第90話


「じゃあ、俺らも帰るか。同じ電車方面だし、星川君帰ろうぜ」


 陸雄がそう言った後に、灰田が星川に声をかける。


「星川、俺んちで映画でも見ねえか? 俺んち一人暮らしだからさ。いつでもいていいぜ。住所が……」


「えっ! いいんですか! やったぁ!」


(って、おい。ナチュラルに無視ですか? 会話勝手に進めんなよ)


「もしかして、この前メールで言ってた去年上映されたあの野球映画ですか? ついにアマゾンから届いたんですね?」


(星川君もこうなると話聞かないんだなぁ)


 陸雄が呆れる一方で、星川が嬉しそうに喜ぶ。


「ああ。次の試合まで、まだ日があるし、今日は定期券使って、家にまず一回戻れよ。んで、着替えたら来いよ」


「解りました! いやぁ、楽しみだなぁ! じゃあ、陸雄君。早く帰りましょう!」


(俺はこの後五キロ走るのに、映画だコンビニだっとチームメイト達が楽しそうにしやがって―――今日だけは疎外感を覚えるぜ)


「? 陸雄君。どうしたんですか? 帰りましょうよ」


「あ、ああ。じゃあな。九衞と灰田」


「ああ、またな」


 灰田がポケットに手を突っ込んで、ぶっきらぼうに答える。


「チェリー。家でオナニーばっかすんなよ」


「公共の場でアホな事言うな。そんなんしねーよ」


 陸雄と星川が改札に向かう。


「おい。チンピラ野郎」


 駅前に残った九衞が灰田に、胸元に腕を組んで話す。


「んだよ。リボルバーはまだ先だろ? 強面野郎もはよ帰れつーの」


「俺様も混ぜろ」


 意表を突いたように九衞が話す。


「―――はぁ?」


 言葉の意味が一瞬解らなかった灰田だが、頭を掻きながら気づく。


(こいつ偉そうだし、素直じゃねーし、うぜぇって思ったけど―――案外ガキっぽいところあるんだな。星川ならきっと『良いですねぇ。三人で映画を見ましょうよ』って笑顔で言うだろうなぁ)


「その映画は俺様も気になっていた。いつも日曜にメンバーで勉強教えているんだ。そのくらいの褒美を俺様にも出せ」


 灰田がその言葉にどこか優し気な顔を見せる。


(こいつもなんだかんだで、不器用な奴だな―――)


 その表情が印象的だったのか、九衞が少し見入る。


「……チンピラ野郎、これは当然の権利だよな?」


「ちぇ、わーたよ。荷物置いて飯食ったら家来いよ」


 灰田の言葉に―――意外だったのか、少しだけぎこちなくなった九衞が間をおいて話す。


「ま、まぁ、二年間だけチームメイトだからな。俺様への当然の対応だな」


 その言葉に灰田が腹を抱えて笑う。


「プッハッハッ!」


「むっ! 話の途中で笑うとは下品な奴だな」


「わりぃ、わりぃ。俺なりの照れ隠しだ。気にすんな」


「まぁ、いい。俺様が来る前に駅に集合しておけよ」


 そう言って、背中を向ける。


「ああ、ムカつくけど、頼りにしてるぜ今日の試合の安打王」


 その言葉に反応したのか、後ろを向いたまま右手を上げる。

 そしてグッと握りこぶしを作った。

 その姿はどこか頼りがいのある球児の背中だった。

 無言で九衞はそのまま家まで戻っていく。

 見送った灰田が口をへの字に曲げて、腰に手を当てる。


(カッコつけやがって、ますます気に入らねぇヤツ。あいつと星川達と二年間野球かよ―――あーあ、昔のパンチ一発がこいつらと一緒になるって結末なら、罰になってねぇつーの)


 フッと笑った灰田が自分の家に向かう。

 メンバーが離れた駅には多くの人々がザワザワっと行き交うのみとなる。

 この雑踏の中でまた彼らは集まり、離れていく―――。

 大森高校野球部員のいた場所が他の通行者の足音でなくなっていく。

 人気の少ないアパートまでの帰り道で、灰田は夜空を見上げる。


(マジでこいつらを甲子園行かせなきゃ、割に合わねぇな―――俺が三倍頑張んねーとあいつらも中野も泣いちまうだろう)


 空を見上げる灰田の表情は―――どこか意志が強く、それでいて儚げに見えた。


(頼りにしてる女の涙なんて、見たくねーしな)



 それぞれが今日の試合と帰りの練習が終わり、家に着く。


「ただいまー! 母さん。今日の試合勝ったから、夕飯豪華なやつにしてー」


 ドアを開けた陸雄が玄関前で靴を脱ぎながら、大声で言う。

 キッチンから母親の声が返ってくる。


「おかえり。試合に勝つのは良いけど、そろそろ期末テストの時期でしょ? 晩御飯に特製のチャーシューチャーハン作ってあげるから、清香ちゃん呼んで勉強教えてもらいなさい」


「肉は良いけどさぁ。期末テスト中に夕食で大盛りのオムライスとか食べたいなぁ。大好物なの知ってるだろぉ?」


(ちぇ、清香の奴がテスト期間の事を母さんのスマホにメールで知らせたなー。中間テストの次の期末テストか―――あーあ、やりたくねぇけど、あるものはしょーがねーか)


「オムライスならあんたが野球で優勝するか、本当にへこんでる日に作ってあげるわよ。そういう時になって、好きな食べ物の味の本当の良さってのが解るものなよ」


 母親の声と調理の音と匂いが耳と鼻に伝わってくる。


(あらあら、深良いみたいなセリフ言っちゃってぇ。でも母さんがああ言ってる時は、やるべきことはしっかりやれって意味なんだよなぁ)


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