第91話


 陸雄がドサリっと音を立てて、玄関前の隅にスポーツバッグを置く。

 一学期の期末試験は六月下旬から七月上旬、中旬ごろが一般的だが―――大森高校は六月終わりに二日間で行う。


(二回戦の後の次の日に期末テストだっけ? 中野監督もテストの日は練習はしなくていいって、抽選会始まるより前の期間に言ってたもんな)


 スポーツバックの中にある教科書とノートを取り出す。

 主要五教科に加え、副教科四教科の計九教科の筆記試験。

 初日に五科目。

 最終日の二日目に残りの四科目の筆記試験を一年生は受ける。

 

(五日間も試験をする高校がたくさんあるのに、俺らの高校だけ二日間みっちりってのがな……。ここで赤点取ったら二つの意味で終わりだな)


 そんなことを不安げに思いながら、陸雄が階段を上り終える。

 自室に教科書とノートを小型テーブルに向かって、投げ捨てるように放り出す。

 乱雑ながらコントロールの良さで全てテーブルの上に落ちる。


「今日も真面目に清香と一緒に勉強取り組んでやっから、赤点くんなよ~。頼むからくんなよー! 割と切実な願いだからなぁ! 保険で大学受験もあるんだから、人生躓かせるなよー。勉強神と野球神様ぁー、俺の願い聞き届けろよなぁ~。割とマジで頼むよぉ!」


 陸雄がテーブルに置いてあるノートや教科書に目を向けて、大きい声を出す。

 何故か拳を握って高々と上げている。

 赤点は三十点未満。

 当然赤点の生徒は夏休み中に学校に登校し、補習を受けることになる。


「その願い―――聞き届けた」


 どこからともなく声が聞こえた。


「えっ? 今の声って、マジで神降臨? 女性っぽい声だけど、ちょっとオバサン臭いですねぇ。これは臭い」


「アホ! 親の声を忘れるバカ息子がどこにいるの? お母さんは昔は今以上に美人だったのも、写真見て知ってるでしょ。まったくダメな子供ね」


 先ほどまでの声が丸聞こえなのか、階段の下から母親の声が耳に届く。

 声の主の正体が母親だと分かっていたので、陸雄はやっぱりなっとしょんぼりする。


「陸雄。あんた、神頼みなんて情けないことしないの! いつも清香ちゃんに頼りっきりなんだから、テスト終わったら気分転換させてあげるのよ!」


「大丈夫だって、安心しろよ。清香には期末テスト終わったら、中間テスト終わった時のお礼と合わせて苺のショートケーキをパパッと奢るからさ!」


「あんたのお小遣いでちゃんとご馳走させるのよ」


「へいへい。解りましたよ。清香が好きなシュークリームも奢りますよ」


 ズボンの内ポケットに入れてある定期券が入った財布を空ける。


(うわっ! 1132円しかない。ジュース買ったら残るのは1002円……清香に奢る苺のケーキが税込みで780円で、さらに追撃のシュークリームが税込み210円だから……12円しか残んねぇ。駄菓子のうますぎ棒コーンポタージュ味も買えやしねぇじゃん)


 部屋のドアをぱたりと閉めて、ため息をつく。


「つーか、中野監督って……抽選会の後でも選手一同連れて必勝祈願とかしなかったな。プロ野球団は正月にするとこもあるのになぁ。もしかして突然給料が七倍になったら神を信じても良い系の無神論者なのかねぇ」


 ブツブツ言いながら下の階に戻り、スポーツバックから袋に入ったユニフォームを取り出す。


「母さん。洗濯機にユニフォームを入れて回すから、今日の洗濯物と別にするよー」


「今日の分はもう出して乾燥機に入れてあるから、回して良いわよ」


 母親の声で、袋に入ったユニフォームを持って移動する。


「あいよー。あっ、母さん。今日の試合と同じように期末テストも勝って来るから、安心しとけよ! だから平均点取ったら小遣い多めにしてくれよなー」


 食卓の前を陸雄が通過して、キッチンの母親に話す。

 

「平均点以上ならあげるわよ。お母さんにしてみれば、そっちの方が心配なんだから―――キッチリやりなさいよ」


「解ってるって、洗剤まだあるよね? じゃあ洗濯機回すから―――風呂はちょっと走って来るから後で良いよ」


 陸雄が浴室に行き、洗濯機に泥だらけのユニフォームを入れる。

 洗剤を入れて、ふたを閉め―――ボタンを押す。


(無いとは思うけど、赤点補習だけは気を付けないとな。九衞にそれで煽られないようにしっかり勉強しねぇと―――)


 補習は陸雄達にとって事実上の野球の敗北である。

 セミが鳴きだす夏休み中に、補習を受ければ―――二日休んだ分の練習時間がさらに大幅に減ることになる。

 それは次の試合での練習不足からの敗北を意味する。


(補習で練習潰れたら、甲子園以前の問題だもんなぁ。負けたら夏休みを棒に振るな)


 夏の甲子園と呼ばれる「全国高等学校野球選手権大会」に出場するための地方予選は、毎年6月下旬から7月末にかけて開催される。

 七月中旬には大森高校の夏休みが始まる。

 夏休み中の八月には甲子園が開催される。

 陸雄が脱いだ制服から、スマホを取り出す。


(ちょっとスマホで、高校野球のニュースサイト見て見るか)


 ジャージに着替える前に下着姿で、スマホで検索する。


『兵庫県内で弱小だった大森高校が公式一回戦を16対0の五回コールド勝ちで突破!』


 ニュースサイトの記事に目が行き、そのサイトのニュースを見る。

 錦がバットをフルスイングしている写真が掲載されている。


「おおっ! 載ってる載ってる! やべー、テンション上がるなぁ」


 大森高校野球部は速報のニュースで話題となっていた。

 スマホでニュースサイトを陸雄がじっと見る。

 陸雄がニヤッとする。


(俺らの活躍はこっからだつーの!)


「陸雄。何一人でニヤニヤしながら、スマホ見てるの? 気味悪いわよ」


 浴室に現れた母親の言葉でスマホをしまう。


「俺らの試合が今日のニュースに載ったんだよ。ニヤついてもしゃーねぇだろ?」


「あっそ。チャーハン食べる前にさっさと走ってきたら? 電子レンジでも温められるから、早く着替えて行きなさい」


「ドライだなぁ。あっ、ジャージはいつもの籠に入ってるな。サンキュー母ちゃん」


「走るって言ってたけど、どこまで走るの?」


 陸雄がジャージに着替えながら、顔を向けずに答える。


「中学の時から使ってるいつものコース。ほら、夏祭りで花火が見れる場所だよ」


「ああ、あの河川敷ね。清香ちゃんが家に上がってきたら、お茶出しとくわよ。あんたが遅いようなら、帰らせるからね」


「おう、頼むわ。じゃあ、行って来るぜ」


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