第54話

 母親が食卓に着いた頃には、清香が食卓にケーキとジュースを置いた後だった。


「陸雄のお母さん、チーズケーキありがとうございます♪」


「いいのよ。休みの日にわざわざ来てくれたんだから、陸雄ー。さっさと入って上がりなさいよ! あまり清香ちゃん待たせるんじゃないわよ」


「分かってるって!」


(開会式終わった後に乾とまた会えるのかな? 乾の家って中学の頃に引っ越しちゃったからなー。ちょっと遠くの市まで行っちまったんだもんなー。場所分かんねーし、野球やってれば会えるっていったの乾だしな)


 そんなことを考えながら、洗濯物を入れる。


(実際に高校野球でまた会えたな。抽選会の後のハインと紫崎の話じゃ、一部の学生は寮生の高校だったんだよな?)


 裸になり、浴槽に入る。


(乾は―――俺より先に甲子園に行ったんだ)


 シャワーで体を洗い、バスタオルにボディソープをかける。


(乾は子供の頃の夢が叶ったんだよな? 俺も―――)


 野球で鍛え上げた体をタオルで拭く。


「乾と同じように甲子園に行ける夢が叶うのかな?」 


 洗面器で体に付いた泡を洗い流す。

 風呂に入る。


「今度の夏の甲子園は俺か乾か? 残酷だけど、夢の舞台に行けるのは兵庫県でも一校だけか……勝ちてぇな―――乾にも!」



 開会式の日。

 開催場所の球場で、陸雄達が行進する。

 観客席で吹奏楽部が演奏している中で行進を続ける。


「いっちーにー! いっちーにー!」


 各高校の野球部が行進する。

 マネージャー達は先頭で、校名の書かれた立札を持って歩く。


(行進の先頭って、去年の優勝校が行進するんだな。乾あそこにいるのか)


 駒島と大城が汗をかきながら、バラバラの行進で動く。

 

(この高校の奴ら全員が甲子園をかけて勝負するのか! 受験校の倍率がどうとかの問題じゃねぇな)


 行進が終わり、開会式が始まる。


(始まったな! 俺と兵庫球児の今年の夏が―――!)


 青空の中で陸雄はスピーチを真面目に聞く。



 開会式が無事に終わり、球場付近では各高校の選手たちがそれぞれ集まっていた。


「しっかし、すげぇ人数だな。少年野球とは違った規模だぜ! おおっ! あいつ、俺と同じ背番号!」


 灰田が嬉しそうに周りを見る。


「灰田~。キョロキョロ周りを見ない方が良いよ~」


「まったく―――チンピラ野郎の田舎もんっぷりにも、恥ずかしくって顔から火が出そうだぜ!」


 灰田と松渡、九衞が呑気に話をしている。

 駒島と大城は熱いという理由で、監督命令を無視して帰っていった。

 錦は周囲の視線が苦手なのか、木の陰で瞑想している。


「あれ? 陸雄君。どうしたんですか? 深刻な顔じゃないですか?」


 星川の言葉で、陸雄は帽子で顔を隠す。


「いや、この中で一校だけ選ばれるって―――名誉なのか残酷なのか分かんなくなってな」


「フッ、だから負けてやるだなんてのは勝負の侮辱だぞ。それは球児ではない」


「分かってるよ。だけど……代表になるって意味が―――これからの試合で分かっていくのかなってさ」


「リクオ。甘えたことを抜かすな。試合とは互いの全てをぶつけ合い。結果が出る前の過程の中で認め合い―――これからも鍛錬していく勝負の世界なんだ。延長なしの9イニングは色んな可能性と結果がある。そのスコアが過程の上に書かれた結果なんだ―――それだけなんだ」


 陸雄が熱弁するハインを見る。

 それはアメリカで真剣に試合をしてきた一人の若き捕手の目だった。


「は、ハイン君……」


 坂崎が覚悟を決めたのか、その言葉で息を呑む。


「勝負の世界。か―――そうだよな。ありがとう、ハイン!」


「リクオ。懐かしいベースボールフレンドがこっちに来るぞ」


「えっ?」


 ハインが視線をやる。

 その方向に振り返る。

 陸雄の前に一人の男がやって来る。


「―――乾!」


「久しぶりだな。紫崎、ハイン―――そして、陸雄。お前達が同じチームになってるとは因果なもんだな」


「乾! 久しぶりだな! 元気そうじゃんか!」


 陸雄の目が潤んで、笑顔になる。

 約三年ぶりに再会した友との会話だった。

 陸雄は乾の手を握る。

 乾は喜んでいるのか嫌悪しているのか複雑な表情だった。


「お前に話したいこといっぱいあるんだよ! 俺さ、中学でも軟式で……」


「陸雄……開会式が始まった事の意味が解っているのか?」


 乾の真剣な言葉に、陸雄は表情を少し崩す。


「ああっ! 野球の公式試合が始まる記念すべき日だろ? 俺もうワクワクしちゃってさ!」


 紫崎とハインが真剣な表情で黙り、陸雄を見る。

 乾はシニカルな笑みを浮かべる。


「―――そうか、お前だけが解ってないようだな。呆れるを通り越して哀れだな」


「何だよ感じ悪いなぁ! 久しぶりに会ったんだからスマホで電話番号とアドレス交換しようぜ!」


「…………陸雄、お前はその背番号の重さを知っているのか?」


「えっ? なんだよ、乾。突然そんなこと言っちゃってさ。お前、さっきから変だぞ?」


「勘違いをしているようだが……まさか野球部に入って、同じようにレギュラーになっただけで―――俺と同じように甲子園に行けると思ったんじゃないだろうな?」


「えっ? な、なんだよ! 乾。そんなのは今関係ないだろ! 友達として元チームメイトとして再会したのによ!」


 その言葉に、乾は怖い表情で陸雄を睨む。


「そんなのだと!? 食うか食われるかの高校野球を舐めるな!」


「っ!?」


 乾の大きな声に周りが注目する。

 一番驚いているのは陸雄だった。

 今までにない乾の感情に―――陸雄は思考を無くす。

 言葉が出なかった。


「俺の出場した去年の甲子園の夏は―――お前が思うような……そんな甘い世界じゃない!」


 大声で陸雄達のいる場所に向かった古川は―――様子を一部始終見て、黙っている。


(乾は怖いくらいに真剣だ。勝負……そうだ! 俺は乾の高校とも野球で試合をして、勝たなきゃいけない! ハインがさっき言ってたじゃないか!?)


「いつまでも昔のように俺の周りをウロチョロと―――友達気分で試合されちゃ堪ったもんじゃないんだよ!」


 灰田達が陸雄の周りに寄って来る。

 灰田が何か言おうとした時に、ハインが手で制す

 九衞がニヤニヤしながら、黙ってその光景を見ている。

 松渡が多少それを見て、苦笑いする。


「はっきり言おう。弱小の大森高校野球部に―――俺達甲子園出場校が負ける要素は無い!」


「な、なんだと…………!」


「お前に宣戦布告で来た、俺達に勝ちたければ、決勝戦で待っている―――追って来い!」


 そう言って、乾は帽子のツバに手を当てて―――去っていった。

 陸雄の心臓が高鳴る。

 何かが目覚めそうな鼓動。


(…………勝負。 乾と―――真剣に試合をする! そうだ! 今俺は甲子園出場を賭けて、乾と一度しかないかもしれない真剣勝負を勝ち続けた上で、マウンドで勝ち負けを競うんだ!)


 陸雄が握りこぶしを作る。

 目には僅かな涙が流れていた。

 陸雄は歩き去っていくライバルを一点に見つめる。


「―――乾! 俺は決勝でお前を……お前達を倒す! この夏で乾を―――お前を野球で追い越す!」


 陸雄が後姿の去っていく乾に吼える。

 陸雄に闘志がみなぎっていた。

 乾の背中は微動だにせずに、歩き去っていった。


(俺なんか眼中にないってか! 上等だよ、乾! いつまでも弟分の俺だと思うなよ! 絶対に勝ってやる! 勝ち続けてやる!)


 陸雄の姿に大森高校のメンバーが嬉しそうな顔をする。 


「どうやらウチのエースの目を覚まさせたのはチームでは無く―――今は相手チームになっているジョウだったな」


「フッ、利敵行為というか、敵に塩を送ったな―――」


 球場から用事などを済ませた中野監督がやってくる。


「一回戦に備えて練習するぞ。高校に戻るまで声をかけてランニングする!」


「「―――はいっ!」」


 各メンバーが荷物を鉄山先生の乗っているバスに置く。

 古川もバスに乗り、前列の席に座る。



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