第571話


 中野監督が立ちながら、陸雄に話す。


「古川の父親はその時にプロ野球選手でな。同じくデッドボールの事故の後に調子を崩して、ファーム(二軍)に行った。その後で選手を引退して、今は焼き肉店の役員として働いている。中継ぎの多い一軍投手だったんだ」


 松渡が墓前の前で立ち上がる。

 中野監督が言葉続ける。


「だが、姉は―――助からなかった。病院に搬送されている途中で息を引き取った」


「そんな、そんな悲しい事って! いくらなんでも……残酷すぎる! 割り切ることなんて出来る訳が無いじゃないか!」


 陸雄が膝を付いて、涙を流す。

 肩を並べた松渡が陸雄を見て、悲しげな顔をする。

 中野監督が言葉を続ける。


「岸田―――デッドボール一つで一人の野球人生が終わるだけじゃない。死を招いて、周りが変わり果てることもあるんだ。取り返しのつかない人生を歩む人たちが存在する―――」


「俺の制球が悪ければ―――人が死ぬ」


 陸雄がそう言って、俯く。

 古川が陸雄を見て、話す。


「陸雄君―――私はお父さんに野球を、投手としての在り方を教わったの。でもね、お姉ちゃんが亡くなってからは、野球が怖くなった」


「…………」


 松渡もその話を聞く。

 陸雄が崩れそうになる中で―――古川の話が続く。


「一時期はボールが投げられなかったし、あの日に投げた投手を憎んだよ。でもね、そんなことしても戻って来ないんだ」


 中野監督が墓前で座り、両手を合わせる。

 古川が少し涙ぐみながら言葉を続ける。


「野球に夢中な真っ直ぐで大好きなお姉ちゃんは―――もう帰ってこない!」


 陸雄が唇を噛んで、握りこぶしを作る。

 声をやや荒げた古川が話を続ける。


「事故があった中学の夏―――。私は野球部を辞めて、泣いてばかりだった。お父さんは野球を続ける自分の姿を私にもう見せたくなくなって―――辞めてしまった」


(だから古川さんはデッドボールを―――こんなにも怖がるのか……今日の俺のデッドボールのせいで思い出させてしまったんだ……!)


 陸雄がそう思い、古川を真っ直ぐ見る。

 互いのその目の奥には涙への潤みがあった。


「受験で高校に入った頃には中学の時は違って、感情表現は乏しくなってしまったけど―――お姉ちゃんとの絆は野球だったから、高校一年の時に個人で投球練習してたよ」


 その言葉で松渡が納得する。


(道理であんなにすごい投球が出来るんだな~。お姉さんのデッドボールさえなければ女子野球で有名になれたのに悲劇だな~)


陸雄と松渡―――そして同じ投手である古川は話を続ける。


「いつまで泣いてもあの時間は帰ってこない。でも積み重ねてきた野球を最後に―――試合での事故の無いマネージャーとして二年間だけ勤めようと思ったの」


 中野監督が古川の言葉の続きを代わりに話す。


「古川は姉と同じで投手として天賦の才があった―――だがな、古川はそれでも考えて、今のマネージャーの道に進んでいる。投球は錦が治してくれたんだ。捕手役を買って出てな」


「錦先輩が捕手をしていた? 試合では?」


  陸雄が質問すると中野監督は首を横に振る。

 どうやら捕球練習だけでリード無しの壁役をしていたようだ。

 中野監督が話を再開する。


「古川がお前達に制球力を付けさせて、無理のない投球指導を今日までしてきたのは―――デッドボールの怖さを何よりも知っていたからだ」


「―――そういうこと、それでも投げられる? デッドボールを出さないって言いきれるなら―――私も今後は投球練習を続けるよ」


 古川マネージャーがそう言って、二人を見る。

 一人目の松渡が頷く。


「僕はデッドボールをしたことがないけど、軟式の小学校の頃に監督に口を酸っぱくしてデッドボールをするなって言われ続けてるから起こしませんよ~。この最後の夏で起こしてもそれも背負いこんでボールと一緒に真っ直ぐ投げて―――人生でも試合でも受け止め続けますよ~」


 古川が松渡から視線を陸雄に移動する。


「岸田君は―――?」


 古川マネージャーが問う。 

 陸雄が今までの練習と三岳の事故を思い出す。

 そして決心したかのように古川を真っ直ぐ見る。


「―――俺誓います。もう絶対に暴投しない。デッドボールも起こさない。こんな事を二度と起こさせない!」


 陸雄のその言葉には迷いがなかった。

 子供の頃から続けて、高校になっても積み重ねた野球―――。

 あの日―――球友と誓った夕日の出来事を思い出し、男は言葉を続ける。

 あの日のあの男の言葉―――甲子園のために―――。


「甲子園にみんなも相手も無事にして、絶対に行きます! お姉さんにも誓います」


 そう言って、陸雄で墓前で祈る。

 古川は黙って、その男の背中を見る。

 陸雄が立ち上がり、古川に振り向く。


「古川マネージャー。俺は絶対にあなたを甲子園に連れて行って、忘れられない高校野球の夏にします。それが俺達に出来ることだと思います」


「―――怪我だけしないなら、信じてみる」


 ちょっと涙を流した古川がハンカチに手を当てる。

 声はいつもの落ち着きを取り戻していた。

 感情表現に乏しくなった彼女にとっての落ち着きか?

 それとも元気だったあの頃を取り戻す落ち着きか―――?

 本人も含めて互いに解らないが、激情はそこには無くなっていた―――。

 中野監督が陸雄の肩に手を当てる。


「一球一球に全力と安全を配慮して投げろ。スポーツで人が死ぬことはある。投手としてそこを覚えなければお前達は真の投手にはなれない。それが解っていても―――だ」


「「はいっ!」」


 陸雄と松渡が元気な返事をする。

 古川が少し鳴き声になって、中野監督が手を握って連れて帰る。

 陸雄達もセミの鳴る夕日の中―――墓の並ぶ寺から出ていく。



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