第93話
「どうしたんです? 顔が真っ青ですよ?」
振りかえった星川が心配そうに眺める。
言葉を失っている灰田に九衞が代わりに答える。
「気にすんな。チンピラ野郎は試合と練習で今頃になって、疲れが出てただけだ」
「そうなんですか。あっ、続き見ないと! 二人も見ましょうよ!」
そう言った星川が映画の映像に目を戻す。
灰田は少し肩が強張っていた。
「チンピラ野郎。錦先輩は今は味方だ。敵じゃあねぇよ」
「…………」
絶句した灰田を気遣ってか、九衞は言葉を続ける。
「俺と先輩なら今後も点は取っていける。錦先輩の凄さについてだが、松渡と紫崎にあの金髪は既に気づいているさ」
灰田の肩に乗せた手を離す。
「まっ、合宿の時に紫崎と星川に錦先輩のスイング理論はちょっことだけ説明してるけどな。星川も薄々気づいてはいるが、あの本塁打の本質と神髄は解っていない」
「そんな出来る奴なのになんでプロ行かねぇんだ? って! いてぇ!」
灰田が言い終わる前に二度目のゲンコツを喰らう。
激痛で必死に頭を摩る。
「奴って、なんだ? 錦先輩と呼べっと言ったろう?」
「~~~!」
灰田が言葉にならない言葉で九衞を睨みつけながら、涙目になる。
九衞が映画を見ながら、横顔で灰田の質問に答える。
「インタビューではああだったが、俺はあの人にプロに行って欲しいと思ってる。もちろん俺様もプロ野球界に行くのは当然だ。甲子園でも行かせりゃ気持ちも変わるだろう」
灰田が床に置いてあるオレンジジュースを飲む。
痛みがまだ残り、あまり味が感じられない。
「ったく、二度もゲンコツすんなよ……つーか、なんで今まで陸雄や坂崎や俺に黙ってた?」
精一杯の声で灰田は話す。
弱々しさから出るか細い声だった。
九衞が映画の方向に顔を向けて、答える。
「チェリーに言ったらお前以上にビビッて、士気が下がるからな。ああいうタイプは強打者と知ると、緊張して本来の実力が出せなくなる投手だ。坂崎は捕手の事で手一杯だ、余計な事は言えん。このことはあいつらには最後まで黙ってろよ。お前にだけは今日こうして聞かれたから、答えておこうと思ってな」
「改めて恐ろしい打者だと解ったよ―――味方で良かった」
「野球辞めたくなったか? 今年の夏の試合が終わって、退部届出して引き返しても良いんだぜ」
九衞の質問に灰田は黙る。
錦は来年は野球部にはいない。
灰田は陸雄の勧誘を思い出す。
「いや、続けるぜ。高校二年までは―――」
「そうか。だったら登板しても安心して気軽に投げろ。俺様達―――上位打者がお前の失点すらも返してくれる」
「あ、ああ……いでで!」
ふいに九衞が灰田の頬をつねる。
「ビビッて、次の日に錦先輩の調子を崩すことだけはするなよ。お前はある程度の強敵相手でも張り合おうとする気合いと根性だけはあるからな。これでやる気なくしたらチームの士気が下がるがな。解ったか?」
「わがったがら、はなひぇ! 離せよ! いてぇよ!」
灰田がつねっている九衞の腕に両手で掴む。
「打たれて勝てないからって、これから先の試合で他の打者相手にいじけるなよ? 錦先輩以上の打者なんて兵庫じゃいねーんだからな。いいな?」
両手で引きはがそうとするが、九衞はピクリともしない。
「いだいんだよ! やめろづーの! わがったがら!」
九衞がつねるのをやめる。
灰田が頬を摩る。
「チンピラ野郎。二回戦勝って期末テストも終わったら、今度近くのゲーセンでも行くか?」
「な、何だよ? 凡人だって言う同情ならいらねぇぞ」
「同情だぁ? 馬鹿。そんなんじゃねぇよ。ゲーセンの場所がお前のアパートと、居候先の俺様の家の中間地点にあんだよ」
「いてて……まだ頭と頬がヒリヒリする。あ、ああ。あのでっけえゲーセンだろ?」
「じゃれ合うのは好きじゃねぇが。それでも野球部に二年間いんなら仲良くしてやる。それにな―――」
「それに―――何だよ?」
「お前は錦先輩の次に強い俺様に頼ってれば良いんだから、遊んでる時は部活くらい忘れろ―――深刻な顔なんざ知性の無いチンピラ野郎には似合わんぞ」
「けっ! 言ってろ、強面野郎。錦先輩に勝てねぇからって、お前とのリボルバーは逃げねぇからな!」
「ほう。俺様には挑むんだな。ま、お前のげんこつ泣き顔に免じて―――手加減抜きでやってやるぜ」
星川が聞いていたのか振り向く。
「あれ? もしかして今ゲームセンターって言ってませんでしたか? 僕も今度の試合終わったら、一緒に行きたいですよ」
灰田がまだ少し痛む頬を摩りながら、呆れる。
「星川。お前こういうことは聞いているんだな。わーたよ、三人で行ってやる。テスト近いから今日は映画見たらもう家帰れよ。お前んちこっから遠いんだから」
「はーい。あっ、そろそろネットで言ってた見どころのシーンが…………」
星川が再び映画の流れているテレビに目を向ける。
(まったく、改めてすげぇ野球部に来ちまったな。陸雄の野郎、最後の最後に小学校野球で秀才投手だった俺を井の中の蛙にさせやがって―――これで勝たなきゃ申し訳ねぇって、ますます思っちまったじゃねぇか)
どこか嬉しそうな灰田も映画に目を向ける。
九衞が灰田の表情を見て、フッと笑う。
「少しは野球選手らしい良い面になったな。チンピラ野郎」
そしてボソリっと聞こえない声でそう呟いた。
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