第277話


「大森高校―――五番、セカンド―――岸田君―――」


 陸雄が右打席に立つ。

 捕手がサインを送る。


(先輩―――こいつにはパームボールは要りません。三球三振で行きましょう)


 真伊已が首を振る。


(わかった。パームボールはここから温存していこう)


 捕手がサインを送り、真伊已が頷く。

 陸雄が構える。


(さぁて、河川敷でのあの借りをこの打席で返すぜ! 舐められてたが―――今こそ俺がすごいって、打席で証明してやるぜ!)


 真伊已がセットポジションに入る。

 ベンチの駒島が大声を出す。


「バルーンボールが来るぞ! 気を付けろぉん!」


「メンソーレ! それを言うならパームボールサー!」


 大城が水をガブガブ飲みながら、突っ込む。

 ベンチの二人に周りは気にせずにマウンドを見る。

 パームボールはフォームで解ることが多いので、慣れるとある程度対策される。

 しかし―――。

 真伊已はパームボールを投げなかった。


「フォームからして、全然違うじゃねぇか長野のキモデブ……」


 灰田が呆れ声で半目になる。

 真伊已の指先からボールが離れる。

 外角高めにボールが飛んでいく。


「―――当たれ!」


 陸雄がスイングする。

 わずかに早いストレートにバットの軸上に当たる。

 カキンッという金属音と主にボールがライト方向に飛んでいく。

 ファール線をボールが越えて、観客席に入る。

 大森高校の学生が飛んでくるボールを避ける。


「うおっ! あぶねー……岸田。保健室にお前を担いだ俺に怪我させる気かよ! 恩を仇で返すなよー! 負けるようならこのボール貰うからなー?」


 ボールを避けた人物は同じクラスの保健委員の久米君だった。


「夏ライブ近いから、軽音部の楽器の手入れが終わったついでに来てやったのに―――心にイバラを持つ音楽少年に硬球を狙うなつーの!」


 久米君の歌唱力のある高い声にスタンドから笑い声が聞こえる。


「ううっ~、恥ずかしー……おっと! 切り替え切り替え!」


 陸雄がバットを構え直す。


「―――ご来場の皆様はファールボールにご注意ください」


 ウグイス嬢のアナウンスが流れる。

 球審から新しいボールを貰った捕手が送球する。

 真伊已がキャッチする。


(ファールといえど、ワンストライク……変化球はバランスよく使いこなしますか―――)


 真伊已が空を見上げて、一息つく。


(完全に俺のこと上の空でリラックスしてるな! ムカッとするが、打てば帳消しで借りは返せる)


 真伊已が捕手を見る。

 捕手がサインを送り、真伊已が頷く。

 真伊已がセットポジションに入る。


(パームボールのフォームじゃないな。セットポジションで同じフォームだけど、違いがあるし―――変化球か?)


 陸雄の考えが―――指先からボールが離れた瞬間に停止する。

 体が先に反応した。

 真ん中高めにボールが飛んでいく。

 ―――考えるよりも先にスイングする。

 打者手前でボールが右に曲がりながら落ちていく。


(早めのカーブを捉えた!)


 バットの軸にボールが当たる。

 陸雄が力を込めて、ボールを引っ張る。

 カキンッという金属音と共にボールが高く飛ぶ。


「―――何っ! 俺のカーブを……120キロの速度で投げたのに!」


 真伊已がボールの方向を見る。

 レフトが走っていた。

 陸雄がバットを捨てて、一塁に走る。


「頼む! ボールが落ちてくれ!」


 祈りながら一塁に走る。

 レフトがグローブを前に出して、横に飛ぶ。

 落ちるボールが僅かにグローブを掠める。

 そのまま地面にボールが落ちる。

 この瞬間―――フェアとなる。


「よっしゃ! このまま二塁に―――!」


 陸雄が一塁を蹴る。

 そのまま二塁に向かう。

 背中を向けたレフトがボールを素手で捕る。

 そして振り向きざまにテークバックする。


「やっべ! 戻ろう!」


 陸雄が一塁に振り返って、走る。

 レフトがファーストに送球する。

 陸雄がヘッドスライディングをする。

 ファーストが塁を踏まずに捕球する。

 陸雄にグローブでタッチする前に―――陸雄の左手が一塁に触れる。


「―――セーフ!」


 塁審が宣言する。


「あっぶねぇ~! 戻って正解だったわ……痛っ! まだ清香の物体エックスの痛みが来るとは」


 陸雄が左手で塁を触ったまま―――右手で腹をさすりながら起き上がる。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る