 ―― うまい具合にひねりを入れてくる。まるで花びら餅の牛蒡のようではないか。私はそう思いながら待ち構える。その時を。もうそれはすぐそこだ。


 「いいえ、違うのです。この帯を私に譲っていただきたいのです!」


 「それはなぜゆえに?」


 「今日、先輩方と大先生のお話をしていた時に、この帯にそっくりな帯をした大先生のお写真を見せてもらったのです。大先生は、その帯のことをこう言っていたそうです。この帯のように、うちなる光を表に出す事なく、自分の世界で味わう粋な人生を送りたいって」


 ―― 女店主は興味のないようなふりをして、何やら手元で作業をしている。私はもうすでにそれをいただく準備が整っている。さぁ、もう後少し。


 「実はこの帯、巻いてみると、美しい昇竜の刺繍が尻尾の部分しか表に出ず、残りの姿は隠れてしまうのです。先生はいつもいつも、自分の中にある自分が自分に思う美しさや素晴らしさを自画自賛する事なく、謙虚に感謝を持って生きなさいと教えてくれていました。 だから、 あの、 これ、 これ! 私に売ってもらえませんか!」


 ―― さぁあ、今だ! 私は女の後ろで潜んでいた闇より赤く長い舌をベロンと出して、女から今まさに湧き上がった尊い思い出という名の蜜をまとった蔑みの心を喰らう。なんと美味。柔らかく、甘い。口の中ですぐに溶けて行ってしまうではないか。


 「さようでございますか。それはそれは大変ありがとうございます。それはとても高価なもので、あなた様にはもしかしたら合わないものかと少し心配しておりましたが、お代はただいま充分にいただいてしまったようでございますので、どうぞこのままお持ち帰りいただいて、どうぞ大切に使ってやっておくださいまし」



 ―― 本日の蜜をまとったほろ苦い極上の甘味、ご馳走様でございました。さて、次はどんなものを頂こうか。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る