ワイングラス 4
―― もしや毒でも入れたのか? それとも今日は飲みすぎたのか
男が台所に立つ妻の背中を見ながらそう思った時、ぐにゃりとした世界は、男の目の前の景色を変え、色濃く鮮明に男の目の前に現れた。
―― なんだこれは?
「たくまさん、今日もお疲れ様です。そんなに頑張って大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫だよ、もうすぐ子どもも生まれるし、今頑張らなくっていつ頑張るんだい?」
「それはそれでいいことだけれど、心配です。貴方に何かあったら」
「大丈夫大丈夫。俺はこの会社の息子だぜ。今ここでやってるってとこ見せなかったら、社員に2代目だから仕方ないって思われちゃうだろ」
「そうかもしれませんが」
「心配しなくっていいって。お前も仕事辞めて専業主婦なんだし、自分の身体のことと俺の良い妻でいることだけ考えてくれればいいんだから」
「はい……」
―― ん?これはいつの俺だ?
男が思うと同時にまた目の前がぐにゃりと動き、
―― これはいつの記憶だ?
男の前にまた違うものが見えた。
「俺は仕事してるんだ。お前は家でいったい毎日何をやってるんだ。人の苦労も知らないくせに、馬鹿なのか」
「すいません」
「俺が言う前になんでも俺が必要とするようなものを用意しといて当たり前だろ。どれだけ俺が忙しく深夜まで働いていると思ってるんだ。子どもの教育も俺に相談するようなことか? 全部お前に任しているのに! 馬鹿な女だな。妻としてやることはやれ」
そう言ったその男は自分がそう言いながらも、深夜まで仕事と言いながらしていることは接待という名の飲み歩くことだったり、俺は仕事してるのにと言う自分は、できる男だと社長の息子だと会社に俺様風を吹かせている姿を見た。
その男の妻は男のしていることを全部知りつつも、子どもたちを育てながら、理不尽な夫の要求を全て受け止め自宅で男を待っていた。子どもがお父さんなんで帰ってこないのと聞かれることに答える姿。思春期の心ない言葉に一人で耐える姿。それでもお父さんは家族を大事に思って、一番に思って頑張って働いているんですよと諭す姿。
「お帰りなさい。今日もお疲れ様でした」
男はその若き日の妻の献身的な生活を見て初めてわかった。
―― 俺は自分が社長の息子という事だけで、周りから見られて、それにいつか疲れ果て、俺自身もすごいやつだと思って虚勢を張らないと生きといけなかった俺をお前は知っていて、それでもなお、俺が頑張っているのだと理解していてくれたのか?
男がそう思いながら、もう一口残っている真紅のワインを飲んだ。
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